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コロナ危機で醸成される、専門家・有識者への不信

 基本的に医者を信用していない。だから風邪を引いたり熱が出たりしても病院にもいかない。事故等でとてつもない痛みや苦しみを伴うような怪我をしたら、流石に世話になるかもしれないが、そういうことでもない限り、今後も積極的に医者にかかったり病院に行くということはないだろう。


 医者を信用できなくなった理由は20代の頃の経験からだ。複雑骨折をして腕にプレートを埋める手術をしたことがある。1年後に骨がくっついたらそのプレートを外す手術を再び受けるということになっていた。だが1年後にレントゲンを撮ってみたら、骨はくっついていなかった。すると医者が、プレートを骨に固定しているボルトを見て「この(骨折部分に最も近い)ボルトの所為かもしれないですね」と言うのだ。それでプレートとボルトを付け直す手術をすることになり、またその1年後に取り出す手術をすることになった。
 しかしよく考えたら、最初の手術をして骨折部付近にボルトを打ち込んだのもその医者だ。その医者のまるで他人事の態度に、「だったら骨が1年でつかなかったのはお前の所為じゃないか」と腹が立った。しかしそんなことを言っても完治するわけでも完治が早まるわけでもなく、結局医者の言う通りに手術を受けた。

 また、仕事の人間関係から鬱っぽくなったことがあり、自殺願望と人間不信に陥ったことがあるのだが、その時かかった心療内科の医師も、人間不信の所為か全く信用することが出来ず、また処方された薬を飲んでもなんの変化も感じられず、この2つの経験から自分の中に 医者=信用できない という認識が出来てしまった。
 世の中にはそんな医者しかいないのか、と言えば、決してそんなことはないとも思うものの、医者は学校の先生と同様に患者が選べるものでもない。病院という単位では選択が可能なものの、多くの人はどんな医者がどの病院にいるのかは知らないものだし、指名して目当ての医師にかかれるものでもない。

 そんな医者への不信は新型コロナ危機で更に拍車がかかった。テレビやWeb/SNS上には、未だにPCR検査の積極的実施を否定する医者や専門家が少なくない。他の国が軒並み積極的に検査を実施て感染者の隔離を成立させている一方で、日本では未だに積極検査の要不要で揉めている。
 また、専門家らが当初「人から人への感染は確認されていない」と言っていたのに、それは数週間足らずで覆されたこと。「満員電車のリスクは低い」などと言う医師がいたこと、政府の専門家会議が2月末に「この1-2週間が瀬戸際」としてからもう半年も経とうと言うのに、その頃よりも状況が確実に悪い事。「発熱から4日間は様子を見ろ」と言っていたのに、いざその間に死亡する者が出たら、そんなことは言ってないと言い始めたこと、感染拡大を防ぐ為に移動の自粛を、と言っていたのに、政府が旅行促進政策を強行しようとすると「旅行は感染を広げない」などと言い始める者が政府専門家会議の長であることなど、医師や専門家への不信の理由は枚挙に暇がない。

 勿論現場で必死に診療/治療に当たっている医師や医療関係者がいることも分かっている。だが、前段で示したような人達が、医師や専門家を胡散臭くて信用ならない存在に貶めている。医師は別としても、そもそも専門家なんてなにかそう称する基準があるわけでもない。一部の人の発言を見て「専門家」を称する人、そう呼ばれる人全般に対する評価をすることには、勿論好ましくない側面もあるものの、例えば痴漢にあった女性が男性不信となり、男性全般を信用出来なくなることや、パワハラを受けた者が人間不信となり、自分以外の誰も信用できなくなることを考えれば、そんな医師や専門家全般への不信が生まれるのも全くおかしいことでもない。

 産経新聞がこんな記事を掲載している。

記者会見の「首相追及」手法に批判の声 「逃げる印象与える狙い」 - 産経ニュース

安倍晋三首相の記者会見などで事前に決められた時間を過ぎても質問を続けようとしたり、首相が回答後も「逃げないでください」などと投げかけたりする一部の取材方法に、有識者や新聞記者OBから批判が上がっている。

なんのかんのと理由を付けて質問に答えようとしない首相や官邸の姿勢ではなく、質問をする側の記者に問題があるとする、全く産経新聞らしい内容だ。
 「有識者や新聞記者OBから批判」とあるのだが、産経新聞が元東京新聞論説副主幹でジャーナリストの長谷川 幸洋のコメントを取り上げている時点で、さもありなん、という感じしかしない。また有識者としているのは国際大の信田 智人教授と名古屋外国語大の高瀬 淳一教授だ。信田氏は

首相が危機的状況だと認識していないように映る

としているが、安倍のみならず現政府は危機的状況だと認識しているようには思えない。実際はそうではないのに映るのではなく、実際にそうなのだとしたらそのように見えて当然である。信田氏は首相が危機的状況だと認識している、となぜ言えるとしているのか、が記事には書かれておらず、根拠を示さずに見解を示した信田氏か、その部分を省いて記事化した記者、掲載した産経のどれか、又は全てに不備があるのではないか。
 また高瀬氏は、

国民の関心が高い案件は無理をしてでも前に出て、説明したほうがいい

と言っているのだが、産経の記者はまるで信田氏と同様の見解を示しているかのように、信田氏の見解に続いて「高瀬氏もーと指摘する」としている。文脈の筋が通っておらず支離滅裂だし、しかも高瀬氏の示した見解についてはその後全く触れることなく、もっと誠実に質問に答えろと安倍に詰め寄る毎日や朝日記者の姿勢を批判しているだけだ。
 産経は今年・2020年10月で全国紙ではなくなるようだが、一応大新聞の一角であるメディアが、イデオロギーの違い以前のこんな支離滅裂な記事を掲載しているという状況が日本にはある。

 有識者とは一体どんな意味か。有識者(ユウシキシャ)とは - コトバンク には、

広く物事を知っている人。学問・識見のある人

とある。 また、識者(シキシャ)とは - コトバンク では、

物事の正しい判断力を持っている人。見識のある人。有識者。

と説明している。つまり有識者とは「物事を正しく判断できる知識を持ち合わせている者」ということになる。
 この有識者という表現も、専門家と共に現政権下でそのイメージを著しく棄損されている。現政権下での有識者会議/政府専門家会議は、軒並み政府に忖度した見解ばかりを示す御用学者らの集まりと化している。つまり物事を正しく判断するのではなく、政府に都合のよい見解を井崎脩五郎式競馬予想的に示すだけの存在だ。井崎脩五郎式競馬予想については8/12の投稿で説明している。

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、各地で不安に駆られて他県ナンバーに私刑を加える集団が現れたり、感染者が出た/出たと勘違いされた飲食店等に投石するなどする者が出たり、他県から帰省した者を排除しようとする動きが出るなどの事案が起きているが、それは政府や有識者、専門家など、本来は信頼できるはずの存在が、おかしな言説を繰り広げることで、信頼を失うことによって、市民の一部がより不安を煽られることで生じている側面もあるのではないだろうか。

 トップ画像は、Photo by Online Marketing on Unsplash を加工して使用した。

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