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自由民主党ならぬ羊頭狗肉党

 野田 聖子には心底がっかりさせられた。たった3日前の投稿で書いた、野田 聖子は男女平等を望んている風だが、表向きそう装っているだけではないのか、という懸念を、短期間で、まさにそうだと自ら実証してみせたからだ。トップ画像はハフポストが掲載した記事からの抜粋であるが、野田は、杉田の性暴力被害者に関する「女性はいくらでもウソをつける」という発言は本人の言葉使いの問題、だと言っている。

 杉田の性暴力被害者に関する「女性はいくらでもウソをつける」という発言に対して、性暴力に抗議する社会運動・フラワーデモの主催者らが、集めた杉田議員の議員辞職などを求めるオンライン署名 13万6000筆を提出する為に自民党本部を訪問したが、自民党は署名の受け取りを拒否した。

 野田は、「党として署名を受け取らない方針を決めた」「アポがないので会えない」と、主催者らのメールに対して10/9に返答していたようだが、アポイントを求めるメールに対してアポがないから会えないというのも不思議だし、メールでは「党として署名を受け取らない方針を決めた」と説明していたようだが、ハフポストの記事によると昨日は、「議員辞職と言われても、私にはその権限はどこにもない。実現できることが書かれているなら署名を受け取るが、私が実現できないことを求めた署名を軽々に受け取ることはできない。」としており、それでは党としてというより、野田個人が署名を受け取らないことを決めたようではないか。話が微妙にズレている。また「面談はいくらでもしたい」というのも「アポがないので会えない」とは矛盾している。
 10/9のメール返答は主催者側からの情報で、もしかしたら野田の示した意向との間にニュアンスのズレがあるかもしれないが、もしそうだったとしても、対応できないから署名を受け取らない、というのは全く説得力がない。署名を受け取るという行為は、要望の完全な実行を確約するということではなく、そのような思いを持つ有権者を受け止め、前向き勘案する姿勢を示すということだろう。

 署名を受け止らないのは、有権者の思いを無視する行為 

と言っても過言ではないのではないか。

 野田の公式サイトのポリシー:政策の最初に「トップダウンではなく「双方向」の政治を実行する。政治は国民の声を聞き、責任を果たす」とある。

 国民の声を聞く、ということを政治的なポリシーとして掲げる政治家が、差別的な発言を繰り返す国会議員の処分を求める署名を受け取らない、なんてのは確実に矛盾している。野田が掲げているのは羊頭狗肉の看板と言わざるを得ない。

 また野田は、杉田に辞職を促すことすら出来ない理由として、 党の手続きを経て党の意思として決めた郵政民営化に反対した自分ですら議員辞職は求められなかった、という例を持ち出して、杉田の発言は政調会長から厳重口頭注意をされて謝罪しており、党のプロセスに沿って処分されているので、党に造反したり党の意思決定に背いたりしたわけではない。本人の言葉使いの問題で、辞職を求めるに値するようなことでない、と言っている。
 杉田の蔑視発言が今回初めてならば、そのような話にも理解できる余地はあるかもしれない。しかし杉田は2018年に同性愛者蔑視を行っており、その際にも厳重口頭注意をされているが、同様の事案を今回起こしている。つまり厳重注意で杉田は改善しないので意味がないと考えるのは全く不合理ではない。署名を受け取らないというのは、有権者のそのような思いを無視するにも等しい。また、杉田は昏睡レイプの被害者である伊藤 詩織さんに対して「嘘をついている」という中傷を行っており、今回の件は確実にその延長線上にもある。つまり野田の「杉田の言葉使いの問題」なんて見解は、矮小化も甚だしいとしか言いようがない。
 更に、郵政民営化の件と比較するのも合理性がない。片や政治的な方針の問題で、片や人権に関わる問題、厳密に言えば、国会議員による社会的弱者の人権軽視・無視発言の問題でそれらはかなり異質である。また、杉田は発言を謝罪しており党の意思決定に背いていない、と言うのであれば、自民党では、どんなことを言おうが「ハイハイスイマセンデシタネー」とさえ言えばそれで済む、何度でも許されるということもになりかねない。郵政民営化の件を持ち出すのだとしたら、男女平等を目指すならば、野田は今回の杉田の処分についても郵政民営化と同様に党方針に異議を唱えるべきだし、国民の声を聞くを政治的なポリシーとして掲げるならば、署名を受け取らないという党方針にも異議を唱えるべきだろう。杉田の処分に関する自民党の方針がおかしい、という署名が集められたわけでもあり、それを受け取らないというのは、やはり有権者の思いを無視する行為であり、国民の声を聞くを政治的なポリシーに掲げる政治家のすることではない。

 昨今政府に批判的な学者が日本学術会議へ任命されなかった、という件が注目を浴びているが、結局のところ野田も、異論を許さない自民党の一員でしかない、というのが実態だ。

 10/11の投稿でも「野田は自民党の政治家としてはマシだが、それでもやはり彼女も自民党の政治家でしかない」と書いたが、マシというのを撤回したい。

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