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NHK(日本偏見協会)


 米国で警察官が黒人男性を圧死させたことに対するデモ、警視庁の警察官が渋谷でクルド人男性を不当に拘束し暴力を振るったことに対するデモに関する報道や、SNSへの投稿を見ていて、特に米国での事案に関して、報道機関が「各地でデモ、一部が暴徒化」と一様に速報してたことに、強い違和感を覚えたのは6/1のことだった。

  6/1に自分はこんな風にツイートした。


 確かに米国の一部では暴動が発生していたが、6/1の時点で既に、暴動はごく一部であり、大半は平和的にデモが行われていると、SNS上や米報道機関などで多く指摘されていた。その後は暴力的な抗議に対するカウンター行動まで起きていて、デモに紛れて破壊や略奪を行う者が平和的なデモ参加者によって取り押さえられる様子、暴力行為を煽る者が排除される様子などが多くSNSへ投稿された。
 デモ参加者ではなく警察による暴力行為の方が問題視されている、というのは既に先週末の時点で可視化されていた。例えばこの記事のように。

75歳のデモ参加者が警官に押され転倒、頭部から流血。知事は「全くもって恥ずべきこと」 (Black Lives Matter) | ハフポスト


 「これでわかった 世界のいま」という、国外の政治/社会情勢を扱うNHKの報道バラエティー番組がある。この番組の6/7の放送は、
白人の警察官に拘束された黒人の男性が死亡した事件をめぐって抗議デモが続くアメリカ。一部が暴徒化し略奪や破壊活動も。過激化するデモの背景に何があるのか詳しく解説。
という内容だった。同日放送回の内容について、番組のツイッターアカウントが次のアニメーションを投稿したことが強く批判される事態となり、同アカウントは当該ツイートを削除した。


 黒人=暴力的という偏見を強く印象付ける表現、という指摘が批判の大半だった。
例示した記事にもあるように、駐日米国大使までが非難する事態となっている。


 同番組は当該ツイートを削除すると共に、ツイッターへ次のように投稿、そして番組Webサイトへ謝罪文を掲載して、一応謝意を示してはいる。


だが、「掲載にあたっての配慮が欠け、不快な思いをされた方にお詫びいたします」という表現からは、不快な思いをさせたから謝るだけ、つまり自分達の表現が必ずしも間違っていたとは言えない、もっと厳しく言えば、間違ってないけど批判されたのでとりあえず謝っておいてやる、のような印象すら覚える。しかしこの謝罪文だけを見れば、それはあくまでも取り越し苦労であって、実際には番組関係者は真摯に反省しているのかもしれない、と思える余地もある。

 だが、その考えは果たしてその考えは妥当だろうか。このブログ投稿を書いている時点で、未だにこんな四コマ漫画が同番組のWebサイトに掲載されたままだ。

週刊Mr.シップ 第二百十回 「 暴徒化するデモ」 | 週刊Mr.シップ | これでわかった!“世界のいま”の今:NHK


 この4コマ漫画が掲載されたのは、問題になったアニメーションを用いた放送回の前日・6/5だ。この投稿の冒頭でも書いたように、それよりも1週間以上前には既に「暴徒化するデモ」は事実に即していないことが分かる状況だった。デモ参加者が暴徒化するのではなく、暴力的な者がデモに紛れ込んで利用する、というのが実状である。
 一応、この漫画の後には、
平和的なデモを行っている人々も、たくさんいるんだヨーソロー。
でも、そんな人々の思いを利用する悪い人たちもいるみたいなんだな。
という文章も添えられている。だが、漫画のタイトルは紛れもなく「暴徒化するデモ」になっているし、漫画の内容も全く実状に即していない。デモ/黒人/抗議活動は暴力的という偏見を強調している、と言っても過言ではないだろう。
 謝罪文掲載後も、この漫画がWebサイトに未だに残されているということはやはり、前述の謝罪文は体裁を繕う為だけに掲載された偽善的なもの、つまり、番組制作側は何が問題で、何について反省しなければならないのかを理解出来ていない、ということを強く物語っている。


 つい2日前に「テレビばかり見ていると馬鹿になる」という投稿を書いたばかりだ。その投稿で批判したのはテレビ朝日、つまり民放局の番組だった。しかし、この「これでわかった 世界のいま」はNHKの番組で、強制的に徴収される受信料、実質的な税金で賄われている。他地域の人の目には、

 日本人はこんな偏見を煽る番組をつくる局に資金提供するような人達

と映ってしまうかもしれない。今回の件に関しては国内でも異論が少なくないが、有耶無耶で済ませてしまえば、そんな認識が更に広がってしまう恐れがある。そう思って自分はこのブログ投稿を書いている。


 このような不適切な報道や番組が放送されたことを理由に「NHKはー」という批判/非難をすると、必ず「NHKにもまともな職員はあるし、まともな番組もある。彼らのモチベーションを削がない為にも、NHKはーという大雑把な括りでの批判はよくない」のような反論がなされる。だが、果たしてそれは妥当な反論と言えるだろうか。
 NHKにまともな職員がいるのなら、なぜこのような番組が放送されるのか。なぜ内部から異論が全く聞こえてこないのか。自分が所属する組織が、こんな偏見を煽る番組を放送したなら、その報道機関に属するまともな者は誰よりも早く、そして誰よりも強く異論を呈するべき立場ではないのか。自分の属する組織の不道徳な行為に対して声を上げない者は、果たして「まともな職員」なのだろうか。
 これは他の媒体やメディアにも言えることだ。というかメディア全体でもそうで、メディア報道に携わる者こそ、メディア業界の不適切な振舞いに対して率先して声を上げなければならない筈なのに、「まともな者もいるので、テレビはー メディアはー という大雑把な括りで批判するのは良くない」という玉虫色の見解を示すだけなのはいかがなものか。確かに報道/表現の自由を維持することも重要だが、その組織/業界に属する者としての責任も同時に重要だ。他人事のような態度は信頼を失うことになる。


 勿論、中には大雑把な括りでいい加減なことを言う者も少なくない。だが、少なくとも自分は、NHKはー テレビはー メディアはー という表現を用いる際に指摘しているのは、それらの組織や業界の傾向についてだ。そこに内在する構造な不適切さを指摘しているのであって、個人を批判しているのではない。
 確かに大きな主語の濫用は妥当性の低い主張に用いられやすいということは認めるが、大きな主語による主張は総じて妥当性がない、というのもまた極端な話だろう。

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