どれだけあがいても埒が明かない状況に追いやられた人が感じるのが”絶望”だ。以前、突然年俸制を導入すると言い始め、単にサービス残業を強要してきた職場に嫌気がさして止めたことがある。しかしその次の職場も、休日出勤上等振替休日なし、残業代一切なしのブラック企業だった。面接の際に話したのは基本給だけで、その他手当に関する説明が一切なかった時点で気付くべきだっただろうが、当時の自分はそれが出来なかった。
ブラック企業に嫌気がさして辞めたのに、次に就職したのもまたブラック企業だった。そこも1年続かずに辞めることになるのだが、その間ずっと「この世にはブラック企業しかない」と思っていた。そしてそこを辞めてからもその感覚は消えていない。
たった2つ、それ以前に働いていた職場でもサービス残業の強要はあったから、厳密には2つのケースだけではないのだが、 主に2つの職場環境だけを理由に、この世には、少なくとも日本にはブラック企業しかない、と決めつけるのはどうかとも思うが、バイトを含めてこれまで労働基準法を厳密に遵守している職場というのに出会ったことがなく、全ては言い過ぎでも、決して少なくない、と言うのは過言ではないだろう。
ブラック企業 - Wikipedia には、
- 新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働・パワハラによって使いつぶし、次々と離職に追い込む成長大企業
- 従業員の人権を踏みにじるような全ての行為を認識しつつも適切な対応をせずに放置している企業
更に言えば、今の日本は政府・行政機関が法解釈を歪曲すること、矛盾した説明をすることにも寛容になってしまっている。今日の投稿は当初、菅官房長官が7/11に北海道千歳市での講演の中で、新型コロナウイルスの新たな感染者が再び増えている状況に関して、
この問題は圧倒的に東京問題と言っても過言ではないほど、東京中心の問題になっていると述べたことについて書こうと思っていた。
菅長官、感染者増は「圧倒的に東京問題」 北海道で講演:朝日新聞デジタル
東京で感染が増えている東京の問題、という趣旨の発言には、夜の街とナイトビジネスをスケープゴートにしているのと同種の問題もあるが、それ以前に、東京で感染が増えている東京の問題であるなら、菅は一体なぜ北海道に行って講演しているのだろう。菅も都内で生活し、都在住者と日常的に接触しているのに、そのような認識を持ちつつわざわざ北海道に行って講演できる感覚は理解し難い。東京で感染が広がっている東京の問題なら、東京から移動しない、という判断をするのが妥当だ。
つまりこの男は、自分や政府に都合の良い政治宣伝・プロパガンダを行っているという風にしか思えない。言っていることとやっていることが矛盾している。
本当はこれについてもっと掘り下げて書こうと思っていたのだが、毎日政府や首相、官房長官、コロナ危機担当大臣、そして与党自民、更には自治体首長らなどの不適切な、というか馬鹿げた言説・言動を指摘しても、一向に事態が改善する兆しすら見えない、という気分になり、書いても無駄、焼け石に水なんじゃないか、つまり絶望を感じ、それで絶望をイメージしたトップ画像を作り、絶望について書いた。
だがしかし、「誰がやっても政治は変わらない」とか「選挙で投票しても何も変わらない」のように、斜に構えても結局は何も変わらない。5/11の投稿でも書いたように、「諦めたらそこで試合終了」である。例えば、ブラック企業に嫌気がさしたなら、その企業が正常化することを諦めて別の職場を探すことも出来る。人間関係も同様で、仕事上の関係だけでなく友人、そして親類、親や兄弟であっても、諦めて付き合いを止める、という選択をすることは出来る。だが自分が日本に住んでいる限り、政府を諦めて税金を払うのを止めるという選択をすることはあまりにも現実的でない。厳密には日本を諦めて他の地域へ移住するという選択肢もあるが、多くの人にとってその選択をするよりも、政治を諦めずに改善を目指す方が間違いなく現実的な選択肢だろう。
政治とは自分の生活の一部、というか寧ろ大部分に関わるものである。政治とは生活と切っても切れない。そんなものを諦めることが果たしてできるだろうか。諦めることは奴隷に成り下がるのと同義ではないのか。
だから自分は、毎日毎日同じ様なことばかり指摘しないとならない状況が続いても、諦めることなくこのブログを書き続けている。勿論嫌気がさすこともしばしばある。しかしだからといって記録を止めることは、都合の悪いことをなかった事にしたい人達の思う壺だ。決して腐らず冷静に声を上げることを止めてはいけない。
日本国憲法第12条には
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。こう書かれているのだから。自由と権利の確保の努力を続け、濫用する国民(権力者も国民の1人である)がいれば、それを批判し濫用を止めさせなくてはならない。
トップ画像は、Photo by Hoach Le Dinh on Unsplash を加工して使用した。