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意向に沿わない声は「右から来たものを左へ受け流す」政治


 2006-07年に、ムーディー勝山さんという芸人の「右から来たものを左へ受け流す」というネタが一世を風靡した。1980年まで一般的だった所謂昭和のムード歌謡風の、中身の殆どない歌詞の歌をただただ歌うというネタだった。「ムーディ勝山#持ち歌 - Wikipedia」を見ると、他にも似たネタが複数存在するようだが、お笑いにそれ程強い興味があるわけではない自分が覚えているのは、「右から来たものを左へ受け流すの歌」だけで、他はどれも内容が連想できなかった。



 この投稿の冒頭でなぜ「右から来たものを左へ受け流す」に触れたのかと言うと、昨日の投稿でも触れた、呑気な首相のあまりにもひどいSNS投稿に対して、SaveOurSpaceというツイッターアカウントが、


とツイートしていたからだ。
  SaveOurSpaceとは、新型コロナウイルス感染拡大に伴って、真っ先に感染拡大源として槍玉に挙げられたライブハウスや、クラブ・劇場など最も早い段階で自粛要請という体裁の反強制がされた業態の関係者、つまり音楽や演劇などの関係者らが休業要請によって被る損失への補償・支援を求めて賛同・署名を募る為に立ち上げられた活動である

SaveOurSpace|note


 SaveOurSpaceは3/31までに30万の署名を集め、4/2にその署名と嘆願書を国会に提出している(イベント事業者への税制支援策は有効か? 補償なき「自粛」が生む窮状 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン))。

 SaveOurSpace以外にも、4/9の投稿で触れたように、3/27には、有力なクラブDJらが中心となって官房長官へ直訴したり、




コロナ感染拡大に伴い、本来閉めるべきクラブやライブハウスが思いきった措置が出来ないまま時間が過ぎていく中で、有志で思い立ち、昨日は共産党の小池晃さん、吉良よしこさん、そして無所属の寺田学さんに今の状況を伝えてきました。今日は更に、官房長官に直訴してきました。本来閉めるべきこうしたお店が経済的な理由で営業停止でない現状に対し、何らかの補償を検討してもらえないのか、切実な訴えを伝えてきました。 この後の記者会見で官房長官は、「雇用維持と事業継続のための緊急対応、経済活動の回復に向けた思い切った措置を検討しており、事業継続に困難を抱えた方はできるだけ支援する」と語ってくれましたが、補償の確約には至りませんでした。現在補償を必要としているのは音楽業界だけではないことから、今後も根気よく声を上げていかなければなりません。そのために世論を味方につけなければいけません。その方法は模索中ですが、なるべく多くの人たちと協力し合っていければと思います。
DJ Nobu(@dj_nobu_ft)がシェアした投稿 -

 また、ライブハウスやクラブの次に槍玉にあげられた、音楽ではなく接待飲食の方のクラブやキャバクラ等の経営者らも、自民党へ陳情を行っていたし(4/9の投稿)、首相が3月冒頭に突如要請を出した全国的な臨時休校に伴って、収入減少を余儀なくされた人達への助成や支援の対象から、風俗業で働く人達が除外されたことに対して、性風俗従事者の労働環境改善に取り組む団体・SWASHも、それに対する不満を要望書にして厚労大臣らに宛て提出している。

コロナ支援金の風俗従事者への不支給問題について | SWASH


 このように当事者が声を上げることは無駄だ、とは全く思っていないが、SaveOurSpaceの「私たち30万の声が届いていますか?文化の尊さを知っていますか?」というツイートを見て、まず自分の頭に浮かんだのは、
沖縄県民投票の顛末を知っている筈なのに、なぜ声が届くと思ったの?
あいちトリエンナーレに対する国の姿勢を知っている筈なのに、なぜ今の政権が文化の尊さを理解していると思ったの?
だった。
 2019年2/25の投稿でも書いたように、2019年2月に沖縄県で行われた「普天間基地の辺野古移設に関する県民投票」では、有権者の52%が投票し、辺野古移設反対が投票数に対して70%を超えた。有権者数115万3000人に対して、票数にして43万4000票が沖縄県民の民意として示された。また、その前年に行われた翁長沖縄県知事の死去に伴って実施された県知事選でも、辺野古移設反対を掲げた玉城 現沖縄知事が、辺野古移設に関する姿勢を明確にしなかった自民党公認候補を退けている。玉城知事の得票数は39万6000票だった。さらに、2019年4月に行われた沖縄3区衆院補選でも、辺野古移設反対を明確に示して選挙戦を戦った屋良 智博氏が、自民党で沖縄北方領土担当大臣も務めた経歴のある島尻氏を下して当選している(屋良朝博氏が当選確実 衆院沖縄3区補選 辺野古新基地に反対訴え | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス)。
 沖縄県民は県民投票では当然のこと、それ以外でも明確に、普天間基地の辺野古移設反対を何度も示しているが、現首相は「寄り添う」「真摯に受けとめる」などと言うだけで、辺野古移設撤回どころか一時的な中断にすら応じていない。この1点だけを考えても、現政権に対してどんなに声を上げようが、現政権の意向に沿わない声であれば、右から左へ受け流される、ということは誰の目にも明白だ。「自分達の声だけは受け入れてもらえる」というのは全くの勘違いである。

 声を上げる人達の行為は全くの無駄だ、と言うつもりはない。受け入れられなくても声を上げ続けることは、受け入れない側の怠惰さや無情さを明らかにするに必要で、確実に意味がある。しかし、もしこの新型ウイルス感染拡大の影響を受けて声を上げている人達が、「沖縄の声は無視されたが、私たちだけは受け入れてもらえるはず」と思って声を上げているのだとしたら、それは大きな間違いだ。
 また、今声を上げている人達は総じて、沖縄の声に対して無関心だった、と断定することはできないが、沖縄の声を政府が再三にわたり無視してきたことを、自分も含めて日本国民が多かれ少なかれ軽視してきたことには違いない。沖縄のことを自分事ではなく他人事と思っていた部分が確実にある筈だ。でなければ辺野古移設反対を叫ぶ人はもっといたはずだろうし、沖縄の声を受け入れない政府を構成する自民党が、昨年・2019年の参院選で与党になることもなかったはずだ。


 また昨年夏のあいちトリエンナーレ・表現の不自由展に対する国の態度を見れば、今の政権が文化の尊さを理解している、してくれるなんて全く期待できない、ということも、彼らが自分達の意向に沿わない声を右から左へ受け流すであろうことと同様に、誰の目にも明白だったはずだ。
 以前から自分はこのブログで、1から10まで全て指摘・批判が必要なことばかりしている政権に対しては、各業界が「自分達への補償・支援を」などと訴えるよりも、速やかな退陣を訴える方が間違いなく合理的である、と主張してきた。早くそれに多くの人が気付いて欲しいと思うし、早く多くの人が気付かないとどんどん傷口が広がる一方で、後始末がどんどん大変になるだけだと思っている。


 トップ画像は、‎"右から来たものを左へ受け流すの歌"をiTunesで の画像を使用した。

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