スキップしてメイン コンテンツに移動
 

緊急時は誰もが感情的になりがちなので


 テレビをつけても、新聞を読んでも、SNSを見ても、一番多く目に入ってくるのは新型コロナウイルス関連の話題だ。勿論最新の情報は仕入れておきたいが、何かと上から目線の主張、感情的な主張、そして不確定な情報も多く、このコロナ狂騒曲とも言えそうな状況にややウンザリもしている。このブログの投稿もコロナウイルス関連以外の話題を書きたいのだが、新型コロナウイルスにまつわる話が蔓延しており、自分が気になることも、どうしてもそれ関連になってしまう。


 この数日SNSで局地的な論争が起きているのは、新型コロナウイルスの検査に関する話だ。
 例えば、「熊本の1例目女性、医療機関たらい回し 新型肺炎|【西日本新聞ニュース】」のように、咳や高熱が続く中、医療機関で確定診断に至らず「たらい回し」にされた、のような話がある一方で、


新型コロナウイルスのPCR検査の精度は100%ではなく、風邪のような症状を訴えて検査しても、集団の中での有病率が低い状況で検査をすると、感染症にかかっていないのに検査結果が陽性と出る人の絶対数も多くなってしまう恐れがあり、また、医療にかかるリソースを圧迫する恐れも加味し、無症状の人や軽症の人に検査をやる意味は薄い、という話もある(新型コロナ、なぜ希望者全員に検査をしないの?  感染管理の専門家に聞きました Buzzfeed Japan)。


 前者の話などを前提とした「検査必要派」、後者の話を前提とした「検査不要派」、と書くと少し極端ではあるが、便宜上必要派と不要派と表現することにする。自分の考えは、出来る限りの検査をした方がよい、で、どちらかと言えば必要派なのだが、後者の記事の内容にも頷ける点は多く、不要派の主張も基本的には間違っていないと考えている。
 しかし、検査精度が100%でなくとも、検査とその結果によってある程度の見通しが立てられることに違いはない。厚労省などが
  • 風邪の症状や37.5°C以上の発熱が4日以上続いている(解熱剤を飲み続けなければならないときを含む)
  • 強いだるさ(倦怠感)や息苦しさ(呼吸困難)がある
  • 高齢者や基礎疾患等のある方は、上の状態が2日程度続く場合
などに該当しない、軽い症状の場合には外出をせず、病院にかかるよりも自宅で療養するように、としている(新型コロナウイルス感染症(新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解)|厚生労働省)。
 1人暮らしならそれで妥当な対応なのだろうが、同居の家族等がいる場合、家族に感染を広げる恐れを取り除くことが出来ないし、本人は軽症でも、家族に高齢者や何かしらの持病をもつ者がいた場合、万が一感染させてしまったら重症化する恐れがあると考えて、軽症であっても検査を受けて、結果によっては自宅以外の別の場所で療養した方がいいのではないか?と考え、検査を望むケースもあるだろう。それは、麻疹に感染すれば深刻化する妊婦への感染を防止する為に、かかってもさほど重症化の恐れがない成人男性もワクチン接種の必要だという主張と似ていると思う。

 現在の日本では軽症の状況で、本人判断で仕事を休むことが出来る状況にある人は決して多くないし、同居家族に軽症者がいた場合に、それが普通の風邪か、インフルエンザか、新型コロナウイルスによる感染症かは、対応を決めるのに結構重要だ。家族に軽度の風邪症状があれば、自分もそれをうつされているがまだ無症状、ということも考えられる。しかし、家族に軽度の風邪症状があるだけで仕事を休める状況にある人は、現在の日本社会には殆どいないだろう。つまり、自分や自分の家族が新たな感染源にならない為に、一応検査を受けておきたい、というケースだってあるはずだ(無症状や軽症の人からも「感染広がる場合ある」 : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン)。
 だから自分は、無症状の人や軽症の人に検査をやる意味は薄い、という話は些か乱暴だ、と感じてしまう。もう既に感染経路の特定できない感染者が複数報告されているのだから、軽症でも検査をすれば防げたはずの感染拡大が、検査をしなかったことで起きるケースも想定できるのではないか。


  また、「不要論」を主張している者の多くは医療関係者や医療系のジャーナリストのように見えるのだが、中には上から目線の主張が見受けられることも、逆に不安を煽る結果になっているのではないだろうか。
 子供が初めて風邪を引いた時、親は過剰に心配したり不安がるものだ。中には初めてでなくても過剰に心配する人もいる。自分の親はそんなタイプではなかったが、小学校の同級生の母親に神経質で、今考えると少し危なっかしいとすら思えるような人がいた。そのタイプの過剰に不安がる親に対して、相談を受けた医師が「一度落ち着きましょう」と言うのは妥当だ。だがもし医師が「何馬鹿なこと言ってんの?」という態度を示せば、親はその医者を信頼しなくなり、正確な認識を与えることはできない

 それは、懸案のウイルス検査についても同じだ。後者タイプの医者・医療ライター等がSNSで散見されることを残念に思う。


 そして、「医療資源には限界がある」という主張も理解はできるものの、保健所を減らすなど分母を減らしてきたのは一体誰だ?という風にも思う。勿論それは現場の医師らの責任では全くないが、起こり得る新たな感染症への対策を怠ってきたのは誰なのか。
 そういうことを考えると、前述のBuzzfeed Japanの記事にある「日本で検査が少ないのは政府が感染者数を少なく見せたいからだ」という陰謀論が広まっている、という話も、陰謀論と決めつけてしまっているようで、それでは、元から「不要派」の人達の賛同は得られても、不安を感じることで「必要派」になっている人達の理解は得られないのではないか。


 韓国の中央日報は「元米FDA局長、「新型肺炎、日本は韓国ほど検査していない」 | Joongang Ilbo | 中央日報」と報じているし、2/17の投稿で触れたように、横浜港に停泊中のクルーズ船の感染症対応に対しても、各国から批判の声が寄せられた。また、現政権下での公文書やデータの改竄捏造隠蔽案件は枚挙に暇がなく、それもそんな話が飛び交う理由の1つだ。
 「韓国に比べて検査数が少ないのは日本政府が感染者を少なく見せたいからだ」という主張の信憑性は定かでない、という主張は頷けるが、全く根拠のない陰謀論と切り捨てるに足る程の話を当該記事が示せているとも思えず、少なくとも「陰謀論」という表現を使うことは避けた方が妥当だったのではないだろうか。


 緊急時というのは、誰もが感情的になりがちだが、専門用語を使いがちなことによって、ただでさえ上から目線でものを言っているように受け止められがちな専門家らが、感情的で皮肉たっぷりにも見えてしまう主張の仕方をすれば、不安を感じている人の「不安」を取り除くことは余計に難しくなりかねない。


 トップ画像は、Photo by Tim Trad on Unsplash を使用した。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。