自動車のドアは基本的に進行方向側にヒンジが付いていて、逆側が開くようになっている。しかし1960年代以前のクルマには逆向きにドアが付いている車種が結構あった。日本車では、この方式のドアを採用している車種の代表的な例として、日本での自動車普及に大きな役割を果たした大衆車/軽自動車初期の傑作の1つ、スバル 360がある(スバル・360 - Wikipedia)。
現在でもロールスロイスが一部の車種でこの逆開き・スーサイドドアを採用しているが、進行方向と反対側にヒンジを設けると、走行中に何かのはずみでドアが開いてしまった場合、風圧でドアが更に開き、走行速度によってはドアが吹き飛ばされる恐れがある、などの理由で現在は一般的でない。その為1970年代以降は採用する車種が殆どなくなっていった。当時はまだシートベルトも一般的でなく、ドアが開いてしまうと乗員の落車の危険性が高まるからとか、事故に繋がりやすいことなどが、逆開きドアを、自殺ドアという意味のスーサイドドアの名で呼ぶ由来だという話をよく聞く(スーサイドドア - Wikipedia)。
因みに以前は同じ理由で、ボンネット(エンジンルームのフード)も、所謂ハコスカと呼ばれる1698年デビューのスカイラインなどのように(日産・スカイライン#3代目_C10型(1968年-1972年) - Wikipedia)、車両前方側にヒンジを設ける車種が相応にあった。しかしこちらはメンテナンス作業をする際の利便性が重視され、フロントガラス側にヒンジを設けるのが主流になっている。WRC/ラリー世界選手権などを見ていると、車両前方を何かに接触させてしまった場合などにボンネットが開いてしまい、フロントガラスにボンネットが被さった状態で、僅かな隙間から前方を覗いて走る車両をたまに見かける。そのような場面を目の当たりにすると、スーサイドドアが廃れたのは理にかなっているようにも思う。
安倍首相が突然示した、「布マスク2枚を各世帯に配布」というあまりにも馬鹿げた感染症拡大防止対応策は、国内では当然のこと、海外でも「アベノミクスがアベノマスクに」と幾つかのメディアによって皮肉を込めて報じられた。
From Abenomics to Abenomask: Japan Mask Plan Meets With Derision
それ以降、流石に目にする頻度はかなり減ったが、それでも今もまだ、「政府や首相は最大限の努力をしている。批判よりも連帯を」という主張がしばしば目に入ってくる。
数日前に、YAWARAや20世紀少年など数々のヒット作を生み出してきた漫画家の浦沢 直樹さんが、「布マスク2枚を各世帯に配布」と言い出したのと同時に急に小さいサイズの布マスクをつけ始めた安倍氏の似顔絵に、#アベノマスク というハッシュタグを付けてツイートしたことに対して、「首相を馬鹿にするとは何事だ、けしからん」などの趣旨の批判が集まっていた。というか批判ですらない中傷も多く見られた。
それに対してこんな見解を示した人もいた。
左の絵を描いた漫画家さんが炎上しているとのことですが明らかに右の美化され過ぎた安倍首相よりは遥かに実物の安倍首相に近いと思うがね。批判している人は「似ている」ことが不満なのだろうか🙄 pic.twitter.com/b3hY7IO9hY— Siam Cat_036 (@SiamCat3) April 3, 2020
一応説明しておくと、左に浦沢さんのイラスト、右に自民党が参院選を前提に行われたキャンペーン・#自民党2019の中で公開した、ファイナルファンタジーのイメージ画で知られる天野 喜孝さんが描いた、本人には全く似ていない侍のイラストに「安倍 晋三」とキャプションが付けられた絵がある(2019年5/3の投稿)。
このツイートを見て自分は、「政府や首相は最大限の努力をしている。批判よりも連帯を」と言っている人達は、首相を美化しないことが不満なんだろうと強く感じた。つまりその種の人達も、どちらが実態に近くどちらが現実離れしているか、は薄々理解しているのだろう。
未だに「政府や首相は最大限の努力をしている。批判よりも連帯を」などと言っている人達は、かなり恵まれた環境にいるのだろう。個人事業主として生計を立てている自分は、2月の後半から新しい仕事が全く入らなくなった。3月の中頃まではそれまでに進めていた仕事がまだあったが、先月の終わりから仕事が殆どない。このままでは何かバイトでも始めないと生活が成り立たない。感染症収束の目途も全く分からないし、収束したら即仕事が元に戻るのかと言えば、間違いなくそんなことはないだろう。つまり1月以前の状況が戻ってくるのはいつになるか分からない。それでは家賃を払う見通しも立たないので、今の賃貸を引き払って一旦実家に身を寄せることを本気で考えている。
自分の今の家と実家の距離はクルマで1時間程度だし、独り身なので自分の都合だけ考えて全てを決めることが出来る。だが、世の中には自分のように、この状況によって収入に不安を抱え、頼れる実家も遠く、また家族や子どもなども抱えていて、簡単にそのような決断ができない人も多いだろう。そんな状況で「政府や首相は最大限の努力をしている。批判よりも連帯を」などと言える人がどれほどいるだろうか。言えるならかなりのお人好しだし、そんな風に考えることは、自分には最早緩やかな自殺行為のようにすら感じられる。
つまり今もまだ「政府や首相は最大限の努力をしている。批判よりも連帯を」などと言っている人は、かなり恵まれた環境にあり、危機感もなく、状況の緊急性を理解していないと言っても過言ではないだろう。
自殺行為と言えば、休校解除も自殺行為かもしれない。昼のニュースで「各地の学校で入学式が行われた」と伝えていたが、
規模縮小の入学式…新入生の晴れ舞台 首都圏で工夫
運動場や教室で入学式 全国各地で感染対策
毎日感染者数が増加する中で、そして外出自粛を要請する程の状況で、そして緊急事態宣言を行う方針がほぼ固まるという状況の中で、何故休校要請だけが解除されたのか全く理解に苦しむ。一部自治体での休校延長は報じられているが、全国的には解除の方向は変わっておらず、それによって各地でこんな風に入学式が行われ、授業も再開されるそうだ。
新型コロナウイルスによる感染症は、感染後数日の無症状期間があると言われている。この1-2週間後に惨状が広がらなければいいのだが、惨状が広がるまで判断ミスに気付かない・認められないのが日本の国民性なのかもしれない。いや、過去の戦争や、ブラック校則がなかなかなくならないことを考えると、惨状が広がっても尚「決まったことだから」と盲目的に突進するのが日本の国民性なのかもしれない。
緊急事態宣言を明日出す方針を政府が固めた、という報道もなされている。
安倍総理 緊急事態宣言への意向固める
では、その緊急事態宣言がなされると一体何が変わるのか。次のテレ朝ニュースの記事によれば、
外出自粛はあくまで“要請” 強制力、罰則もなし
- 対象となった都道府県の知事は外出の自粛を要請できる
- あくまでも要請で、強制力はない
- ヨーロッパなどでの罰則を伴う外出禁止令やロックダウン(都市封鎖)とは異なる
- 公共交通機関を強制的に止めることもできない
- 映画館などの人の集まる施設については使用制限を指示できる
あまり意識せずに普段から用いているが、「緊急」とは、
重大で即座に対応しなければならないこと。また、そのさま。という意味らしい(緊急(キンキュウ)とは - コトバンク)。昨日の投稿で、 本来自発的に取り止めることが自粛なのに、他者にそれを促される・要請されることを意味する「自粛を要請」は、日本語として矛盾した表現だ、と書いた。実態は今と何も変わらないので、明日政府が宣言するという「緊急事態宣言」も、「緊急」の定義とは異なり矛盾していると言わざるを得ない。
また、相変わらず自民党は、緊急性を理解していないようにしか思えない。それは昼のニュースで報じられたこれに起因している。
減収世帯への給付金など柱に 緊急経済対策も大詰め
大仰に緊急経済対策などと題しているが、 その会議の実態はこんな状況だ。
感染拡大防止の為に外出を自粛しろ、人混みや濃厚接触を極力避けろと政府や自治体が呼び掛けている中で、与党の会議はこの状況だ。
現時点で最も感染者数の多い米国で、新型コロナウイルス対応の陣頭指揮をとる国立アレルギー感染症研究所のアンソニー ファウチ所長が4/4の記者会見で、
他人とは約1.8m以上の距離をとるように改めて訴えたと、朝日新聞が昨日報じていた。
「人と1.8メートル空けて」米国の対策トップが強調 [新型肺炎・コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
BuzzFeed Japanは4/2に「【写真】なるべく密集しないように!新型コロナで変わる記者会見の様子、各国比較」を掲載しており、極力人と人の距離を取る対策が各国で行われていることを紹介している。ハフポストも3/31に「テレビ収録や取材現場、新型コロナ対策はどうなっているのか。「変革すぐにやらないと間に合わない」と演者から警鐘の声も」という記事を掲載している。また、テレビの生放送番組でも、その頃から出演者の距離を大きくとるようになった。しかし与党の今朝の会議ではそのようなことが全く考慮されていない。
これでは、外出自粛や濃厚を避けようという呼びかけや要請に説得力が感じられない、政府や与党に危機感、緊急性に関する妥当な認識が欠けている、と言われても仕方ない。
果たしてこんな政府や与党は「最大限の努力をしている」と言えるだろうか。そもそも、努力だけで認めてもらえるのは学生の内だけだ、と教えられて自分は育ってきた。勿論その話にも是非はあるだろう。しかし、今政府や与党が最大限の努力をしているなんて全く思えないし、努力していたとしても結果が伴わないならば、努力が足りないとも言えるだろう。つまり、努力しているから批判するな!なんて話は全く容認できないし、今それを声高に言うのは、ハッキリ言って自殺行為に等しい。
トップ画像は、Photo by Clem Onojeghuo on Unsplash を使用した。