スキップしてメイン コンテンツに移動
 

付ける薬がない状態

 なぜこうも毎日全くおかしな話が出てくるのだろうか。共同通信は8/31に「首相、在任中に敵基地攻撃方向性 与党幹部へ伝達、9月前半NSC」と報じた。”安倍晋三首相が自身の在任中に敵基地攻撃能力保有の方向性を示す意向を固め、与党幹部に伝えていた”と言うのだ。


 共同通信は安倍が辞意を表明した8/28の会見直前に、

安倍首相は自民党本部での幹部会合で、辞任の理由について「病気が理由で正しい判断ができなくなる」と説明した。出席した党幹部が明らかにした。

とする記事も掲載している(病気が理由で正しい政治判断できないと首相 | 共同通信)。この2つの記事の内容は間違いなく矛盾を孕んでいる。だが冒頭で紹介した記事には、たった3日前の話と矛盾していることを指摘する旨の記述はない。
 共同通信のこの記事で紹介されているのは自民党本部での幹部会合での話だが、安倍は辞意を表明した8/28の記者会見の中でも、

病気と治療を抱え、体力が万全でないという苦痛の中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはなりません。国民の皆様の負託に自信を持って応えられる状態でなくなった以上、総理大臣の地位にあり続けるべきではないと判断いたしました

と述べており(令和2年8月28日 安倍内閣総理大臣記者会見 | 令和2年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ)、「病気が理由で正しい判断ができなくなる」という理由による辞意を表明した、ということに間違いはない。

 安倍にかんしては、正しい判断が出来ないというのは決して病気が理由ではない。安倍は病にかかわらず正しい判断が出来ない。これまでに安倍が一体どれ程正しい判断をしてきただろうか。コロナウイルスへの対応はおかしなことだらけ、桜を見る会問題への説明も支離滅裂、任命した大臣は何人も辞職をせざるを得ないような状態だった。また7/31に、憲法53条の規定

いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

に基づいて、野党が臨時国会の速やかな召集を要求したにもかかわらず、憲法の規定、理念を無視して今も国会の召集に応じないのは、まさに正しい判断が出来ないの典型的な例である。しかも安倍がこのようなことをするのは決して今年が初めてではなく、2015年・2017年にも同様に国会招集の要求を無視している。

しかも2017年は要求から2ヶ月強後に臨時国会を招集したかと思えば、それを即日解散するという暴挙に出ており、安倍が正しい判断が出来ないのは病の有無にかかわらない、ということはあまりにも明白だ。

 しかも今回は自ら、病を理由に「正しい判断が出来ない」と言っているのに、憲法9条・専守防衛の理念を逸脱する懸念がある敵基地攻撃能力保有を前向きに検討する判断をしている。こんなにも矛盾した話があるのに、何故共同通信は当該記事でそれに触れないのか。共同通信だけでなく、他のメディアも似たようなものだ。

 石垣 のりこ議員の「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」と表現(8/30の投稿)を、一生懸命に批判し糾弾し、議員を辞めろとまで言っていた人達は、今一体何を思うのだろうか。自分には石垣議員の示唆する通り詐病の疑いが、そうとしか思えない程著しく高いとしか言えないじゃないか、としか思えない。病によって正しい判断が出来ないという理由で辞意を表明したのに、その側から憲法の規定に反する敵基地攻撃能力保有の実質的検討支持なんて話が出てくるのだから。
 石垣氏はその件に関して、

とツイートしているが、石垣氏の主張がそれほどおかしくはなくとも、言葉選びへの厳重注意は妥当だろう。だが、ならば同時に安倍の矛盾した姿勢も強く糾弾しなければおかしい。昨今は野党の幹部らがそのような批判を展開しても、メディアは「野党が批判」とまるで他人事な論調で書くだけなので、おかしいのは野党というよりも寧ろメディアの方だろう。確かに言葉選びは配慮を欠いていたものの、野党の女性新人議員はこれでもかという程に糾弾され、安倍のあまりにも矛盾した姿勢には触れもしない、触れたとしても軽く触れるだけなんてのはあまりにもおかしい。メディア、特にテレビは間違いなくそんな風潮にある。

 共同通信の世論調査によれば、そんなおかしな者を総裁に選び続けてきた党に、そのおかしな者の周辺から次の総裁を選ぼうとしている党に、次の衆院選比例代表でまた投票すると48%の人が答えたらしい(次期衆院選「自民へ投票」48% | 共同通信)。もう日本はつける薬がない状態と言っても過言ではない。
 なぜ日本はそんな滅びゆく国になってしまったのか。それはこの7年8ヶ月で、政府関係者がまともな説明や答弁をしないことに、有権者もメディアも慣れきってしまい、それがデフォルト、言い換えれば”おかしくないこと”になってしまったからだろう。この深刻さは計り知れない。

安倍政権の「大きな罪」 野党が批判する「ご飯論法」、閣僚まで広がる - 毎日新聞

だから、ただ何となく・ゆるフワにまた自民党に投票すると答える者が有権者の約半数に達する、のだろうと推測している。バブル後2010年くらいまでを「失われた20年」、リーマンショックと震災原発事故の影響、安倍政権下での貧富の格差拡大などを加味し、2020年頃までを「失われた30年」と呼ぶが、今このおかしさに気付かない国民が半数を占めるのなら、今後も「失われた40-50年」まで日本の状況は変わりそうにない。変わらないどころか更に悪くなる恐れが強い。

 昨夜寝る前にふと思った。北朝鮮の建国前後ってのは、多分今の日本みたいな雰囲気で金正日を賞賛していたんだろうな、と。そんな気がしてならない。当時地上の楽園とも称されていた北朝鮮は、今や世界でも有数の独裁国家だ。もしこの仮説が大きく間違いでなければ、今の日本の大人は子や孫の世代に相当恨まれることになる。「2010年代前後の大人が馬鹿だった所為でこんなに苦労させられる」と。

 トップ画像は、Photo by Jezael Melgoza on Unsplash を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。