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女性の権利向上を標榜する人の中にも、色眼鏡をかけている人がいる


 赤いレンズのサングラスをかけて空を見上げると、真昼間でも夕方のような景色が眼前に広がる。厳密には夕焼けとは違う景色だが、ぱっと見は昼の空よりも夕方、若しくは朝焼けに近い風景が見える。これが元になった慣用句に「色眼鏡で見る」がある。能動的又は偶然上辺だけに注目したり、先入観に引きずられるなどして、本質を見誤る又は本質から意図的に目を背けることを意味する表現だ。


 表彰式で女性を起用することに反対する抗議を受けて、8/20、世界で最も有名な自転車レースの1つ・ツールドフランスの主催者が、表彰式で2人の女性が勝者を挟んで立ち祝福することを今年で止めると発表した。

ツール・ド・フランス表彰式、女性2人による祝福を廃止 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 来年からはどうなるのかというと、「表彰されるライダーの片側に女性、その反対側には男性が立つ」ことになるそうだ。
 2018年2/3の投稿でF1のグリッドガール廃止について書いたが、ツールの対応はF1ような全面的な廃止ではなく、これまで女性だけだった祝福役に男性も加わるという措置だ。グリッドガール廃止については、これまで女性が活躍する場だったものを無くすというのは、果たして女性の地位向上になるのか、という疑問を呈した。ツールの件も、これまで2人の女性が活躍出来た場が半分男性に奪われる、という風に見ることも出来るだろう。だが、これまで概ね男性/女性だけと認識されてきた性別について、昨今どちらにも当てはまらない、という3つ目、というか3つにすら線引き出来ないグラデーションのような性の多様さがある、という認識が広まりつつあり、これまで生物学上の女性しかそこに立つ権利がなかった状況から、全ての人にそこに立つ資格が与えられたと考えれば、肯定的に捉えることもできる。

 このことについて、ゲイを公言し一般社団法人fairの代表理事を務め、LGBTに関する情報を発信したり、LGBTを理解・支援する異性愛者・アライを増やすキャンペーンも行っている松岡 宗嗣さんが次のようにツイートしていた。

 この、モーターショーの女性コンパニオンやツールドフランスの表彰式で祝福する女性などは異性愛男性を喜ばせる道具、という考え方には全く賛同出来ない。寧ろ偏見、色眼鏡で女性を見ているのは松岡さんだとすら思う
 松岡さんは、モーターショーの女性コンパニオンやツールドフランスの表彰式で祝福する女性、その種の職業に従事する女性は全て嫌々やらされていると考えているのだろうか。コンパニオンやモデルに憧れを抱いて能動的にその種の職業に就いた女性も確実にいる。そのような女性がこの松岡さんの主張を聞いたら、どのように感じるだろうか。「異性愛男性を喜ばせる道具なんて言われるのは心外だ」と感じる人は決して少なくないだろう。

 今朝、弁護士の中村 剛さんのこんなツイートがタイムラインに流れてきた。

 フェミニストを名乗る人ほど、という部分には賛同しかねるものの、確かにフェミニストや女性の権利向上を訴える人の中にも、このような決めつけをしてしまう人はいる。前段の松岡さんの主張はまさにその例だ。
 また8/18には、社会福祉士で生活困窮者支援ソーシャルワーカーの藤田 孝典さんがこんなツイートをしている。

確かに性風俗産業界隈には、無理矢理働かされる女性、借金を意図的に背負わせられるなどして、働かざるを得ない状況に追い込まれる女性などの問題が確実に存在している。だが、真面目な風俗業者など存在しえない、性風俗産業は卑しい産業、というこの主張は明らかな偏見、そして暴論である。客を相手にする性風俗業界で働く女性、又はアダルトビデオに出演する女性の中にも、間違いなく自ら選択してそれを選んでいる人がいるし、そこで働く女性に少しでもよい環境を、と引退した後に経営などの裏方に携わる女性もいる。そのような人がこの藤田さんの主張を聞いたらどう思うだろうか。「いい加減なことを言わないでくれ」と多くの人が思うだろうし、「卑しいなんて言われる筋合いはない、それは誹謗中傷だ」と感じる人だっているだろう。
 この藤田さんの主張は、間違いなく偏見に満ちている、性風俗業界を色眼鏡で見ている、と断言できる。これで社会福祉士だというのだから世も末という感しかない。

 最後に少し毛色の異なる話も書き留めておく。ベルリン国際映画祭が、2021年から賞を性別でわけないと発表した。

ベルリン国際映画祭、女優賞と男優賞が廃止に。「性別への配慮を促すきっかけになる」 | ハフポスト

 同映画祭も他の映画のコンペティションと同様に、これまで最優秀男優/女優賞を設けていたが、2021年度からは最優秀男優賞と最優秀女優賞を廃止し、代わりに最優秀主演賞と最優秀助演賞を新たに設けるというのである。ツールの表彰式と同様に、これまでの男女という性別のカテゴリーが古くなっているので、性別でカテゴライズしないようにする、という取り組みは評価に値する。
 しかし一方でこのような方針には懸念も感じる。例えば数年前にアカデミー賞が、主演/助演賞の候補にノミネートされた俳優が、2年連続で男女とも白人だけだったことで、激しい批判を受けた。アメリカにおける有色人種差別問題の根深さを考えれば、そのような批判が起きるのも当然のように思うし、偶然を装って黒人が排除されたように見えても仕方がない。女性の権利が男性に比べて低いのは、日本程酷い地域はそれ程多くないにせよ、まだまだそのような傾向が間違いなく世界中にある。もしベルリン映画祭で、純粋に演技の内容だけで評価した結果、2年連続で男性だけ/女性だけがノミネートされるような状況になれば、ベルリン映画祭の選考は性差別的である、という批判を受ける懸念がある。そのような懸念を考えると、最優秀男優賞と最優秀女優賞を廃止し、代わりに最優秀主演賞と最優秀助演賞を新たに設ける、という試みは成功しない恐れもあるのではないだろうか。
 そんな懸念を見越して、男性又は女性に偏った選考がされることはなさそうだが、しかしそれは映画賞の選考として妥当だろうか。それはつまり、男性もしくは女性のどちらか、その年たまたま芳しい演技が少なかった方に下駄を履かせて選考することになる。自分は、それもそれで失礼な話だと思う。このようなことを考えると、過渡期であろう現在、とるべき対応を考えるのはかなり難儀だ。

 現在の男女格差、LGBTの権利が異性愛者に比べて低い状況に鑑みれば、クォーター制のような仕組みが設けられるのもある程度は仕方がないことだと感じるし、今後性別にとらわれずに純粋に内容や能力で評価できる状況が醸成される為の、移行期間には必要なことだとも感じる。だが、クォーター制を導入しても、それをいつ廃すか、どのような状況をクォーター制廃止の条件とするのか、という出口戦略のようなことも、目を背けずにもう今から議論しておく必要があると考えている。
 コロナウイルスへの対応と同じで、出口を上手く用意できなければ、日本のようにより大きな揺り戻しに見舞われてしまいかねない。そんなことにならない為にも、松岡さんや藤田さんのような、偏見に満ちた主張は邪魔でしかなく、彼らのような主張をする人には今一度、男女平等、男女に限らず全ての性の平等とは何か、という根本的なことを、色眼鏡を外して考えてもらいたい。


 トップ画像は、Photo by Steinar Engeland on Unsplash を加工して使用した。

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