スキップしてメイン コンテンツに移動
 

風刺とは何か


 トップ画像は、中学高校の世界史の教科書でもよく見かける、明治時代に日本で活動していたフランス人画家・ジョルジュ ビゴー(Wikipedia)が描いた、日清戦争に関する風刺画だ。この風刺画は2019年7/19の投稿「悪化する日韓関係、漁夫の利を狙う第三国」でもトップ画像に用いたが、何故だか最近その投稿が再びよく読まれている。

SNSに風刺画や「枕営業」…伊藤詩織さん中傷の漫画家ら提訴:東京新聞 TOKYO Web


 元TBS記者の山口 敬之氏から性暴行を受けたと被害届を出したが不起訴とされる一方で、「望まない性行為で精神的苦痛を受けた」として損害賠償を求めた民事訴訟では、請求が認められた伊藤 詩織さんが(元TBS記者の山口氏が控訴 伊藤詩織氏の一審勝訴受け:朝日新聞デジタル)、ツイッターでの悪質な書き込みやイラスト投稿で名誉を傷つけられたとして、漫画家のはすみ としこさんと、彼女の投稿をリツイートした男性2人に損害賠償請求などを求め、提訴した。
 はすみさんは「風刺画はフィクションで実際の人物や団体と関係ない」と説明している。これに対して、一部で「風刺とは権力に向けるものだ」という趣旨の主張が行われている。


 このツイートはほんの一例で、風刺+権力でツイート検索すると、同様の主張が多く見られる。個人が「風刺は権力に向けるべきもの」だと考えることを否定するつもりはない。誰かが自分にそのようなルールを課すことは当然あってもいい。だが、果たして本当に風刺は権力に向かってしか成立しないものなのだろうか。


 幾つかのWeb辞書などで「風刺」を検索してみた。

 風刺(ふうし)とは - コトバンク

  • 個人の愚行,政治の欠陥,社会の罪悪などに対する批判や攻撃を,機知に富んだ皮肉,あざけり,あてこすりなどの形で表現した詩文。
  • 人間の愚かさや誤りを痛烈に指摘して正す一手段
  • 現実の社会や個人に対する批判的・攻撃的な精神の表現

風刺(ふうし)とは何? Weblio辞書

  • 文章、絵画、イラスト、漫画、演劇、映像などの手段を使って、特定の対象の愚かしさや馬鹿馬鹿しさなどを、間接的に表現したり、嘲笑したりすること。
  • 他のことにかこつけるなどして、社会や人物のあり方を批判的・嘲笑的に言い表すこと。

風刺/諷刺(ふうし)の意味 - goo国語辞書

  • 社会や人物の欠点・罪悪を遠回しに批判すること。また、その批判を嘲笑的に表現すること。

風刺 - Wikipedia

  • 風刺とは、何らかの実在の対象(たとえば具体的な人物、組織、国家など)の欠点や愚かしさを暴きだす表現手法である。文章、絵画、劇、映像 等で使われる。

Satire - Wikipedia

  • Satire is a genre of literature and performing arts, usually fiction and less frequently in non-fiction, in which vices, follies, abuses and shortcomings are held up to ridicule, ideally with the intent of shaming individuals, corporations, government, or society itself into improvement.(風刺とは、文学や芸術の一ジャンルであり、概ねフィクションであり、ノンフィクションは稀である。悪徳、愚行、罵倒、欠点を嘲笑の対象とし、個人、企業、政府、社会そのものに恥をかかせて改善を促すことを目的とする)
このように、風刺について「権力に向けられなければ風刺として成立しない」と説明している解説は1つもない。
 トップ画像で持ちいたビゴーの風刺画も、決して権力批判の為の漫画ではなく、国際情勢を分かりやすく描いているだけである。また、例えば有名人などの、一概に権力者とは言えない者の不道徳な行為なども風刺の対象になり得るし、白人至上主義などは権力者でなくとも賛同者/参加者は風刺の対象になるだろう。つまり、風刺は決して「権力に向けられなければ成立しない」ものではない


 しかし、「だから風刺ならどんなことを描いても、表現しても責任を問われない」ということにはならない。その風刺が著しく合理性に欠けていれば、当然誹謗中傷にもなり得る。
 もし、風刺なら一切責任を問われない、フィクションだとすればどんな表現も問題にならない、ということになってしまうと、例えば気に入らない飲食店があったとして、その店に関する根も葉もないネガティブな噂をどれだけWEB上/SNSに投稿しても、どれだけ言いふらしても、その種の張り紙を店の周辺に多数貼っても、当事者が「あれは風刺だ。あくまでフィクションである」と言い張るだけで何の責任も問えないことになる。果たしてそんな話が通ってしまう社会は健全と言えるか。勿論言える筈がない。

 つまり、風刺は決して「権力に向けられなければ成立しない」ものではないが、風刺であれば一切の過失を問われず免責される、という免罪符でもない

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。