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「#自民党2019」プロジェクトのキナ臭さ


 5/2、ツイッターを眺めていると #自民党2019 なるハッシュタグがトレンドに上がっていた。一目で「参院選に向けた戦略の一つなんだろう」ということは察しがついたが、初見では大して気にも止めなかった。しかし、昨日の投稿でも、彼が書いた記事に触れた、東京工業大学の社会学者・西田 亮介さんの次のツイ―トや、ファイナルファンタジーのアートデザインで知られる天野 喜孝さんが書いた侍のイラストに、「第二十一代・第二十五代 自由民主党総裁 安倍晋三」とキャプションされた画像についてのツイートがいくつかタイムラインに流れてきたこともあって、「おや?」と感じた。
とりあえず西田さんのツイートにあるリンクを辿り、共同通信の記事を見てみたのだが、何とも言えないキナ臭さが感じられた。


 自分は現自民政権に懐疑的、と言うか寧ろ全く信用していない。何故ならこれまでに首相を始めとしてあまりにも嘘が多すぎるからだ。(4/2の投稿4/12の投稿参照)。ハフポストは4/30に「英国人ジャーナリストが語る「統計不正」の本質 問題はなぜ解決しないのか?」という記事を掲載した。フィナンシャル・タイムズ元東京支局長のデイヴィッド ピリングさんへのインタビュー形式で、昨年末に発覚し(2018年12/29の投稿)、2019年初に注目を集めた(1/27の投稿)、厚労省の毎月勤労統計調査に関する不正発覚に端を発し、複数の省庁で不適切な統計が行われていた問題、所謂「統計不正」について、背景や要因を解説する内容の記事だ。それはとても丁寧な説明なのだが、自分に言わせれば「統計不正」の本質とは、
都道府県の6割以上が新規隊員募集への協力を拒否している悲しい実態がある」という、恣意的な解釈を堂々と繰り広げる首相が束ねる政府なので、起こるべくして起きたこと
であり、それ以上でもそれ以下でもない。首相の当該の主張が何故恣意的、と言うより嘘と言えるのか、については2/15の投稿2/19の投稿で既に詳しく書いているのでそちらを確認してほしい。「統計不正は現政権以前からあったのだから、現政権だけの責任ではない」という声もあるだろうが、6年もの長期政権の中で、しかも何かにつけて政治主導を叫ぶ政権なのに、各省庁の不正にこれまで気付かなったのだとしたら、それだけで責任は重大と言わざるを得ない。何より不正は現政権が自ら発表し発覚したのではない。以前から行われていた不正だとしても、6年も続いている政権がそれを正せず従前通りに続けていたのは、つまり現政権も同じ穴の狢だったから、というのが自分の認識だ。
 2012年の政権交代が実現しておらず、その後数年間民主党政権が続き、その過程で同じことが起きていれば、自分は間違いなく民主党政権を批判するし、「統計不正は現政権以前からあったのだから、現政権だけの責任ではない」と今現在言っている人達も、十中八九民主党政権を批判した筈だ。


 自分はそんな考えを持っているので、ツイッターのフォローも現自民政権に懐疑的な傾向の人が多数を占めている。自分のタイムラインに流れてくるツイートは、彼ら自身のツイート/リツイート、彼らがいいねしたツイ―ト、彼らがフォローしている人のツイートなので、所謂フィルターバブルの影響でどうしても現自民政権に懐疑的な主張が多くなりがちだ。
 タイムラインに流れてくるツイートを見てみると、ニュース記事や誰かのツイ―トを鵜呑みにして論じているように見えるツイ―トも多いのだが、#自民党2019 について論じるならば、とりあえず実際にどんなキャンペーンなのか、どんな情報発信がされているのかを確認する必要がある。それをしなければ大きな間違い・レッテル貼りをしてしまう恐れがある。ということで検索をしてみたところ、「#自民党2019」プロジェクト なるサイトを公開していると分かり兎に角覗いてみた。
 その率直な感想は、

#自民党2019は中身が全くない

だ。

 次の画像はそのサイトのトップページである。


トップページなので、キャッチコピーがこれでもかと羅列されていてもそれ程大きな違和感はない。
 このコピーだけを見ても若者をターゲットにしたキャンペーンであることが推測できる。「世界中の人と仲良くなりたい」としつつ、韓国との関係を悪化させているし、「もっと自由にして欲しい」「自分らしくいたい」としつつ、伝統的な家族観を重視する傾向が強く、「壁なんていらない」としつつ、同性婚も選択的夫婦別姓も認めようとしていなかったり、「政治がもっと生活の一部として親しまれる」としつつ、選挙毎に投票率が低下するなど、ツッコミどころ満載ではあるが、あくまで理想論だと思えば、政治家は自民党に限らず美辞麗句を並べがちだし、現自民も選挙の度に美辞麗句、中には羊頭狗肉の政策を並べてきたので、ある意味通常運行とも言えそうだ。

 右下にメニューがあり、トップページが表示されるHOMEの次にあるのはFILMという項目である。これをクリックするとサイトに埋め込まれたYoutubeのムービーが再生される。再生されるのは次のムービーだ。



このムービーも、まるでミュージックビデオのようなイメージ映像だけで構成された内容で、トップページで表示されるコピーを十代と思われる若者の演者らに言わせる演出になっている。少し前に国民民主党も、テイストは異なるが大して中身のないTVCMを作っていた事や、これまでの政党CMなども勘案すれば、それ程違和感のあるものでもないが、この自民のムービーは子どもをダシにしているようにも見える為、そこからナチス・旧ソ連や北朝鮮の独裁者らが子供に好かれる総統・指導者・将軍様という人物像を作ってきたことが思い出され、何とも言えないキナ臭さを感じる。




 次の項目ARTをクリックすると表示されるのが、懸案の天野 喜孝さんが書いた侍のイラストだ。


上の画像がまず表示され、画面をクリックすると下の、真ん中のキャラクターだけが強調されると共に「第二十一代・第二十五代 自由民主党総裁 安倍晋三」というキャプションが表示された画像になる。「新時代の幕開け」というコピーや、現自民の大好物の一つに明治維新がある事を勘案すれば、「未来を切り開く侍、それが安倍晋三」のようなニュアンスなのだろう。しかも侍風のキャラクターが7人であるのを見ると、黒澤 明監督の名作「七人の侍」もモチーフにあるようにも感じられる。
 七人の侍の舞台は戦国時代だし、同作品の7人の侍の中に女性はいなかったし、キャラクターのデザインから判断すると明治維新・江戸後期でもなさそうだし、あくまで色々な要素にインスピレーションを得て描かれた架空のイメージなのだろうが、逆に言えば、大して中身のない架空のイメージでしかない。
 自民党選挙対策委員長・甘利衆院議員も、自身のサイトのコラムの中で、
 世界的に有名な「ファイナルファンタジー」シリーズのキャラクターデザインで知られる天野喜孝氏も参画頂きました。「新時代を切り拓く7人の侍」のキャラクターデザインを引き受けて頂きました。自民党の7人の政治家が7人の侍の姿となって新時代を切り拓いていく劇画、そんなイメージキャラクターを墨絵で描いて頂きました。天野氏が墨絵で書かれた作品はこれが初めてかもしれません。真ん中に立つのは言わずと知れた安倍総理です。我々の決意が一枚の水墨画になります
としている。つまり当該イラストから自分が感じたニュアンスに、大きな間違いはないということのようだ。興味深いのは引用した部分の甘利氏の最後の一言「我々の決意が一枚の水墨画になった」で、これが彼らの決意ならば、彼らが決意したのは、大して中身のない単なるイメージを使った得票・支持率アップを目論むことなのだろう。もっと皮肉を込めて言わせて貰えれば、彼らの決意とは、総裁に侍、というか寧ろ浪人のコスプレをさせることだったのかもしれない。

 この項目にはまだ続きがあり、右の矢印をクリックするとイラストを描いた天野 善孝さんの紹介とインタビューが表示される。


 天野さんのインタビューの中に「こうやって仕事をしてみるとやはり政治とアートは繋がっている」とか、宮廷画家云々、「印象派ぐらいから自由に描けるようになった」などの話があるのだが、彼の書いたイラストからは政治的な意図が全く見えないのは興味深い。また、それ以降に続く話も新元号やファンタジー・冒険など、抽象的な話しかなく、所謂政治的な主張は、この絵には全く込められていない事が窺える。恐らく彼は、現首相・総裁を偶像的に見栄え良く書く為の、現自民政権の宮廷画家にでもなったつもりなのだろう。


 次の項目VISUALとVOICEは、それぞれ同キャンペーンのインスタグラムアカウントや、自民党広報のツイッターアカウントの紹介、#自民党2019 というハッシュタグの紹介でしかないので割愛するが、ここも特に何か公約や党方針をアピールするような内容にはなっておらず、これらのページも中身があると言える内容ではない。

 最後の項目PROJECTは、本で言えばあとがきのようなページである。そこには次のように書かれている。

わたしたち自民党は、 国民のみなさんと一緒に新しい時代をつくっていきたい。
みなさんの声にもっと耳を傾け、 今まで以上に直接的な対話をしていきます。
それが「#自民党2019」プロジェクトです。
政治というものが、 音楽やアート、ファッション、エンターテインメントなどと同じように、
暮らしの一部として親しまれ、 この国を豊かにしていく。
まずは、あなたの声を聞かせてください。
みなさんの声にもっと耳を傾け、今以上に直接的な対話をしていきます」とあるが、4/23の投稿でも書いたように、沖縄県民がこの半年間だけでも、まず2018年9月の県知事選で、そして2月の県民投票で、更に4/21に投開票が行われた沖縄3区衆院補選で、つまり3度も明確に普天間基地の辺野古移設反対の意思を示したにもかかわらず、首相や現自民政権は「結果を真摯に受け止める、沖縄県民に寄り添う」などと口では言うのに、一向に移設工事を中止しないし、中止しないどころか議論の為に一時的に中断することすらしない。これを目の当たりにした上でこの文言を信じられる人の目は節穴だとしか言いようがない。
 つまり、「#自民党2019」プロジェクトとは、音楽やアート、ファッション、エンターテインメントなどの手法を用いた政治的なプロパガンダの一種であると言えるのではないか。個人的にはナチスが映画やファッション(制服)そしてオリンピック等を用いた露骨なイメージ重視戦略・プロパガンダを展開し、都合の悪い部分を覆い隠したのを連想してしまう為に、冒頭でも示した何とも言えないキナ臭さを感じる。


 西田 亮介さんは次のようにもツイートしていた。
確かに話題になったという意味で言えば、「#自民党2019」プロジェクトは公開初日にして既に成功したとも言えそうだ。
 昨今、所謂いい加減なまとめサイトやフェイクニュース、ミスリードを厭わない怪しげなニュースサイトなど、情報の質にかかわらず兎に角話題に上って注目を集めさえすれば収入に変換できるという状況がある。政治家でも、暴言と注意を受けての謝罪・撤回を繰り返す麻生氏や維新・足立氏のような者が目立ち始めており、注目を集めさえすればよいという風潮は確実に政治の世界にも表れ始めている。
 民主主義という制度下では、結局は国民・市民がそれをどう判断するのかということに尽きる。しかし肝に銘じておかなければならないのは、ナチスもイメージを重視した宣伝活動を繰り広げ、その結果民主的な手段で独裁体制を確立しているという事実だ。4/20の投稿でも触れたように、ナチスはそれ以外でも使えるものは何でも政治的に利用し、それを支持に繋げた側面が確実にある。

 このように書いていると、「自分がこんなブログ投稿を書きそれをツイートすることも、#自民党2019 が話題になる、注目を浴びることに一役買ってしまっているのではないか」とも感じられ、寧ろ無視した方が、スルーした方がよいのではないか?とも感じる。しかし一方で、問題がある事が注目を浴びるというのも至極自然であり、おかしいことにおかしいという為にはそれに触れなければならないのは当然だ。無視するのは、首相の言葉を借りれば「思考停止」に他ならないだろう。
 自分と違って自民のこのキャンペーンを好意的に受け止めている人がいても、それ自体は何もおかしなことではない。 もしかしたらこのブログ投稿で #自民党2019 を知り、自分とは違う考え方を持つ人もいるかもしれないが、逆に言えば、この投稿を読んで #自民党2019 のキナ臭さを初めて感じる人もいるかもしれず、話題性への加担を恐れ無視するよりも、話題性への加担を厭わずに自分の感じた違和感を表明した方が建設的だろう。

 ただ、4/1に新元号が発表されただけで政権支持率が5-10ポイントも上昇し、この数日間天皇の譲位と改元に浮かれる報道が溢れている今の日本の状況を勘案すれば、既にナチスのように都合の悪い部分をファッションやイメージ性で覆い隠して、特定の勢力が台頭する、と言うか自分達に都合のよい体制を確立できるような条件が既に整いつつあるのではないか、という強い危惧も感じる。

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