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象徴とその意味、誰もが同じことを感じるとは限らない


 だからそんなブランド買うな!なんて言うつもりは毛頭ないのだが、シャネルを見ると自分はトップ画像のようなイメージを思い浮かべてしまう。それは、創業者のココ シャネルがナチスの諜報活動に関与していたと言われているからだ(「シャネルはナチスのスパイだった」、米発売の新著 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News)。

 他にもナチスを想起してしまうブランドがある。ナチス突撃隊や親衛隊の制服をデザインしたヒューゴ ボス、ヒトラーがフェルディナンド ポルシェ博士に命じて開発させた国民車構想のモデルを戦後に市販してヒットしたフォルクスワーゲンと、博士自身が創業者のポルシェ、そして反ユダヤ主義本を出版し、ナチスとの関わりもあったとされるヘンリー フォードが創業者であるフォードもその一つだ。

 BBCが、フィンランド空軍が鉤十字をあしらったエンブレムの使用をひっそりと中止した、という記事を7/1に掲載した。

Finland's air force quietly drops swastika symbol - BBC News


 フィンランド空軍はこの鉤十字をあしらったエンブレムを1918年、つまりナチスの成立以前から使用していたそうで、だから問題ではない、とこれまで使用を続けていたらしいのだが、最近ひっそりと金鷲のエンブレムに置き換えたそうだ。

 Swastika / 鉤十字 は、そもそもは幸福を意味するサンスクリット語にルーツがあり、インド文化では1000年以上も前から使用されてきたものだが、1900年代初頭に欧米で流行したのだそうだ。1920年にヒトラーがナチ党のシンボルに採用し、その後同党が反ユダヤ主義による虐殺を行った為、現在は世界的に、特に欧米文化圏で反ユダヤ主義/差別や偏見礼賛の象徴と見なされている。
 つまり、鉤十字自体には罪はないものの、ナチが用いた為にイメージが著しく悪くなってしまった、というのが現在の状況である。確かに、ナチ以前からフィンランド空軍が鉤十字をあしらったエンブレムを使っていたのなら、そこに悪意が込められているとは言い難い。だがフィンランドには、第2次世界大戦当時ソ連との間に国境紛争を抱えていた為に、一時的にナチスドイツと共闘した過去もある(継続戦争 - Wikipedia)。その経緯を考えると、フィンランドが積極的にナチの反ユダヤ主義に加担したということはなさそうだが、ナチと共闘した過去のある国の空軍が、鉤十字をあしらったエンブレムを使うことに嫌悪感が抱かれるのは、仕方がないのかもしれない。


 鉤十字に関連してこんな報道もあった。

CNN.co.jp : ピザのサラミでナチス想起のマーク、店員2人を解雇 米


米オハイオ州のピザ店で、サラミを鉤十字を想起させる形に並べたとして、従業員2人が解雇されたという話である。掲載されている動画のサムネイルからも分かるが、
帰宅して妻のミスティーさんとともに箱を開けると、サラミがカギ十字の逆向きの形に並べられていた。
つまり、鉤十字ではなく卍(まんじ)の形にサラミが並べられていたのである。
 日本などアジアの仏教徒の多い国では、仏教のシンボルの一つとして近代以前から卍を使用してきた経緯があり、少なくとも日本では卍と鉤十字は別物という認識が一般的で、同一視されることは稀だし、もし誰かが卍について「鉤十字を想起させるから不適切だ」と言えば、妥当性が低いと考える人が大半だろう。しかし、そもそも卍に対する認知も理解もほぼない欧米社会では、しかも鉤十字に対する嫌悪感が特に強い社会でもあるので、卍について「鉤十字を想起させるもので不適切」とすることには妥当性があると考える人の方が多いだろう。文化や歴史的背景が異なるので、地域的にそのような認識の差が生まれるのは当然だ。


 前述のフィンランド空軍のエンブレムの件を、#BlackLivesMatter の余波と考える人もいるようだが、当事国の米国でも同様の事案が当然ある。

先住民を示すチーム名見直しへ。NFLのレッドスキンズがスポンサーからの要請を受け発表 | ハフポスト


 日本で生活している自分の目線で見ると、レッドスキンという表現が絶対的な差別表現とは全く思えず、目くじらを立て過ぎているようにも思う。ネイティブアメリカンを勇猛の象徴として、チーム名やロゴに使用しているという解釈も成り立つ。

 2018年1/30の投稿で、MLB・インディアンスのキャラクターが取り沙汰されたことについて書いたように、同じ様な件はこれまでにもあって、そちらの投稿でも前段と同様の自分の受け止めを書いた。ただ、当時と今では自分の受け止めも少し変化している。受け止めの根幹にある、過敏になりすぎている、という思いは当時も今も変わらないが、北米社会の歴史、現状に鑑みれば、過敏にならざるを得ない理由もある、とも感じる。
 例えば、現在の日本で旭日旗の利用の妥当性を訴える人達がどんな人達なのか、を考えるとよく分かる。個人的には、旭日旗は日の出をモチーフにした一般的とも言えるデザインでもあり、中国や韓国の人達の一部が放射線状のデザインに対して「旭日旗を想起させる」と言うのも過敏だとは思う。しかし、現在日本で旭日旗を用いる人のタイプは3つに分類することが出来、その内の1つの所為で中国や韓国の一部の人達が過敏にならざるを得ないとも思う。
 現在の日本で旭日旗を好むタイプは、軍事愛好家、ヤンキー文化愛好家、そして排外主義者/差別主義者だ。これらには明確な区分があるわけでなく、どれも旧日本軍の性質に由来するという共通点はあるが、3つ目が最も問題が多い。日本の排外主義者/差別主義者が旭日旗を好む状況が、それに対する嫌悪を高めてしまっている

 レッドスキンという表現や、ブラックフェイスの問題に関しても、そのような表現が絶対的な差別表現とは言えないが、一部の白人至上主義者などが、差別を目的とはしていないという建前で嘲笑や差別の為にそのような表現を用いるケースが後を絶たない為、そのような表現の全てに嫌悪が広がる、という状況があるのだろう。


 勿論、そのような何かを隠れ蓑にした差別や誹謗中傷を野放しにしてはいけないが、しかし現在の象徴的な何かをタブー化したところで、差別や偏見を撒き散らしたい人達は、結局別の何かに悪意を込めて新たに象徴にするだけである、という気もする。例えば、欧米ではナチスを礼賛する内容をSNS等へ投稿することには厳しい制限がある。そうすると新たな隠語が生まれるもので、現在は、Hがアルファベットの8番目であることに因んで、「88」がハイルヒトラーの隠語として用いられているそうだ。
  差別や偏見を撒き散らしたい人ではない別の事例もある。香港では先日、本土当局が香港国家安全維持法を施行したことによって、革命や独立といったスローガンが禁止されてしまった。そこで香港市民は、何も書かれていない付箋による意思表示を始めたそうだ。

革命叫べば逮捕、ならば無言で抵抗 香港人が訴える「目に見えない大切なこと」 - 毎日新聞


 象徴的な何かに制限を加えたくなる気持ちはよく分かる。勿論そこに込められた悪意を批判・非難することには意味がある。しかし象徴を制限しても、そこに込められた意図や悪意が消滅するわけではない。但し、気軽に乗っかる人を抑止することは、象徴そのものを制限することで出来るかもしれない。なので象徴の制限が全く無意味であるとも言い難い。


 やはり大事なのはバランス感覚で、過敏すぎても無頓着すぎても好ましくないだろう。また、ある地域の基準が別の地域で通用するかどうかはケースバイケースだ。短絡的な推し付けにならないように常に気を配る必要がある。

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