最近では少なくなったが、古い建物が残っている地域に行くと今でも見かける、ファサードは洋風なのにそれ以外は瓦葺きの木造日本風家屋だったり、場合によってはトタン板で作られていたりする商店などの建物。昭和レトロを感じるこのような建物のことを、看板建築と呼ぶそうだ。
子どもの頃からそれを「ハリボテっぽいな」と思っていたのだが、看板建築 - Wikipedia では、
鉄筋コンクリート造で建てるだけの資力がない中小規模クラスの商店によって関東大震災後に数多く建設された、かつての伝統的な町屋に代わる洋風の外観を持った店舗併用の都市型住居と解説しており、ハリボテっぽいという表現は少しネガティブだが、あながち間違いではないとも言えそうだ。看板建築は概ね、洋風建築のフリをした日本家屋、と言っても過言ではないだろう。看板建築の特徴が端的に分かる画像が中々見当たらなかった為、トップ画像は、鉄道模型メーカー・KATO の商品サンプル画像を使用した。
「ハリボテっぽい」というのが今日の投稿のキーワードである。何がハリボテっぽかったのかと言うと、「チャーター便運賃「政府が負担」 TBS NEWS」という、TBSの昼のニュースだ。
新型肺炎の流行に関連して中国・武漢から帰国した人たちが使用したチャーター機の費用について、政府はこれまで1人8万円を徴収するとしていたが、1/31の衆院予算委員会で首相が「運賃を政府が負担する方向で検討」と述べ、方針の転換を示唆したことに関して、TBSは、
チャーター機の費用を巡っては自民党の二階幹事長が「本人たちが好き好んでそういう立場に立ったわけではない」と述べるなど、与党幹部の間から政府負担を求める声があがっていました。政府の方針転換は、こうした意見に配慮した形ですと伝えている。
昨日の投稿では、自民の世耕元経産大臣による、「このシチュエーションで感染症について質問をしない野党の感覚に驚く」という主張が如何に雑であるかを書いた。そしてその中で、立民・杉尾氏が新型肺炎について1/29の参院予算委員会で質問したことも紹介した。その質問の中で杉尾氏は、
チャーター機の利用で片道利用で8万人を請求されるそうなんですけど、これぐらいは政府で出していいんじゃないですか?と聞いている。これに対して茂木厚労大臣は「前例に従って本人負担とする」という旨の答弁をしている。次のムービーはその部分の抜粋だ。
TBSは、1/29の立民・杉尾氏の質問と茂木大臣の答弁には一切触れずに、自民党が働きかけて総理が応じ、政府が本人負担から政府負担へ方針を換えたかのように報じた。それを見て「TBSは政府と与党の対応を誇張し、野党が先んじてそれを指摘したことを無視した。つまり政府と与党のハリボテ感を演出した」ように感じられた。TBSが他の記事で1/29の杉尾氏の質問などに触れた形跡もない。
同じ件についてテレビ朝日は、「武漢の日本人ほぼ退避完了 運賃8万円は国負担検討」で以下の様に伝えていた。
安倍総理大臣はチャーター便の運賃約8万円について、国が負担する方向で検討する考えを表明しました。当初は自己負担の方針でしたが、与野党からの批判を受けて見直しました。テレビ朝日はTBSとは異なり、自民党議員の指摘も野党からの指摘も取りあげていないが、「与野党から批判」という表現を用いている。
TBSの記事は、チャーター便の費用負担以外のことにも触れており、
野党側は、帰国者の宿泊施設として政府が用意したホテルの一部が相部屋となり、30日感染が発覚した2人はそれぞれ別の人と相部屋で一時宿泊していたことなどを取りあげ、対応の不備を指摘しました。加藤厚生労働大臣は不備を認めた上で、今後は十分気をつけて対応する考えを示しましたとしている為、必ずしも、政府に忖度して野党側の指摘や批判を覆い隠そうとしている、とは言えないかもしれないが、チャーター機の費用本人負担に関する疑問を最初に国会で示したのは立民の杉尾氏であり、野党が指摘した際には政府に応じる姿勢がなかったことを伝えないのは確実にフェアじゃない。
恐らくこのように指摘すれば、TBSの関係者は「政府に忖度したという意図はない」と言うだろう。しかし問題は意図の有無ではなく、伝え方がフェアか否かである。いじめていたつもりがあろうがなかろうが、行為がいじめに該当する行為であれば問題があるのと同じだし、殺すつもりはなくても、どう考えても相手が死に至る危険性が高い行為を行えば、致死傷ではなく殺人になり得るのと同じだ。
「誤解を招いたなら謝る」という謝り方が政界を中心に横行している。政治家は議論が本分であり、言語表現のプロでなくてはならない。つまり、誤解を招くような表現をすること自体が失態であり、誤解を招いてはならない立場にあるのが政治家である。にも関わらず、頻繁に「誤解を招いたなら謝る」というだけで済ます政治家や政党が余りにも多すぎる。
言語表現のプロでなくてはならないのは、報道関係者も同様であり、誤解を招くような報道をしてはならないし、誤解を招くような記事を書いてはならない。政治家が自身の発言を「誤解を招いた」で片付けるのは言語道断なのと同様に、フェアではない報道を「誤解を招いた」で片付けてはいけない。