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口約束よりも、しっかりと契約書を通して契約するのが一般的です

 2月に注目が集まった東京高検 黒川弘務検事長の定年延長問題に関する国会での議論の中で、法務大臣の口から「口頭決裁」という言葉が飛び出した。口頭決裁とは意思決定を口頭で行うことを意味しているが、従来からあったとは言い難い表現で、この時生まれた言葉と言っても過言ではない。


 そもそも、政治やビジネスの場で正式且つ重要な意思決定を口頭で行うことはあり得ない。一応口約束も契約形態の一種で、口頭による意思表示でも契約は成立する。しかし口約束は後に、言った言わない、どういう意味でそう言ったのか、などトラブルの火種になりやすく、政治やビジネスの場で正式且つ重要な意思決定を口頭で行うことは、現実としてはあり得ない。その可能性はゼロではないが、トラブルを避ける為に口約束のみでの契約はあり得ず、殆どの場合において書面での契約がなされる。
 このようなことを勘案すれば、法務大臣の口から口頭決裁、若しくはそれと同様のことを意味する言葉が出てくるのがどれ程異様かが分かるだろう。

 しかも口頭決裁という言葉が飛び出したのは、 検察庁法と国家公務員法の法解釈に関してだ。政府は1/31に黒川氏の定年延長を閣議決定した。だが、1981年に鈴木 善幸内閣の下で、

検察官の定年は検察庁法で定めており、国家公務員法が認める定年延長は”適用できない”

という法解釈が示されている。政府は「検事長にも国家公務員法が認める定年延長が”適用できる”と法解釈を改めた」と説明したのだが、この解釈変更は一方的且つ記録も残っていない。そこで法務大臣が「口頭で解釈変更を決裁したので、従来の法解釈からの変更は適切」と言い始めたのだ。

 法務大臣が言っているは詐欺師の手口のようなものだ。契約書がないのに「100万円で売却」と口で約束したから正式な契約が成立している、と言っているのと同じである。確かに相手もそれでOKなら問題にならないかもしれない。だが、もしこれがOKということになれば、元々なかった「100万円で売却」という契約を、「口約束で契約した」と強引に言い張れば成立させられてしまうことになる。 だがこともあろうに法務大臣が「口頭決裁も正式な手続き」と言い張っている。机上論ではそうかもしれないが実務上はあり得ない話だ。
 政府が従前の法解釈を、一方的にしかも秘密裡に変更し、変更に関する記録もない、なんてことは法治の否定にも等しい。これがもし容認されるなら、最悪「基本的人権を尊重しなかればならないと憲法に定められており、これまでそのように解釈されてきたが、「必ずしも尊重する必要はない」とその解釈を政府内で変更し口頭で承認されたので、その規定と相反する法も適当である」なんて話が正当化されかねない。つまり権力が法に縛られずに好き勝手出来るようになってしまう。

 そしてまた、10/21に政府関係者から口頭決裁という言葉が飛び出した。日本学術会議が推薦した新会員6人を首相が任命しなかった問題についての野党合同ヒアリングが国会内で開かれ、首相が学術会議の推薦通りに会員を任命する義務はないとした内閣府の内部文書について、内閣府は法制局への事前相談や文書作成は「当時の担当者が作成し、口頭で事務局長まで了解を得たものと承知している」と述べ、決裁文書は存在しないとしたのだ。

「首相に推薦通り任命義務ない」 文書は「口頭決裁」 法制局の相談も 野党ヒアリング - 毎日新聞

 前安倍政権、そしてその政権で官房長官だった菅が前政権を踏襲すると公言して首相になった現政権ともに、政府は支離滅裂な説明を連発している。都合の悪い文書の改竄や隠蔽、若しくは都合のいい文書やデータの捏造が頻発し批判に晒された結果、ついには都合の悪い記録そのものを残さなくなった。そこで出てきたのがこの口頭決裁という手法だ。
 つまり口頭決裁とは、あたかも整合性のある手続きが取られたかのように後付けで装うのにもってこいなのである。記録がないのだから後から何とでも言えるわけだ。そんなことをする政府が果たして諸外国から妥当な交渉相手と認識されるだろうか。されるわけがない。そんな政府を容認する日本人は、ビジネスなどの妥当な交渉相手として認識されるだろうか。自分ならとりあえず信用しないだろう。

 昨日の投稿で、菅が自著の新書版を刊行するにあたって、単行本版にあった「民主党政権の東日本大震災対応に絡んで公文書の重要性を指摘する記述」が削除されたという話に触れたが、それも全く無関係な話ではない。
 更に、直近政府はデジタル化への対応を謳い、押印廃止等を進める姿勢を見せているが(首相「行政手続き全て見直し」 押印・書面廃止へ指示 :日本経済新聞)、それも実はこの都合の悪い文書を残さない為の、口頭決裁を常態化させる為の布石なのではないか?と邪推してしまう。本来は歓迎すべき要素の方が多い話なのだが、公文書管理を軽んじ、都合の悪い文書を残さず、口頭での決裁も妥当とする姿勢が如実な政権による政策だと、全く手放しでは歓迎できない。

 トップ画像は、mohamed HassanによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

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