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「批判」を適切に認識できない人達


 新型コロナウイルスの流行を前提にした、「こんな緊急時だからこそ批判するのではなく、みんなで協力して最善の対策を実現しよう」みたいな言説が、しばしばツイッターのタイムラインに流れてくるのでクラクラする。批判無くして最善の対策がどうして実現するだろうか。そんなことは絶対あり得ない。批判をしないということは、何かに右へ倣えするということに他ならず、それでは間違った道に突き進んでしまう恐れが強い。
 例えば、ミッドウェー海戦以降の敗戦に次ぐ敗戦を直視できなかった戦中日本のように。

 つまり、「みんなで協力する」の中には「間違いを指摘する」も含まれていなければならない。批判無くして「間違いを指摘する」ことは出来ない。つまり

 「こんな時だからこそ、批判するのではなく、みんなで協力して最善の対策を実現しよう」という話は大きな矛盾を孕んでいる

「一致団結」しようと呼びかけ、「批判はよくない」かのように触れ回ることはとても危険だ。何故なら、教祖の言う事は絶対であり、教祖の元に一致団結することが最善で、教祖を批判することは許されない。というのは、カルト教団的な考え方だ。教祖を将軍様に置き換えれば北朝鮮のそれだ。また、教祖や将軍様による独裁でなく、教団やある政治集団による独裁の場合もある。中国共産党による一党支配はまさにそれだ。
 根拠に乏しい批判、単なる誹謗中傷を否定するなら理解できるが、批判全般を否定するのは、批判の定義を分かっていないか、ただ単に批判を避けたいという思いか、それ以外の何ものでもない

 
 元アイドルの自民・今井 絵里子議員が、2017年の都議選応援で


とツイートした。 この「批判なき選挙・政治を目指す」発言は当時相当馬鹿にされた。それは、批判のない政治なんてあり得ない、それはもう政治ではない、ということを、誰もが分かっていたからだ。
 しかし「わずか1日で「方針変更」 ネット批判にいらだつ官邸 [新型肺炎・コロナウイルス]:朝日新聞デジタル」には、
26日に首相が表明したイベント自粛要請は、首相主導で決めたという。一方、前日の基本方針は「現時点で自粛要請を行うものではない」としていた。わずか1日で方針変更。官邸幹部は「ネットでも批判されているが、批判するだけなら誰でもできる」といらだちを募らせていた
とある。この、「ネットで批判されているが、批判するだけなら誰でもできる」という話、「ネットでも批判されているが」ということは、つまり有権者からの批判が起きていることに対して、官邸幹部が「批判するだけなら誰でもできる」と言っていると強く推測できる。有権者が納得のいかない施策に対して批判をするのは当然の行為だ。「批判するだけなら」ということは、「批判ばかりしないで称賛もしろ」と言っているようにも見える。何にせよ批判されるのが嫌ならその座を早急に譲った方がいい。
 「ネットでも批判されているが、批判するだけなら誰でもできる」は、有権者による批判を前提としたものではなく、ネットでも野党議員らは批判をしているが、という観点で示された見解だと仮定する。NHKが2/28に報じた記事「衆院予算委 新年度予算案可決 | NHKニュース / インターネットアーカイブ」には、


一方、野党側は、新型コロナウイルスへの対策費を追加すべきだとして、予算案の組み替え動議を提出しましたが、否決されました。
とある。「東京新聞:野党「ウイルス予算なし」と批判 参院予算委で政権追及へ:政治(TOKYO Web)」では、立民・安住国対委員長の、
新型コロナウイルス関連の予算が全く入っていない。考えられない
という見解を紹介している。2020年度予算に新型コロナウイルス対策に関連する予算が本当に一切含まれていないのかについては精査していないが、何にせよ少なくとも「批判だけ」という指摘には妥当性がないのは明白だ。

 前述の朝日新聞の記事では「官邸幹部」による発言としか紹介されておらず、厳しく言えば本当にそんな発言があったのかどうかを見極めにくい。しかし、自民・中曽根 康隆議員がこんなツイートをしている。


政権批判は間違いなく、与野党問わず国会の役割だ。そんなことは三権分立という小学校高学年で習うことを認識していれば明らかである。日本は議員内閣制であり、実質的に与党と政権は一体である。つまりこの中曽根氏のツイートが、前述の官邸幹部が示したとされる見解の信憑性の高さを裏付ける。

 自民党内には、2017年に馬鹿にされた今井氏と同程度の知見しか持ち合わせていない政治家が、他にもゴロゴロしているのではないか?

とすら感じられる。


 2/28の投稿でも書いたように、2/27の夕方に安倍首相が突如「3/2から全国的に休校を要請する」という見解を示し、大きな混乱が生じた。様々な種類の「どんな影響が生じるのか考えているのか?」という批判が吹き荒れ、それを受けた記者会見が昨日行われた。
 その全文と映像が官邸のサイトにある(令和2年2月29日 安倍内閣総理大臣記者会見 | 令和2年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ)。



昨今、官邸記者クラブの忖度傾向は誰の目にも明らかであり、安倍氏も、毎度「お気持ち発言」と決意表明に終始する為、彼の会見に何かを期待したことはない。そして今回の会見もまさにその典型的な例だった。「全力を尽くす」「万全を期す」のような決意表明ばかりを並べ、具体策は殆ど、というか全く示されなかった
 それは、この期に及んで、
私が決断した以上、私の責任において、様々な課題に万全の対応を採る決意であります。2,700億円を超える今年度予備費を活用し、第2弾となる緊急対応策を今後10日程度のうちに速やかに取りまとめます
なんて言っていることが物語っている。緊急対策の第1弾なんていつ発表した?とか、「これから1、2週間が、急速な拡大に進むか、終息できるかの瀬戸際となる。こうした専門家の皆さんの意見を踏まえれば、」と言っているのに、10日もかけて対応策を練るなんて何を悠長なことを言っているんだ?という感しかない。
 しかも、


などが指摘しているように、質問しようとしている記者がいるのに、会見は強引に打ち切られた。例えば、 これから1-2週間が、感染が急速な拡大に進むか終息できるかの瀬戸際なので、一刻も早く対応策をまとめる為に、この後すぐに専門家からのヒアリングを行うことになっており、だから会見を打ち切らねばならない、という話なら理解も出来る。しかしこの会見後安倍氏が何をしたかと言うと、「首相動静(2月29日):時事ドットコム」に、
  • 午後6時から同36分まで、記者会見。
  • 午後6時57分、官邸発。
  • 午後7時12分、私邸着。
  • 午後10時現在、私邸。来客なし。
とあるように、単に帰宅しただけだ。

 安倍氏は、2/28の国会審議の中で、政府が新型コロナウイルスの感染拡大防止に取り組む中、夜の会食を続けていることを指摘され、
いわゆる宴会をやっているわけではなく、さまざまな方と意見交換を行っている
と述べたが、その夜も安倍氏は作家の百田 尚樹氏とジャーナリストの有本 香氏を公邸に招き会食した(夜の会食は「宴会ではない」 首相、野党に反論「意見交換」「いけないことなのか」 - 毎日新聞)。


百田氏や有本氏は安倍自民政権の積極的な支持者として有名な人物である。「これから1-2週間が、感染が急速な拡大に進むか終息できるかの瀬戸際」と言っているのに、なぜ感染症対策の専門家でもない単なる自分の応援団と1時間以上も会食している暇があるのか首相動静(2月28日):時事ドットコム)。
 百歩譲ってその会食は合間で行ったものであり、感染症対策を圧迫するものではないとする。しかし翌日安倍氏は記者が質問しようとしているのにも関わらず、それに応じずに会見を打ち切り、そのまま帰宅している。つまり、支持者を公邸に招いて会食する暇はあっても、記者の質問に答える暇はない、と言っているも同然だ。


 こんなデタラメが公然と行われているのに、デタラメをデタラメと批判せずに一体どうやって最善の対策を実現することができるだろうか。そんなことは絶対に出来ない。
 デタラメをデタラメと批判せず、そのようなデタラメが続けば、不安がどんどん蔓延し、不安が蔓延すれば、そこにデマが広まる隙が生じる。トイレットペーパーの買い占め騒動などが起きる一因には、確実に首相や政府のデタラメがある。政府や首相がデタラメをしなければ、概ね信頼されていたはずだ。もしそうだったなら、不安は最小限に抑えることができただろう。大きな混乱が生じる恐れも同様に抑えることができただろう。つまり、デタラメを批判しない限りどうやっても最善の対策を実現することはできないことは明白だ。
 例えば、沖縄が陥落し広島と長崎に原爆を投下され、本土地上戦が間近に迫っているのは誰の目にも明白な状況で、政府がドイツのように自国内を戦場にしてでも戦争を継続する意思を示したとする。沖縄が陥落し広島と長崎に原爆を投下され、本土地上戦が間近に迫っている状況はどう考えても緊急時だ。そんな時に、「こんな緊急時だからこそ批判するのではなく、みんなで協力して最善の対策を実現しよう」なんて言っている人がいたらどうか。
 「批判せずに」ということは、戦争継続を前提として、ということになるだろうから、それは「政府と心中しよう」「一億総玉砕しよう」ということにも等しい。そんなのは「馬鹿げている」ではなく、最早「狂っている」だ。今はまだそんな状況にないが、逆に言えばそんな状況になる前に、そんな馬鹿げた話は批判しておかねばならない。カルト国家に飲み込まれるのをただただ傍観するのは確実に適切な行動とは言えない。


トップ画像は、Photo by Sarah Kilian on Unsplash を加工して使用した。

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