スキップしてメイン コンテンツに移動
 

情緒的なだけで、責任感なし、気を付けろ。警告、覚悟


 少し前から「エモい」という言葉が若者言葉として取り扱われている。エモいの「エモ」はemotion / emotional のエモであり、つまり感情的 / 情緒的 のような意味合いだが、昨今このエモいという表現は、ジェネリックな「ヤバい」のように多用される。「エモいね~」と言っておけば取り敢えず格好がつくような、社交辞令的というか、最早相槌を打つように使われている。

 「エモい」という表現を聞くたびに、マライア キャリーのエモーションズを思い出す。1991年にリリースされた、デビューアルバム・マライアに続くセカンドアルバムであり、また同アルバムから最初にシングルカットされた同名の曲でもある。


自分が洋楽に興味を持ち始めた頃のヒット曲で、印象に残っているからこの曲のことを思い出すのだろう。

 「エモい」という表現が若者言葉として、大手メディア等でも取り上げられ始めたのは比較的最近のことなので、新しい表現だと思っている人もいるかもしれないが、決して最近の言葉ではなく、自分の記憶が正しければ少なくとも20年前には既に使われていた表現だ。
 90年代パンク/ハードコアで、メロディーラインが印象的な曲やバンドのことを、日本ではメロコアと呼んでいたが、その種の音楽は emotional hardcore / emocore とも呼ばれていた。明確な定義がある音楽のジャンルではないが、日本では特に、悲し気な所謂泣きのメロディーを持つ曲や、その種の曲を多く作るバンドを指してエモコアと呼び、「あの曲(バンド)、エモくね?」のような表現が、少なくとも1990年代後期には用いられていた(Emo - Wikipedia / エモ - Wikipedia)。


 なぜ今日の投稿の冒頭の話題を「エモい」にしたのかというと、それは毎日新聞がこんな記事で、首相が事実よりも情緒に偏った表現ばかり用いてると指摘していたからだ。

「空前絶後」「一気呵成」…なぜ情緒的で大げさなのか 首相のコロナ語録 - 毎日新聞


 見出しに用いられている文言は、安倍が5/25の会見で用いた情緒的な表現だが、この男が情緒的な表現に偏った演説をするのは決してその会見だけの話ではない。それはコロナ危機以前からだし、自分は3/15の投稿で、3/14の会見と取り上げ、
安倍氏は相変わらず決意表明や具体性を欠く情緒的な話に終始し、ひと言で言えば「首相のお気持ち表明会」若しくは「やってる感のアピール大会」をしただけ
と批判した。

 5/25の会見は緊急事態宣言の解除に伴う会見だったが、その中で安倍は、
日本ならではのやり方で、わずか1か月半で今回の流行をほぼ収束させることができた
とアピールしていた。一体何を根拠にそんなことを言っているのだろうか。昨日はこんなことが報じられているのに。

北九州市「第2波の入り口に立っている」 感染経路不明の陽性者が増加、市長が警戒呼びかけ | ハフポスト

武蔵野中央病院でクラスターか 職員3人の新型コロナ感染を確認 | ハフポスト


 そもそも、日本ならではのやり方で事態を収束させられたのなら、他の国から強く称賛され、ノウハウに関する問い合わせが殺到しているだろうが、そんな話は全く聞こえてこない。日本の対応を評価すると言っているのは、金を払えば何らかの箔付けをしてくれると噂されているモンドセレクションのような状態になっているWHOぐらいではないだろうか。

 ハフポストは昨日、韓国版からの翻訳記事であるこんな記事も掲載していた。

派遣医療者に2〜3万円の危険手当も、元々所属する人にはなし。韓国の病院で労組が劣悪な環境や格差を訴えた【新型コロナ】 | ハフポスト


 見出しの通り、韓国のある病院労組が、コロナ危機対応について、劣悪な環境や格差のある状況で対応を強いられている、と訴えているという内容だ。
 韓国に対して異常なまでに対抗心を燃やして対立する現政権は、充分な環境と報酬を提供しているのか、と言えば、前述の通り、東京の病院で再び院内感染が疑われる事態になっていることを考えると、決してそんなことはなさそうだ。対抗心を燃やし対立するくせに相手を反面教師にすることもしない。日本の有権者はなんて体たらくな政権に国を任せているのだろうか。

 しかも今朝こんなツイートがタイムラインに流れてきて驚いた。


現政権は、というか首相は、相応の環境を提供する、報酬を用意するのではなく情緒的なパフォーマンスで誤魔化そうとする。敬意と感謝は相応の代償で示すのが妥当だ。自衛隊機飛ばす予算は無駄でしかない。クソの役にも立たない。
 しかもテレビ局や一部のWEBメディアはこんなクソパフォーマンスにブチ上がって、中継などしている。 3/15の投稿で、奈良の大仏は疫病を鎮める為に、当時の指導者によって建立された、という話を紹介したが、日本人のメンタリティーは今も大して変わっていない。この国は古代中世から実質的に進歩していないのかもしれない。


 更に驚くのは、「自由な議論できなくなる」という理由で、政府はコロナウイルス対策専門家会議の議事録も作っていなければ、録音もしていない、という話だ。

コロナ専門家会議、議事録作成せず、録音もなし。内閣官房「自由な議論できない」【新型コロナ】 | ハフポスト


 どんな話を参考に政府が対応を決めたのか、その根拠が全く分からない、ということである。そんな決定によって対応させられる医療関係者は、自衛隊機の展示飛行で敬意と感謝を感じるだろうか。感じられるのだとしたら、それは相当なお人好しで、最早愚かと言うべきレベルである。
 また、今後第2/3波も予測されているのに、どんな経緯で対応が決まったのかが分からなければ、これまでに犯した失策と同じ過ちを繰り返しかねないし、そのしわ寄せを受けるのは現場だ。
 そもそも政府は3月に、

「歴史的緊急事態」指定表明 新型コロナ、会議の記録義務化―安倍首相:時事ドットコム


と自ら宣言しているのに。


 もしこの体たらく政権の下で、運よくコロナ危機を乗り越えられたとしても、この政権に国を預けていたら、どんどん国の制度、信用、そして国民の生活は破壊されるだろう。そう適切に指摘も出来ずに、情緒的な策に乗るメディアもかなり危険である。

ブルーインパルスが東京上空を飛行 多くの人が同じ空見上げる / Twitter


このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。