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画素数だけでカメラ性能は測れない


 待ち合わせ場所には、以前は本屋やCDショップを選ぶことも多かったが、最近は数が減ってしまった。AV機器全般/PC関連商品などが好きで、本屋やCD店以外では家電量販店をよく選ぶ。渋谷ならヤマダ電機かビックカメラ、新宿や秋葉原ならヨドバシカメラだ。新宿だと他にも家電量販店はあるが、最も品揃えが充実しているのでヨドバシカメラを選びがちだ。但し待ち合わせ後の行き先によっては別の店を選ぶこともある。

 カメラ売り場は量販店における巡回場所の一つだが、最近はスマートフォンのカメラ機能が充実した影響で、店頭に並ぶ機種が減っている。店頭に並ぶ機種というか、そもそも各社のコンパクトデジタルカメラのラインナップ自体が減っている。カシオのようにデジタルカメラ市場から撤退してしまったブランドもある(デジタルカメラ生産終了のお知らせ | CASIO)。カシオは、デジカメ黎明期にQV-10という大ヒット商品を世に出した、デジカメ界では老舗のブランドだった(QV-10 - Wikipedia)。


 前述のようにスマートフォンのカメラ機能と競合する状況によって、デジタルカメラ各社はレンズ交換式の高品質機や、レンズ交換式と同等かそれに準ずるサイズのセンサーを採用した高級コンパクト機に活路を見出しており、初心者向け等の、非マニュアル撮影を重視する系のコンパクトデジタルカメラは、防水防滴に優れた機種やスマートフォンにはない高倍率ズームレンズを搭載するなどの一部の一芸に秀でた機種を除けば、最早風前の灯火と言っても過言ではない。


 最近でも大型センサーを搭載するレンズ交換式デジカメの高級機では高画素化は進んでいるが、小型センサーを採用するスマートフォンのカメラもコンパクトデジカメも画素数の多さをウリにすることは殆どない。小型センサー機でも画素数の微増はあるものの、画素数の追求はあまり進んでおらず1500-2000万画素で頭打ちになっていて、その傾向がもう長く続いている。最近は高感度での低ノイズ化、つまり暗い場面でも綺麗に撮影できることや、絞り解放時性能の高いレンズの採用などがアピールポイントになっている。

 自分が初めてデジタルカメラを買ったのは2000年頃で、サンヨーのDSC-X110という機種だった(三洋、記録・再生がより早くなった85万画素デジカメ「DSC-X110」)。その当時はセンサー画素数がデジタルカメラの性能を測る為の大きな指標になっていた。前述のQV-10など、黎明期の320*240ドットの画像を撮影できる30万画素級機からデジタルカメラの普及が始まり、年1回ないし2回のモデルチェンジの度に高画素化が進み、コンパクトデジタルカメラの画素数が初めて1000万画素を超えたのは2006年のことで、奇しくも初の1000万画素越えコンパクトデジタルカメラを発売したのもカシオだった(【新製品レビュー】カシオ EXILIM ZOOM EX-Z1000)。
 それからも数年の間はまだ高画素センサー搭載を売り文句にする状況は続いたが、1/3-1/2型級の小型センサーでは、高画素化が必ずしも高画質化には繋がらない状況、言い換えれば高画素化による高画質化が頭打ちの状況になり、300-500万画素機並みの画像を単に引き伸ばしたに過ぎない程度の画像を生成する、高画素詐欺のような機種も現れ始めた。高齢者をターゲットにした通販番組などでは2010年以降まで高画質を売り文句にするケースはあったものの、コンパクトデジタルカメラの画素数が1000万画素を超えた頃から、画素数の多さだけではカメラ性能は測れないということが徐々に認知されていった。

 画素数だけではカメラの性能を測れない、というのは次のようなことである。
 デジタルカメラが生成する画像は画素で構成されている。この画素とはピクセルとも呼ばれる。例えば、フルHD映像の画素数は横1920*縦1080の画素/ピクセルで構成される為、207万3600画素だ。そして最近普及が進んでいる4K映像は3840*2160で829万4400画素である。
 4Kで記録しても、レンズの性能やカメラの描画エンジンの性能が悪ければ、画質的にはフルHDと変わらないということも有り得る。例えばDVDの映像を、リマスターなど何かしらの手を加えずに単純に4Kに変換したとしても高画質化は望めない。元のDVDでは720*480、34万5600画素で記録されている為、4K映像(3840*2160、829万4400画素)に変換しても、画質はDVDに記録されたものと何も変わらない。つまり高画素化は高画質と単純にイコールではなく、他の条件も満たして初めて高画素化が高画質化に繋がる。

 つまり、高画素機であれば高画質かのように宣伝することは、優良誤認を誘発する恐れがある、ということだ。最近これと似たようなことを言っている人達がいる。しかも政治の世界に。


 政府は、2019年12月の景気動向指数の基調判断はすでに5カ月連続で「悪化」だったにもかかわらず(景気指数「悪化」5カ月連続、リーマン危機以来 :日本経済新聞)、2/20に発表した2月の月例経済報告でも「景気は緩やかに回復している」との判断を示した(景気、統計とズレる回復判断 2月の政府月例経済報告 :日本経済新聞)。


日本では、1月までは新型コロナウイルスの影響はまだ本格化していなかったが、中国では既に流行が起きていて、中国人訪日客の減少や製造業への影響は誰の目にも明らかだったのに。
 彼らが「景気は緩やかに回復している」という見解を示す根拠は、
雇用や所得の環境が底堅く、個人消費は回復傾向にある
という話だったが、雇用が以前に比べて改善したのは生産年齢人口の変化と、不安定な非正規雇用の増加によるもので、必ずしも景気の回復の根拠にはならない。高画素化=高画質化 とは言えないのと同じことだ。
 所得の環境が底堅い?一体彼らは何を以てそう言っているのだろうか。厚生労働省が2/7に発表した毎月勤労統計の速報では、2019年の名目賃金は2018年と比べて0.3%減り、6年ぶりに前年比マイナスだったのに(名目賃金6年ぶり減、働き方改革で時間外労働減る 19年 :日本経済新聞)。個人消費も同様で、内閣府が2/17に発表した2019年10~12月期の国内総生産(GDP)速報値では、個人消費が実質2.9%減と5四半期ぶりのマイナスだった(10~12月期GDP、年率6.3%減 5四半期ぶりマイナス :日本経済新聞)。

 政府が2/20に示した「景気は緩やかに回復している」という話は、高齢者向けの通販番組で、未だに高画素=高画質かのように宣伝しているのと何も変わらない。変わらないどころか寧ろそれよりも酷い。政府の判断が誤りだったことは、今朝の「東京新聞:<新型コロナ>景気6カ月連続「悪化」 1月指数 製造業、先行き警戒感:経済(TOKYO Web)」という記事からも明らかだ。


 突然の休校要請や中韓からの入国規制など、現政権の新型コロナウイルス対策が迷走しているのは、現状を適切に認識する力が大きく欠けている所為、というか寧ろ「ない」所為だと言っても過言ではないだろう。しかも、それらの方針が決められた過程に関する議事録すらないと言うのだ(一斉休校要請決めた会議も「議事録なし」 蓮舫氏「あまりに不誠実」9日参院予算委で追及へ - 毎日新聞)。
 また、内閣官房や厚労省、自民党の公式ツイッターアカウントが、テレビ朝日の朝のワイドショー・羽鳥慎一モーニングショーの放送内容を、相次いで名指しして批判したが、厚労省による同番組への批判には正確ではない話が含まれていたことも話題になっている。
こんな状況なのにも関わらず、「安倍首相が辞することは世界が許さない」などと言っている、元大臣の国会議員が自民党にはいるそうで(安倍首相退任「世界が許さず」 自民・世耕氏、4選に期待:時事ドットコム)、


自民党は最早カルト化していると言っても過言ではないのではないか。

 昨日の投稿でも再び「これまでを批判するのでなく先を見て」のような主張が如何にだ妥当性が低いかを書いたが、この状況を見ても尚そう思える人は、オレオレ詐偽や振り込め詐偽にまんまと騙される典型的なタイプとしか思えない。


 トップ画像は、Photo by Gabriel Gabriel on Unsplash を使用した。

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