スキップしてメイン コンテンツに移動
 

AV女優は「女優」です


 小説、ドラマ、映画、ゲーム、中には事実に基づいて作られる物語もあるが、その多くはフィクション、つまり創作である。分別のある大人はフィクションをフィクションとして楽しむ。バックトゥザフューチャーを見て、実際にデロリアンはタイムマシンに改造できると考える人は、決して多くない。タイムマシンが実現していない現時点でその様に捉えてしまう人、フィクションが創作であることを理解出来ない人は、バックトゥザフューチャーを見るべきではない。

 映画やゲームなどでは、PG12やR18など、年齢による視聴・プレイ制限を設けている。法による規制の場合もあるし、業界における自主規制の場合もあるが、どちらにせよそれらの規制は、分別が充分に備わっていない若年者が見ると何か勘違いを起こすかもしれない、という懸念から設けられている。
 フィクションの中には、してはならないことをする人がよく登場する。例えば街中でレースをする人、麻薬を売り買いする人、人の物を壊す人、暴力を振るう人、銃を乱射して人を沢山殺す人など。現実同様にそれらの行為が否定的に描かれることもあるし、ある部分だけを見たら肯定しているように見える場合、全面的に娯楽として描き全く否定していない場合など、その描かれ方は様々だ。大抵の場合、後者に寄れば寄るだけ対象年齢は高くなる。それは、見る側に「それはフィクションであり、決して真似してはいけない」という理解と、万が一真似した場合に責任を負えることが求められるからだ。


 2018年1/11の投稿の中で、黒岩 揺光さんというフリーライターが書いた記事「日本のお笑い界に「人権感覚」を求めることは、八百屋に魚を売れと言っているようなものです。」に対する批判をした。
 この記事は2017年末特番の中で、ダウンタウン・浜田 雅功さんが顔を黒く塗って、俳優のエディ― マーフィさんに扮したこと対して、「欧米では顔の黒塗りは黒人差別とされておりタブーで、人権感覚に欠けている」という批判が起きたことに関する記事で、黒岩さんの論調は見出しの通り、日本のお笑い界に「人権感覚」求めても無駄だという批判である。
 彼はこの記事の中で、
人を叩いたり蹴ったりする暴力が容認されるという面でも、日本のお笑い界は世界でもとても珍しい空間だ。私は15歳で渡米し、浜田が松本を叩くように、向こうの同級生の頭を親しみを込めて叩いたら、激怒された。が、友人に突っ込むことがすでに習慣付いていたため、この癖を完全に治すまでに数年かかった。
としている。だが、芸人が舞台やテレビの中でやっているのは芝居だ。つまり彼は芝居を芝居と理解できなかった、と告白しているに過ぎない。暴力的なシーンは全年齢対象のドラマや映画の中にもあるし、格闘技・武道系スポーツなどは当然子どもでも見ることが出来る。単にフィクションが創作であることを理解できなかった自分の責任でしかない。強いて言えば、彼に「テレビやお笑いを真似て人を叩いてはいけない、あれは信頼関係がある前提で行われている」ということを、しっかり教えてくれなかった親や先生を恨むべきであって、その責任を日本のお笑い界に求めるなんて責任転嫁もいいところだ。


 先月、テラスハウスというリアリティーショー番組に出演していた、木村 花さんが亡くなった。自殺とみられている。番組の放送内容を背景にした誹謗中傷が彼女を苦しめていた、と言われている。

「テラハ」木村花さん死去の波紋 リアリティー番組の作り方はこれでいいのか:東京新聞 TOKYO Web


 リアリティーショーは決してリアルじゃない。事実に基づくテレビ番組はドキュメンタリー、若しくはノンフィクションに分類される。リアリティーショーが描くのはリアルでなくリアリティーだ。つまり真実ではなく「真実っぽいこと」である。そこには間違いなく何らかの演出が含まれる。同番組に関しても演出があった事が伝えられているし、日本以外でもリアリティーショーの出演者が自殺してしまうケースが多いとされている。

“強制わいせつ事件”も起きていた【テラスハウスの闇】 木村花さんを追い詰めた「過剰演出」と「悪魔の契約書」 | 文春オンライン


 この件に限らず昔から、俳優が演じた役と同一視されて嫌悪の対象にされるということはしばしば起きてきた。特に悪女を演じる女優はその対象にされやすい。男優にもそんなケースがないわけではないが、女優に対するバッシングの多さを考えると、そんなところにも日本社会の男尊女卑傾向の強さを感じてしまう。


 昨日こんなツイートがタイムラインに流れてきた。



 見ず知らずのアダルトビデオ女優へ「エッチしたいです」「中出しや」などとメッセージを送り、自分の期待する返答がないと「AV女優って言うわりにはサービスわりいな なんか、がっかりした」と言っている者への怒りが込められたツイートだった。

 「AV女優」の女優って意味が分かってないからこんな愚かなメッセージを送れるんだろうな、としか思えなかった。ストーリーもののアダルトビデオで描かれるのは間違いなくフィクションで、女優は役を演じる。アダルトビデオの中には、物語のある作りではなくリアリティーショー/バラエティー番組風な作りの作品もある。所謂企画ものと呼ばれる種類のAVだ。だが、そこに出演している女性もほぼアダルト”女優”であり、つまりそこでの振舞いはほぼ脚本に沿った演技だ。だから彼女ら総じてAV「女優」と呼ばれる。

 アダルトビデオで描かれるのは虚構の世界で、出演しているのは「女優」、そして作中での振舞いは「演技」

ということを理解出来ない人はアダルトビデオを見るべきではない。 だから18歳未満お断りの世界である。もし18歳以上でも、それが理解出来ない人にはアダルトビデオを見る資格がない。


 最後に、2017年12/18の投稿「大宮の火災から考える風俗産業」の中でも書いたことをもう一度言っておきたい。

 男性の多くは、小学校高学年から20歳ぐらいまでの間に異性に対する性的な興味を持ち始める。そして、エロ本なのかDVDなのか、ネットの画像なのか無料動画なのかは分からないが、少なくとも1度は商業ベースのポルノ作品の”お世話”になるだろう。
 客として風俗店を利用した年配の男性が、風俗嬢に「こんな破廉恥なことして恥ずかしくないのか!親が泣くぞ!」と説教するという、よく聞くネタ話がある。風俗店に積極的に性的サービスを受けに来ている自分を棚に上げて何言ってるんだよ(笑)、と誰もが思う滑稽な話だ。この話を滑稽だと感じるなら、AVや風俗店のお世話になっているのに、AV女優や風俗嬢、制作者や経営者を汚いとか卑しいなどと見下すことも滑稽だとわかるはずだ。
 だが、何故か一般的にはそのような認識が薄く、日本人の特に男性にはAV女優や風俗嬢を見下す者が少なくない。その大多数がAVを見てオナニーしているのに。大抵の男性はAV女優や風俗嬢に感謝こそすれ、見下すなんて間違ってもできない筈だ。風俗に行って性欲を満たしたりAVを見てオナニーしつつ、風俗嬢やAV女優を見下すということは、日本の男性にはネタ話の説教客のような者が多いということだろうか。

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。