「友情・努力・勝利」が週刊少年ジャンプのスローガンという話は有名だ。「週刊少年ジャンプ#概要 - Wikipedia」によると、すべての掲載作品のテーマにこの要素または繋がるものを最低1つ、必ず入れることが編集方針になっているそうだ。但し、同誌Webサイトで連載されていたマンガ「ジャンプの正しい作り方!」では、登場する編集者が「少なくとも今はそんなテーマはないと思う」とも言っているようだ。しかし「少年マンガを作っていればそんなテーマは自然発生的に出てくる」とも言っているらしく、どちらにせよ、そのようなテーマが実質的にある、ということに変わりはなさそうだ。
自分が通っていた中学校の体育祭は、各学年がクラス毎に赤白青の3チームに割り振られ対抗戦で争う形式だった。2年時の自分のクラスは青組に割り振られ、その時の3年生が掲げた青組のスローガンは「団結・友情・努力」だった。自分が中学生の頃は少年漫画の最盛期で、ジャンプも歴代最高の発行部数を誇っていた。つまりその青組のスローガンの下敷きは確実にジャンプのそれだった筈だ。恐らく運動が得意でない者への配慮と、丸々コピーすることを避ける為に、勝利を団結に置き換えたのだろう。
団結・努力・友情などは時に素晴らしいスローガンでもある。だが、以前にも何度か書いてきたが、日本社会は同調圧力が高い。つまり場合によっては、それらをスローガンには同調圧力を煽りやすいという負の側面もある。
団結を過剰に賛美することは、論などの異なる少数派の排除にも繋がりかねない。それは友情も同様だ。どうやっても分かり合えない性質の人というのが確実に存在するのに、友情を絶対的な価値観のように捉えその重要性を唱えると、適切な距離を保つことが難しくなる。
また努力も絶対的に素晴らしい価値観とは言い難い。確かに努力は基本的には素晴らしい。しかし、好ましくない努力というのも間違いなく存在する。例えば、不正確な認識による努力もある。危険な思想を啓蒙する極端な宗教に傾倒し、他者の権利を侵害するような行為に努めることは間違いなく適切ではない。また、強盗を成功させる為に入念に計画を練るとか、痴漢や盗撮を捕まらずに行う努力をする、なども間違いなく不適切な努力だ。
3/16の夜に行われたG7首脳テレビ電話会議後に、安倍首相が「ウイルスに打ち勝つ証しとして(東京オリンピックを)完全な形で実現することにG7の支持を得た」と述べたが、完全な形で実施することをG7首脳らが支持したという話に如何に信憑性が感じられないかについて、3/17の投稿で書いた。
トランプ米大統領は3/19の記者会見で、3/16に行われたG7首脳によるテレビ電話会議で、安倍首相が東京五輪について
「どうするか決断していない」と我々に話したと述べたそうだ(トランプ大統領が”爆弾暴露”「安倍首相は(G7で)我々に(東京五輪を)どうするか決断していないと話した」)。トランプ氏は「我々は彼(安倍首相)の決定を受け入れるだろう」とも述べたそうで、もし他のG7首脳もトランプ氏と同様の立場を示したのであれば、安倍氏の言う「G7の支持を得た」は事実に即しているだろうが、「完全な形で実現すること」について支持を得た、というのは事実に反していると言っても間違いないだろう。3/17の投稿で触れたように、そもそもホワイトハウスが公表したG7首脳声明では、東京オリンピックには全く触れられておらず、それに加えてこのような話が出てくるのであれば、安倍氏の嘘はほぼ確定的だ。
安倍氏が「東京オリンピックを完全な形で実現することにG7の支持を得た」と述べたことは当然世界中にも報じられており、それを受けてか、あちらこちらから「東京オリンピックは開催すべきでない」という見解が示され始めたことが報じられている。
ノルウェー五輪委、バッハIOC会長に延期求める 英国陸連会長も主張―新型コロナ:時事ドットコム
東京オリンピック開催にイタリアから批判 「大きな誤り」「命はもっと価値」 - 毎日新聞
今のところ、テレビ電話会議に参加したG7の首脳らからは、「東京オリンピックを完全な形で実現することを支持したという事実はない」という旨の見解は、明確には示されていないものの、今後この種の批判が高まれば、そのような意思表示も行われるかもしれない。
トランプ氏は3/14に国家非常事態を宣言した。同日付けの米政府の文書は「パンデミックが18カ月以上続く恐れがある」と警告している、とニューヨークタイムズが報じている(U.S. Virus Plan Anticipates 18-Month Pandemic and Widespread Shortages - The New York Times)。「「パンデミックは18カ月以上続き何度も波がある」可能性をアメリカ政府が予測していたことが判明 - GIGAZINE」は、このニューヨークタイムズの報道内容は、治験中のワクチンの実用化に12-18カ月かかるとするアメリカ国立衛生研究所の発表と一致する、としている。それらの要素が確実に視野に入っている米大統領が、果たして「東京オリンピックを完全な形で予定通り実現することを支持する」だろうか。常に過剰なまでに損得勘定で動くトランプ氏が、何の見返りもなくそんな見解を示すとは到底思えない。
また、ワシントンポストも「The Olympics must be canceled or postponed - The Washington Post」という記事で、「日本の首相や政府がオリンピック開催に固執するのは金と面子のため」と批判している。
日本国内からも既に異論は出始めていて、ソウルオリンピックの女子柔道52kg級で銅メダルを獲得した経歴を持つJOC理事の山口 香さんは、
アスリートが十分に練習できていない状況での開催は、アスリートファーストではない。延期すべきと主張している。
世界中で正常な生活が送れない状況がある中で、7月に開催して誰が喜ぶのか
コロナウイルスとの戦いは戦争に例えられているが、日本は負けると分かっていても反対できない空気がある。JOCもアスリートも『延期の方が良いのでは』と言えない空気があるのではないか
JOC理事の山口香さん「五輪、延期すべき」 - 東京オリンピック [新型肺炎・コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
山口さんがこのような見解を示したことについて、JOCの山下 泰裕会長は、3/20に聖火到着式が行われた宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地を訪れた際に、「さまざまな意見があることは理解しているし、そういった考え方を持たれる方がいるのも当然だと思う」という前提で、ということではあるが、
みんなで力を尽くしていこうというときに、そういう発言をされるのは極めて残念という見解を示した。
JOC山下会長、山口理事に不快感「極めて残念」 五輪開幕ムード高まるも…/スポーツ/デイリースポーツ online
みんなで
力を尽くしていこうという時に
そう言う発言は残念
この団結・努力至上主義とでも言うべき山下さんの見解を、どう受け止めるかは個人の自由の範疇だろう。だが自分には、内容の是非を検討するよりも、一致団結し努力をすることを重視し、兎に角異論を排除しようという意図を強く感じる。極端な解釈であることは重々承知しているが、もし山下さんが戦中の予備役だったら、一般市民に対してみんなで集団自決しようとしているのに水を差すな、この非国民、お前も大人しく集団自決に加われなどと言い出しかねないようにすら感じられる。
山下さんはロサンゼルスオリンピックの男子柔道無差別級で金メダルを獲得した経歴を持つ。また、3/17の投稿でも触れたように、予定通りの日程で、無観客などではない完全な形でオリンピックを実施する方針に変わりはないとしている五輪担当大臣の橋下 聖子氏も、夏季は自転車選手として、冬季はスピードスケート選手として複数の出場経験を持ち、アルベールビルでスピードスケート女子1500mにて銅メダルを獲得した元日本代表選手だ。
一方で山口さんのような人もいるし、山口さんの言うように「延期の方が良いのではと言えない空気」によって意思表示できない選手や関係者も多いのかもしれない。しかし、イベントの自粛要請がされているにも関わらず、東京マラソンなどと同様に多くの人が集まりかねない聖火リレーは中止されず、聖火到着式には共にオリンピックで複数の金メダルを獲得している野村 忠宏さんや吉田 沙保里さんが参加している。
また、ワイドショーに出演して、山下さん同様の見解を示しているオリンピックでメダル獲得経験のある元柔道家などもいる。
アスリートファーストという美辞麗句・羊頭狗肉でダシにされているのに、何も言わない日本のスポーツ選手や元選手ら関係者らは、山口さんの言う様に「何かを握られていて動けない」のではなく、本当に単なるスポーツバカなのではないか?とすら思えてくる。
このような状況の背景にあるのが、団結・努力至上主義とも言うべき同調圧力フルなスポーツ界の現状なのか、そうではなく日本のスポーツ選手の大半がスポーツのことしか頭にないスポーツバカということなのか、それとも他の何かなのかは定かでないが、何にせよ、JOC会長や五輪担当大臣という、スポーツ界でも屈指の権力を持つ人達が、揃って同調圧力フルな態度を示しているのは確実に健全とは言えない。また、もし日本のスポーツ選手の大半がスポーツのことしか頭になく、分別のある大人としての資質に欠けているのだとしたら、それも健全とは決して言えない。
健全とは言えない選手・団体・組織によるオリンピックに一体何の価値があるのだろうか。それこそ本当に金と面子と国威発揚のためのオリンピックでしかない。そんなことに国の予算が兆単位でつぎ込まれることを黙って見過ごすのは、愚かな人のすることだ。
その内容を吟味せずに「努力すること」ばかり賛美することの弊害、ということも、団結を過剰に賛美することの危険性と同様に、このような話から強く感じるところだが、「努力すること」ばかり賛美することの弊害については、雨宮 処凛さんが相模原事件について書いた「相模原事件、死刑判決。植松被告の「日本滅亡」のシナリオと「カッコ良さ」「頑張り」への過剰な信仰 | 時事オピニオン | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス」にも共通点がある。
投稿が長くなったで詳しくは書かないが、記事の中にこうある。
彼(植松被告)の目に、障害者は「怠けている」ように見えたのではないか。法廷や面会で見た彼の他人への評価基準は「カッコいい」と「頑張ってる」である。トランプ大統領を「カッコいい」と絶賛し、安倍晋三首相について「頑張っている」と支持を表明する。それ以外にも法廷で「頑張ってる」は人を評価する言葉として何度も出た。そこに垣間見えるのは、「頑張り」に対する信仰だ。とにかく頑張ることは尊いこと。そして自分は頑張ってる、頑張ってきた、それなのに全く頑張らない奴らがいるのは許せない、頑張らないのに生きていることが特権的に許されているなんて不公平だ、自分はこんなにも頑張ってきたのに――。
団結や努力の原理主義に陥ることは、ファシズムや独裁に片足をツッコむのと同じだ。
トップ画像は、Photo by Quino Al on Unsplash を加工して使用した。