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弔意と葬式代をかつあげする政府と与党

 かつあげ。脅しをかけて金品を巻き上げる行為のこと。暴力や相手弱みをついて脅迫することで、金銭その他の財物を脅し取ることを恐喝と言い、かつあげとはほぼ同義である。ゆすりたかりなどもニュアンスはほぼ同じだ。明確な区別があるわけではないが、個人的にはかつあげと言うと未成年者の不良、所謂ヤンキーなどが恐喝を行う場合に用いられる、と認識している。


 自分の級友にも、ゲームセンターなどで他校のヤンキーにかつあげされた、という者がいた。幸運にも?自分は所謂弱そうな見た目ではなかったからか、かつあげの的にされた経験はない。しかし弱そうではなくても、ヤンキーっぽい見た目でも、かつあげの的にされないとは限らない。特にヤンキーっぽい見た目をしていると「生意気だ」などと因縁をつけられてかつあげされるケースがある。
 不良の中には、自分の腕っぷしの強さではなく名の売れた別の誰かの威光を笠に着て強がる者もいた。「俺○○(学校やチームなど)の○○クン知ってんから」のように。ヤンキーをかじっているようなタイプをかつあげする際にそんな手法がよくあったようだ。但しそのようなことを言うタイプには、名前を出された者との関係性が実際は薄かったり、中には会ったこともない者の名前を出す所謂フカシ、法螺吹き野郎も少なくない。

 昨日の投稿の終盤でも取り上げたように、中曽根 康弘元首相の合同葬に合わせ、政府が全国の国立大など教育現場に弔旗の掲揚や黙とうで弔意の表明を求めた、ということが話題になっている。

「思想統制」「国民目線とずれ」 中曽根元首相の合同葬巡り教育現場から批判 - 毎日新聞

 中曽根 康弘が誰もが敬うような偉大な人物だったなら、そんなことせずとも誰もが自発的に弔意を示すだろう。ではなぜわざわざ弔意を示せと要求するのか。それは、弔意を要求しないと弔意を示してもらえないような人物だったと認識しているからではないだろうか。つまり、弔意を要求してる人達こそが一番中曽根を馬鹿にしている、と言えるのではないか。中曽根は誰かが要求しないと弔意を示してもらえないような元総理大臣だ、と。

 中曽根の自民党と政府の合同葬には、2020年度予算の予備費から9600万円が支出される。

中曽根元首相の合同葬、予備費9600万円は「必要最低限」? 政府支出に法的根拠なし :東京新聞 TOKYO Web

 予備費とは、予見し難い予算の不足に充てる為に内閣が計上する目的が決められていない予算だ。すべての予備費支出については事後に国会の承諾を得なければならず、場合によっては内閣の政治責任が問われる場合もある。しかし現在は、与党と政府の一体化、つまり立法と行政の一体化が深刻だし、そもそも与党や政府は、憲法に基づく国会招集要求があるのに、それを無視し国会を開こうとしない。つまり、予備費支出妥当性の審議を与党と政府が遠ざけている。言い換えれば勝手に・一方的に合同葬への支出を決め、異論を封じている状況である。
 合同葬に国が予算を割く必要は果たしてあるのか。中曽根が誰もから敬わられる偉大な人物ならば、わざわざ国が予算割かなくても、みんなこぞって葬式代寄付するのではないだろうか。自民党がおよそ1億円程度を支出するらしいが、それで十分ではないのか。但し、自民党が葬儀に支出する中には政党助成金からの支出は含まれていないのか、という疑問もあり、結局のところ、どう転んでも税金が必要以上に使われる感は否めない。

 なぜこの投稿の冒頭でかつあげの話をしたのかと言うと、政府と与党のやっていることが、「中曽根さん舐めてんのか?」として、弔意や税金のかつあげが行われているように思えたからだ。思想信条内心の自由が権利として認められた国で、政府が特定の誰かの為の弔意を示せと求めるなんてのは、法の軽視としか言いようがないし、それは弔意のかつあげと言っても過言ではないだろう。一方的に決めた予備費投入だって、「葬式代のカンパ」と称して国民から強引に金を巻き上げているとも言えそうだ。そう言われたくないのなら、国会招集要求に応じて予備費投入の是非を積極的に審議するべきだったのに、そうしなかったのだから、そう言われても仕方ないだろう。


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