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「誤解が生じる」の本来の用法


 少し前に、あるバラエティー番組でタレントの家ロケをやっていた。そのタレントは潔癖症らしく、訪れたロケ隊が家に上がろうとすると、不愛想に「これに履き替えて」と言って、無造作に軍足の束を放った。一応説明しておくと、軍足とは作業着店などで安く買える軍手の靴下版で、つまりそのタレントは、ロケ隊に「お前たちの汚い靴下でウチに上がるな」と言ったも同然だった。

 潔癖の人を自分は寧ろ可哀想だなと思う。しかしその人の家に上がるなら、その人のルールに従うべきとも思う。しかし、「これに履き替えて」と不愛想に軍足の束を放り投げる、のような態度を示されたら、流石にイラっとするだろう。もしかしたら、タレントが乗り気ではないのに番組側が半ば強引にロケに行ったのかもしれないが、それでもそんな態度を示すことを許容する気にはなれない。もし友人宅に行ってそんな態度を示されたら、そのまま上がらずに帰ってその後の付き合いも考え直す。


 ハフポストが「取材が終わったらソファが真っ赤になっていた話」という記事を掲載した。ランドリーボックスという生理に関する情報サイト兼ECサイトからの転載記事だ。笹川 かおりさんという、ハフポスト日本版の元副編集長だった女性の経験談に基づく内容である。
 彼女があるタレントのロングインタビューを終えると、座っていたソファーが赤く染まっていたそうだ。すると、そのタレントさんは私服のスカートを出して「これ着る?」と言ってくれたらしい。笹川さんが「ほんとうに、ありがとうございます。お借りします」と頭を下げると、そのタレントさんは「あげる、返さなくて大丈夫」と言ってスカートを渡してくれたそうだ。その後には、更に生理用ショーツまでくれた、という話が続く。
  笹川さんは、この自分の服を提供してくれたタレントのことを「神……!!」と感じたと書いている。自分も似たような状況になったら同じ様に思うだろう。しかし、世の中には色々な人がいて、必ずしもそう受け止める人ばかりではない、と感じさせられた経験が自分にはある。

 少し前に終電を逃した同僚を家に泊めた。急なことだったのでその同僚は着替えなどは当然持ってない。なので着古したTシャツと短パンを寝巻として出してやり、「洗って返す」など気を遣わせても悪いなと思って、前述のタレントさんと同様に「あげる、返さなくてもいいよ、そのまま捨ててもいいし」と彼に告げた。すると彼は、「他人が着たらもう着ないって、割と潔癖なんだね」と返してきた。
 自分は潔癖なつもりは一切ない。寧ろずぼらだ。回し飲みや直箸なども全く気にならない。「他人が握ったおにぎりを食べられない」などと言っている人を見ると、災害に見舞われたりした際に、誰かが善意で食べ物を提供してくれたらどうするの?と嫌味たっぷりに言ってやりたくなるぐらいだ。当然誰かが着た服なんか着れないなんて思ったことはない。下着や靴下だって、流石に洗ってないのは少し嫌だけど、洗ってあれば全く気にせず履ける。
 つまり彼は、大袈裟に言えば「俺が着たら汚いからもう着れないってこと?だからあげるってこと?」みたいな風に感じたのだろう。単に3軍落ち間近のTシャツ短パンで、洗って返してもらう程のものでもないから、捨てるなり部屋着にするなり自由にしてくれ、と言ったつもりだったのに。


 そんな経験があるので、「あげる、返さなくて大丈夫」なども、気を遣わなくてもいいよ、と相手を気遣ったつもりでも、気を付けないと場合によっては相手の尊厳を傷つけかねないな、と思う。
 昨今政治家が、誤解させたなら云々という言い逃れを、全く相応しくない場面で頻繁に用いるが(1/14の投稿)、本来「誤解が生じる」とは、こんなケースの為にある表現だ。


 トップ画像は、Photo by who?du!nelson on Unsplash を加工して使用した。

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