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情緒的で論理的思考が苦手な日本人


 その真偽は別として、「日本人は論理的思考が苦手である」と言われている。ロジカルシンキング#日本語と日本人の特殊性との関連 - Wikipedia によると、「こうした主張は英語やフランス語をはじめとする、欧米の言語に堪能な明治時代の日本の知識人によって主張され、志賀直哉等の日本語不要論に展開する議論の一部となってきた」そうで、その発想の根源は凡そ、日本語で書かれた文章が、他の言語による表現に比べて抽象的で曖昧であることが多い、ということにあるようだ。

 同ページには「こうした考え方について反論する論者も多い」ともあるが、昨今の日本の社会・政治情勢を見ていると、「日本人は論理思考が苦手である」という話への反論には説得力が感じられない。つまり、
日本人は論理思考が苦手
としか思えないようなことばかり目に付く。また、同ページがその根拠に上げた日本語には曖昧な表現が多いから、という間接的な話だけでなく、根本的に矛盾していて論理性に欠けた言説を、メディアが平気で批判せずに紹介したり、政治家が平気で主張していることを考えると、同ページの論は全く充分に検討されていないと言わざるを得ない。
 個人的には、特に福島原発事故以降、特に安倍自民政権成立以降、特にこの数年、特に新型コロナウイルス感染拡大以降、その傾向が強まっているように思えてならない。そう感じる根拠となる事例は枚挙に暇がなく、全てを挙げようとしたらキリがない。なのでこの投稿ではごくごく直近の例だけを挙げることにする。


 シンガポールのブラックボックス・リサーチとフランスのトルーナが共同で実施した、23の国と地域を対象にした、それぞれの指導者の新型コロナウイルス対応の評価を尋ねた国際比較調査で、日本は最下位だったそうだ。

日本の指導者、国民評価で最下位 コロナ対策の国際比較:時事ドットコム


 日本で政権の対応を高く評価した人の割合は全体の5%だったが、他の地域での評価は
  • 中国 86%
  • ベトナム 82%
  • ニュージーランド 67%
  • アメリカ 32%
  • 韓国 21%
  • フランス 14%
  • 香港 11%
だったそうだ。香港は日本に次いで評価が低かったそうだが、香港は昨年、半年以上も反政府デモが続いたし、同じ様な結果だったフランスも、2018年から2019年にかけて、大規模な反政府デモがあった。日本政府はそんな背景のある国の政府による対応の半分も評価が得られない、という結果だ。

 リーマンショック以上の経済的損失も予想される間違いなく有事と呼べる状況下で、そんなにも驚異的に評価されていないのが、日本の現政権・安倍自民党内閣なのだが、共同通信が先週末に行った世論調査によると、

安倍内閣支持率41.7%、ほぼ横ばい | 共同通信

安倍内閣の支持率は前回4月調査より1.3ポイント増の41.7%で、ほぼ横ばい。不支持は43.0%
という結果だったそうだ。読売新聞の世論調査や、産経新聞とフジテレビの調査でも似たような結果が出ている。

安倍内閣の支持率、横ばい42%…読売世論調査 : 世論調査 : 選挙・世論調査 : 読売新聞オンライン

読売新聞社が8~10日に実施した全国世論調査で、安倍内閣の支持率は42%となり、前回調査(4月11~12日)と同じだった。不支持率は48%(前回47%)

緊急事態宣言延長、80%が「評価」 支持率は微増 産経・FNN合同世論調査 - 産経ニュース

安倍晋三内閣の支持率は前回調査比5.1ポイント増の44.1%、不支持率は2.4ポイント減の41.9%で、2カ月ぶりに支持が不支持を上回った。
3つの調査の中で、唯一支持が不支持を上回るという結果だった産経・フジの調査の中には、「新型コロナをめぐる一連の政府対応について」という設問に関する記述もあり、
新型コロナをめぐる一連の政府対応について「評価する」の回答は前回調査(4月11、12両日実施)比で7.7ポイント増えたものの36.4%にとどまり、「評価しない」が57.0%(前回調査比7ポイント減)と半数以上を占めた。
と、時事通信が記事にした、国外の調査会社が行った日本政府対応の国民による評価の調査結果と大きく数字が異なるのも興味深い。

 このような結果を見ると、日本メディアによる調査に果たして信憑性があるのかどうか、も怪しく感じられ、そもそも日本のメディアは既に政府の「アンダーコントロール」なんじゃないのか?と疑いたくもなる。そういう思いを込めて、5/10の投稿に掲載したこの風刺Remixを作った。



 もし、シンガポールのブラックボックス・リサーチとフランスのトルーナの調査にも、共同通信や読売新聞の調査にも問題がないのだとしたら、

 日本人のおよそ35%もの人が、政権の新型コロナウイルス対応を評価していないのに、未だに政権を支持している

ということになる。東日本大震災や福島原発事故や、リーマンショックのような、というか、収束の目途が立っていないことを考えると、それ以上の有事とも言える状況であるのに、対応を評価しないのに政権を支持する、という論理的に破綻しているとしか思えない人が、およそ35%も存在しているのだとしたら、「日本人は論理的思考が苦手である」と言っても過言ではないだろう。


 但し、新型コロナウイルス対応を評価しない、と、政権を支持する、は絶対に同時に成立しないこととまでは言えない。新型コロナウイルス感染拡大が、東日本大震災や福島原発事故や、リーマンショックと並ぶ、若しくはそれ以上の有事であっても、それへの対応の低評価を補って余りある強みさえあれば、勿論そんなことはかなり考え難いが、両者は同時に成り立つ可能性もある。
 では、この状況下で現政権は、新型コロナウイルス対応以外に何をしているのか。それは先週末にツイッター上で

 #検察庁法改正案に抗議します

というハッシュタグで大きな話題になった、検察官の定年を65歳に引き上げ、内閣の判断により検察幹部の「役職定年」を延長することを可能とする検察庁法改正案の可決成立を目指しているのである。これに賛成している人が果たしてその35%なのだろうか。もし提出されている改正案の内容を精査した上で、これに問題がなく、しかも新型コロナウイルス対応の低評価を補って余りあることと判断し、ウイルス感染拡大への対応は評価しないが政権を支持する、という人が全体の35%もいるのなら、やはり「日本人は論理思考が苦手である」と言っても過言ではないだろう。

 政府や与党も、「日本人は論理思考が苦手である」と言っても過言ではないことの裏付けをしている。朝日新聞は

検察庁法改正、内部に異論「唐突な印象」 成立急ぐ政権:朝日新聞デジタル


という記事を掲載した。記事には、#検察庁法改正案に抗議します の盛り上がりへ自民党幹部が示したとする見解も書かれている。
11日の自民党役員会では「1人が何回もツイートできる」と異論の「大きさ」に懐疑的な見方が出たという。党幹部の一人は「1人が100万の声をでっちあげられる世界。批判どうこうという話ではない」として、週内の衆院通過をめざす考えを強調した。
自民党に所属する官房長官・菅氏は、4/13の会見で、首相がSNSへ星野 源さんが公開した動画に便乗し、自身が自宅でくつろぐ様子を公開したことについて(4/12の投稿)、緊急事態に首相が家でくつろいでいてどうする? お前はルイ16世か!などの批判が集まったことについて、
いろいろな見方があると思うが、(首相のツイッターで)過去最高の35万を超える『いいね』をいただくなど大きな反響があった。なかなか(政府の発信の)手の届かない若者にSNSでの発信は極めて有効だ
と反論した。

首相ツイートは「35万を超える『いいね』。発信は有効」、菅官房長官会見詳報 - 毎日新聞


1人が100万の声をでっち上げられる世界なのに、同党所属で政権の顔役である官房長官が、35万もの評価を得たと誇らしげに語っている。その自民党幹部とやらは、菅氏のこの見解に対して苦言を呈したのだろうか。そんな話には間違いなくニュースバリューがあるが、実際には一切報じられていない。つまり、「自民党は総じて、少なくとも幹部は論理的思考が苦手」と言っても過言ではないだろう。

 菅氏自身も、昨日・5/11の会見で、検察官の定年を63歳から65歳に引き上げる検察庁法改正案に「抗議します」とのツイッター上の投稿が急増していることについて、

首相、検察庁法改正は「今国会で」 菅官房長官、抗議の意見は「承知」 - 毎日新聞

インターネットなどでの意見は承知しているが、政府としてコメントは差し控えたい
と言っている。自分達に都合がいいと「35万の評価を得た」とネットの意見を引き合いにし、都合が悪いと「ネットのことだからコメントは控える」と言う。全く論理性に欠けた話でしかない。
 それは安倍も全く同じである。これはテレビの報道番組や映画、ドキュメンタリーを制作している有志で始めた映像プロジェクト・Choose Life Project がツイッターで公開した、5/11の国会審議を抜粋した動画だ。


 この動画を見ればわかるように、懸案の検察庁法改正法案は、国会議員による議員立法ではなく、国家公務員の定年を65歳へ段階的に引き上げる国家公務員法改正案と一緒に束ねるという手法で、政府によって提出された法案であり、行政府の長である安倍は法案を提出した側の責任者であるのに、自分に都合の悪いことを聞かれると、
国会がきめること、国会において議論していただきたい
などという言い逃れをする。確かに法案を”審議”する主体は国会と議員であり、審議日程を決めるのも建前上は国会だ。だが日本は議院内閣制であり、国会運営は安倍が総裁を務める与党・自民党が握っている。つまりこんなのは詭弁、答弁拒否と言っても過言ではない。
 この件に関する安倍の論理破綻は他にもある。安倍はこのように都合の悪い事に関しては「国会が決めること」と言い逃れるくせに、昨年・2019年12月の臨時国会閉会に際した首相会見で、
憲法改正はたやすいことではないが、私の手で成し遂げていきたい
と発言した。憲法の改正こそ、本来それに縛られるべき首相の手で成し遂げるようなことではなく、建前だけでも「(国民の代表である)国会が決めること」というスタンスでなくてはならないのに、あからさまに首相という立場で旗を振る(2019年12/10の投稿)。これが自民党大会のような場での発言なら、自民党総裁としての発言という主張も理解できる余地はあるが、都合が悪いと「国会が決めること」と言うくせに、本来国会が決めることでなくてはならない憲法については、首相という立場で改定の旗をブンブンと振り回すようでは、

 日本の首相は論理的な思考が出来ない

と思われても仕方がないし、そんな男に7年以上も首相をやらせているのだから、日本人は概ね論理的思考が苦手だと言われても反論できない。


 余談ではあるが、Choose Life Project の動画にもあるように、安倍は検察庁法改正法案に対して示されている懸念に関して、
内閣による恣意的な人事が今後行われるといったご懸念は全くあたらない
と言っているが、検事長の定年延長を、一方的な解釈変更によって、しかも口頭で決済するということを既にやっているのに「懸念は全くあたらない」なんて、誰が信用できるだろうか。子どもが口の周りにクリームをべったりとつけながら、「僕ケーキなんて食べてないよ!」と言っても、信用できないのと同じである。


 トップ画像は、ElisaRivaによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

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