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強まるメディアの政府への迎合傾向


 太平洋戦争で日本が敗退を重ねるようになる転換点は、開戦・真珠湾攻撃からたった半年足らず後のミッドウェー海戦だった(真珠湾攻撃は1941年12/8、ミッドウェー海戦は1942年6/5)。今日のトップ画像はその戦果を報じた朝日新聞の記事である。実際は米側の損害よりも日本側の損害の方が甚大であったにもかかわらず(ミッドウェー海戦#損害 -Wikipedia)、記事はまるで日本側が勝利したかのような内容だ。

 日本人の多くは、戦前の日本では報道に対する国による検閲があったことを知っている(日本における検閲 - Wikipedia)。 戦中はそれが厳しくなり、間違いなく情報統制が行われた、ということも知っている筈だ。例えば、ミッドウェー海戦の2ヶ月後のガダルカナル島での戦いでも、日本は敗退を余儀なくされたが(ガダルカナル島の戦い - Wikipedia)、当時の政府は撤退や敗北という表現を用いずに「転進」と表現し、あたかも戦略的撤退、ポジティブな作戦の変更によって、計画通りに島を米側に明け渡したかのように演出した、という話は有名である(転進 - Wikipedia)。


 今、再び日本にそのような状況が生まれつつある。首相や政府が嘘を吐くようになったのも、大手メディアが主体的・直接的に政府を批判・指摘しなくなったのも、もうかなり前からだが、この新型コロナウイルス感染拡大の状況下で更にそれが悪化している。
 NHKは昨日こんな記事を掲載していた。

自民 役員会 「接触削減 議員は地元で徹底を」安倍首相 | NHKニュース / インターネットアーカイブ


 安倍首相が4/13の自民党役員会で、
さまざまな支援を用意したが、補正予算案の成立を急ぐことで準備を加速させたい。休業に対して補償を行っている国は世界に例がなく、わが国の支援は世界で最も手厚い
と述べた、という内容である。同じ事を時事通信も記事化している。

安倍首相、国の休業補償に否定的 緊急事態宣言:時事ドットコム

事業者の休業補償を求める意見があることについて「休業に対して補償を行っている国は世界に例がない」と述べ、否定的な考えを示した。
どちらの記事にも、安倍の言う「休業に対して補償を行っている国は世界に例がない」「わが国の支援は世界で最も手厚い」が事実に即しているかどうかに関する表現は一切ない。果たしてこの発言は事実に即していると言えるだろうか。

 各国が外出禁止や都市封鎖に伴って、どのような対応策、その影響によって収入を断たれる人達へどの様な支援を講じているかはこれらの記事から分かる。
一方で日本では、
という状況だ。
 なぜNHKや時事通信は、

 安倍の言う「休業に対して補償を行っている国は世界に例がない」「わが国の支援は世界で最も手厚い」は事実に即していない、事実と異なる。

と報じることが出来ないのか。この状況に、大本営発表をそのまま垂れ流すだけに成り下がった戦中の日本のメディア、を想像するのは不自然だろうか。自分には全くそうは思えない。


 また、3月の頭にテレビ朝日・羽鳥慎一モーニングショーの番組内容を、あたかもデマかのようにSNSで主張したものの、最終的にはそのデマという指摘の方が妥当性を欠いていた、という事案(厚労省、マスクの優先供給「行った」は“言いすぎた表現”。名指しで指摘したテレ朝『モーニングショー』に担当者が釈明と報道 | ハフポスト)を犯した厚労省のツイッターアカウントが、4/12に再びこんなツイートをした。


このツイートからスレッド化されている厚労省側の主張を読んでも、厚労省が言っている「正確ではありません」は、単に「我々の見解では」という程度に過ぎず、事実と異なっていると断定できるような要素が提示されているとは全く思えない。つまり「正確ではない」と断定できる要素が提示されているとは言えない。「正確ではない」という断定こそが正確ではない
 そもそも、昨日の投稿でも触れたように、厚労省は、首相が3月冒頭に突如要請を出した全国的な臨時休校に伴って、収入減少を余儀なくされた人達への助成や支援の対象から、風俗業で働く人達を除外するという職業蔑視を公然と示した。また、政府もフリーランスへの支援を当初は否定し、それに対して批判を受けた後もフリーランスへの支援を被雇用者向け支援の半額に留めており、雇用形態による差別を撤回していない。そんな状況でよくもこんなことを胸を張って言えるな、という感しかない。


 更に、BuzzFeed Japanも残念だ。BuzzFeed Japanは以前からファクトチェック記事に力を入れてきたWebメディアなのだが、厚労省が3月にモーニングショーの放送内容をデマ扱いした件のファクトチェックもしていないし、4/12のツイートに関してもファクトチェックの対象にしていない。
 同メディアに属する岩永 直子記者と千葉 雄登記者は、新型コロナウイルス感染拡大が始まって以来、厚労省や政府専門家委員会の所属者に対する取材を元にした記事を複数書いている。それらを読んでいて感じるのは、彼らの中に存在する「厚労省の言う事だから概ね間違いはない」「政府専門家委員会の言う事だから概ね間違いはない」という認識だ。そのように指摘すれば彼らは恐らく「そんなことはない、是々非々で記事を書いている」と主張するだろうが、自分には全くそんな風に見えない。
 岩永さんは、3月頭に厚労省がモーニングショーの放送内容をデマ扱いした件について、こんな風にツイートしている。


「いい加減な情報を流して国民の不安を煽るメディアへの反論はどんどんやれ」とあるが、自分には、BuzzFeed Japanこそがそのようなメディアに成り下がっているように思えてならない。
 BuzzFeed Japanがファクトチェックに力を入れているなら、厚労省のツイートに関してもチェックを入れるべきだし、この投稿の冒頭で触れた首相のあまりにも実状とかけ離れた発言も厳正にファクトチェックすべきだ。紹介したNHKの報道がされてから既に12時間が経過しているが、これに関する記事は今のところ、BuzzFeed Japanには掲載されていない。


 BuzzFeed JapanだけがWebメディアではないが、BuzzFeed Japanは日本で最も有力なWeb企業の一つ、ヤフージャパンとも関係のある有力なWebメディアであることは事実で、且つこれまでは比較的政府への批判を厭わない姿勢だった。この新型コロナウイルス感染拡大の影響によって、既存メディアだけでなくWebメディアにも政府への迎合傾向を強めている媒体がある、と言っても決して間違いではないのではないか。
 こんな状況であることから、1938-1941年感が徐々に社会を多い始めていると感じている。当時は検閲もあってそういうことになったが、現在は少なくとも制度的な検閲は存在していない。なのにこのようなことになっているなら、当時よりも現在の方が更に性質が悪いのではないか。

 最後に、その内容全てに賛同するわけではないが、政治学者で日本思想史を専門とする中島 岳志さんの主張を紹介しておく。



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