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バイアス


 現在乗用車に用いられるタイヤの殆どはラジアルタイヤだが、1960年代以前はバイアスタイヤが主流だった。バイアスタイヤとラジアルタイヤの違いについては、タイヤブランド・グッドイヤーが「ラジアル構造とバイアス構造|タイヤの知識|日本グッドイヤー 公式サイト」で詳しく解説している。また、乗用車向けタイヤの主流がバイアスタイヤからラジアルタイヤへ変化した経緯については「タイヤ――命を乗せる働き者(1895年) | トヨタ自動車のクルマ情報サイト‐GAZOO」が分かり易い。


 グッドイヤーの解説にもあるように、バイアスタイヤとはタイヤの内部にあるカーカスという部分の構造に由来した名称だ。バイアスには「斜線」という意味がある。


 この bias/バイアス という英単語は他にも様々な意味を持っていて、「傾向、先入観、偏見」という意味もある。
 昨日BuzzFeed Japanが「ワンランク上の旅行写真を撮る方法、プロに聞いてみた!」 という記事を掲載していた。全部で16個の、見栄えする写真を撮る為のコツが書かれている。その一つとして、
3. 写真を編集したあと、戻って調整を50%まで減らす。
が挙げられている。それ以前の2つにはコントラストや色調の補正について書かれていて、補正/調整のやり過ぎに注意!という話だ。


 個人的には、「写真を編集したあと」ではなく「写真を編集したあと、少なくとも30分以上経ってから」だと尚よいと考える。編集した直後よりもある程度時間をおいてからの方が、よりフラットな目線で判断することが出来るからだ。
 以前も書いたことがあるような気もするが、このブログの投稿を書いて、書いた直後に読み返しても気付けなかった誤字・脱字、不自然な言い回しに、1日以上経ってから読み直すと気付ける場合が結構ある。自分は動画編集もする。そちらでも同じことが言えて、編集しエンコードが終わった直後にチェックしても、テロップの誤字・脱字などを始めとした編集ミスに気付けないことが多い。
 これは、「注意しながら書いた/作ったんだからミスはない」という認知バイアスによるものだろう。心理学に詳しくないので正確かどうかは分からないが、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」などと過小評価してしまうのは人の心の特性のようだ(正常性バイアス - Wikipedia)。人間は誰もがバイアスから逃れられない。


 昨日は他にもバイアス(先入観、偏見) を感じさせる記事が2つあった。1つはBuzzFeed Japanの「なぜ男子ではなく女子3人?『映像研』大童澄瞳の“かわいい”論」だ。現在NHKが日曜深夜に放送しているアニメ「映像研には手を出すな!」の原作者・大童 澄瞳さんへのインタビュー記事だ。


 「映像研には手を出すな!」は3人の女子高生がアニメをつくる姿を描いた作品だ。BuzzFeed Japanの記事では、見出しにもあるように、「3人が作るアニメはアクションシーンが多くメカやロボットも多数登場する。そんなアニメをつくるのがなぜ男の子ではなく、主人公が3人とも女子高生なのか」という疑問が、大童さんの元へこれまで度々寄せられてきたことに触れ、それについての大童さんの見解が示されている。
 個人的には、そんなのは「大童さんが描きたいものをかいたから」で充分な話だと思うし、ステレオタイプを否定するわけではないが、ステレオタイプを外したからこそ得られる面白みだって確実にある筈だ。「この設定なら、男の子を主人公にすべき」という認識も、バイアス/先入観によるものだろう。


 2つ目はハフポストが掲載していた「プリキュアの“フワ”を好きな僕は、恥ずかしい? 親の僕だって、息子の「好き」を縛ってはいけないんだ」という記事だ。


プリキュアは好きだけど、はずかしいから保育園の友達には言わない」という男の子に関して書かれている。また、彼が仮面ライダー・ゼロワンショーでライダーと握手する直前に、「こんな女の子の色をした時計をしてたら、ゼロワンにばかにされる」と、チコちゃんのキャラクター腕時計を外してくれと言ってきた、というエピソードも紹介されている。
 この記事を読んで、小学校に上がる前か上がった直後くらいかの自分の記憶が甦った。 1980年代のことなので、今とは社会を取り巻く環境がかなり異なっていたことを、まず確認しておきたい。近所の大きなスーパーへ家族で買い物を出かけた際に新しい服を買ってもらうことになった。弟は赤い服を選んだのだが、それを親父に「赤は女の色なのにw」とからかわれて以降、その頃女の子によく間違えられいてたこともあって、彼は赤を毛嫌いするようになった。親戚がお土産に赤いミニカーを買ってきても泣いて嫌がっていた。今考えると、あの父親の一言はとても罪深い。
 一応親父をフォローしておくと、弟が女の子に間違えられるのを嫌がることを親父は知っていたので、多分彼はそれを意識して「別の色の方がいいんじゃない?」という意味合いでそんなことを言ったのだろう。しかし言い方が悪かった。

  男の子向け/男っぽい/男が好きそうな、という傾向は確実にあるし、女の子向け/女っぽい/女が好みそうな、という傾向もまた確実に存在する。しかしそれはあくまでも傾向であって、全ての人に当てはまるわけではない。男っぽい女の子がいても何も問題はないし、女の子向けのものを好む男の子がいても全く問題はない。しかしまだまだ世の中には、そういうことをまるで問題があるかのように揶揄したり茶化したりする人もいる。もしかしたらユーモアのつもりなのかもしれないが、ユーモアは相手がユーモアと感じられて初めてユーモアとして成立するものであり、独りよがりにならないように注意することも必要だ。


 男らしさ/女らしさに限らず、日本人らしさとか学生らしさ、などについても、そのような感覚を全否定するつもりはないが、誰かが誰かにその種の「らしさ」を押し付けようとするのは間違いなく、昨日の投稿でも書いた同調圧力の1つだ。
 この投稿の途中でも書いたように、人間には誰でも何かしらのバイアスを持っている。人間は皆バイアスから逃れられない。しかし「自分にも確実にバイアスがある」ということを理解しているか、それとも「自分だけにはバイアスなどない」という、典型的な認知バイアス前提で思考/行動するのかの間には、確実に大きな差がある。


 トップ画像は、Photo by Tim Mossholder on Unsplash を使用した。

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