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REMEMBER PEARL HARBOR!/ 真珠湾を忘れるな

 日本で70年前の戦争というと、1941年から45年の、日本がハワイのアメリカ軍基地を奇襲して始まった太平洋戦争だけがクローズアップされがちだが、1941年当時の日本は既に、1937年の盧溝橋事件を契機に起こした日中戦争の只中にあった。というかそれ以前の1931年の満州事変の頃から、中国大陸で武力衝突をしばしば起こしていたから、広義での戦争は1941年当時既におよそ10年も続いていたとも言えるだろう。


 70年前の戦争と言った時に、アメリカを相手にした太平洋戦争だけをことさらに取り上げる風潮はどうかと思う。戦争の悲惨さを強調するには、1942年4月のミッドウェー海戦の失敗以降、敗退に次ぐ敗退を続け日本が追い込まれていく様に注目することは効果的かもしれない。しかしそれでは、日本軍が他地域で行った非道な行為、つまり日本の加害性を矮小化することにもなりかねず、事実として日本の加害性をよく認識していない日本人はかなり多い。

 但しこの投稿で注目するのは、トップ画像にもした真珠湾攻撃だ。前述の通り、真珠湾攻撃は1941年12/8に日本海軍がハワイオアフ島にあるアメリカ軍基地へしかけた奇襲攻撃である。これが奇襲とされる理由は、攻撃開始が宣戦布告よりも先だったからだ。真珠湾攻撃前に宣戦布告をする予定だったが、大使が英文翻訳・タイピングに手間取り順序が逆になった、とされているものの、真珠湾攻撃と同時に行われたマレー作戦・イギリス領マレー半島東北端のコタ バルでのイギリス軍への攻撃も、イギリスへの宣戦布告前に行われており、計画的な不意打ちである恐れは否めない。

 当時日本はなぜ真珠湾攻撃のような奇襲、奇襲は意図的でないにしても先制攻撃を行ったのか。その詳しい経緯は「太平洋戦争#開戦を決意(四回の御前会議)- Wikipedia」などを参照して欲しい。歴史上急に何らかの事象が突発的に起きることは滅多になく、全ての事象はほぼ漏れなくそれ以前の事象を前提に起きる。つまり何が「日本が真珠湾攻撃/先制攻撃」の引き金だったのか、を1つの事象に断定することは難しい。しかしその直前に何があったのか、至る経緯くらいは、日本人なら頭に入れておく必要がある。
 大まかな流れはこうだ。

  • 1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことにより、欧州で第二次世界大戦が勃発
  • 1940年9月、既に日中戦争の中にあった日本は、重慶中華民国政府への軍事物資の補給ルートを遮断するため、仏領インドシナ北部へ進駐、中華民国支配地域を攻撃(北部仏印進駐
  • それにより対米英との間の緊張も高まり、1936年に結んでいた日独防共協定を発展させ、同じく1940年9月に日独伊三国同盟へ強化
  • 1941年7月、仏領インドシナ南部へも進出(南部仏印進駐)。米英との関係は更に悪化、同8月、米英、対日石油輸出の全面禁止発令

こうして物資の供給に滞りが生じ、日本側は1941年11/1の大本営政府連絡会議で

帝国は現下の危局を打開して自存自衛をまっとうし大東亜の新秩序を建設するため、此の際、英米蘭戦を決意し
武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完整す

という帝国国策遂行要領を決定した。
 11月下旬に、中国大陸・インドシナからの撤退、日独伊三国同盟の解消などの条件を含む交渉案、いわゆるハル・ノートを米国が提示した。日本側はこれを受け入れず12/1の御前会議で、12/8の真珠湾攻撃・マレー作戦による開戦を決める。

 また、1941年11月に軍部が中心となって決定した、太平洋戦争に関する戦争計画書「対英米蘭蔣戦争 終末促進に関する腹案」には、

東南アジア南太平洋における米英蘭の根拠を覆滅し、戦略上優位の態勢を確立すると共に、重要資源地域ならびに主要交通線を確保して、長期自給自足の態勢を整う
独伊と提携して先ず英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむるに勉む

とある。

  9/11の投稿にも書いたように、8/31に「安倍晋三首相が自身の在任中に敵基地攻撃能力保有の方向性を示す意向を固め、与党幹部に伝えていた」という話が報じられた。

首相、在任中に敵基地攻撃方向性 与党幹部へ伝達、9月前半NSC | 共同通信

病が深刻で正しい判断が出来ないから総理大臣を辞める、と直前に宣言した男が一体何を言っているのか、ということに関しては9/11の投稿に書いてたので割愛する。
 この敵基地攻撃能力の保有という話が表出したのは、安倍自民党政権が進めてきたイージスアショアの配備計画による。7/31に自民党の国防部会と安全保障調査会は、あまりにも計画が杜撰だったことでイージスアショア配備計画が断念を余儀なくされたことを受けて、「迎撃だけでは、防御しきれない恐れがある」と指摘した上で「相手領域内でも弾道ミサイルを阻止する能力の保有」が必要だとする提言を行った。

 自民党の国防部会とは名ばかりで、国を守るのではなく壊しかねない提言をしている、安全保障調査会も同様に、安全を保障するのではなく脅かそうとしている、としか言えない。それは何故か。それは、この提言、敵基地攻撃能力の保有は、旧日本軍と旧日本政府が行った真珠湾攻撃/マレー作戦がその後どんな惨劇に繋がったのか、を全く考慮していないとしか言いようがないからだ。

 「あくまでも敵基地攻撃能力の保有であって、敵基地攻撃能力の行使ではなく、抑止を目的にしたもの」などの反論がありそうだが、いざとなっても使わないという保証を一体誰が出来るだろう。民主主義の制度上、常に聖人君主が指導者に選ばれるとは限らないし、権力は往々にして暴走するものでもある。つまり使ってはならないものなのだから、敵基地攻撃能力など保有してはならない、というのが、70年前の戦争の結果によって日本が憲法に定めたことだ。過去を省みない者はまた同じ失敗を繰り返すだろう。
 Remember Pearl Harbor は、当時の米当局などが日本の卑怯さ加減を強調して戦意を高揚させる為に用いたフレーズだが(真珠湾攻撃#リメンバー・パールハーバー - Wikipedia)、日本人こそ真珠湾攻撃が何を引き起こしたかを忘れてはならない。

 トップ画像は、WikiImagesによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

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