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反政府の意味は。レッテル貼りをする政府と加担するメディア

 官邸、反政府運動を懸念し6人の任命拒否、と題した記事を、共同通信が昨日配信した。見出しには「反政府運動」とあるが、本文の表現は「政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが7日、分かった。複数の政府関係者が明らかにした」で、「反政府運動」という表現は記者が用いたのか、政府関係者が示したのか、と話題になった。


 この記事に関しては前述の点以外にも問題がある。この記事は24時間も経たない内に削除されたのだが、削除理由が明らかにされていない。以下はWebアーカイブに残っている掲載記事である。

官邸、反政府運動を懸念し6人の任命拒否 | 共同通信

 記者が勝手に「反政府運動」という、実際に政府関係者が示したニュアンスとは異なる表現を用いたから削除したか、それとも実際に政府関係者が「反政府運動」というニュアンスを示していたが、政策に異議を唱えることを反政府運動と認識・表現することは適当とは言えない、それは独裁政権的な思考だ、のような批判が高まり記事が注目されたから、政府関係者から何らかの圧力等が加えられが削除されたのかが明らかでない点も問題の1つだ。
 つまりこの記事は少なくとも2つの点で、とても不透明である。どちらにせよ、共同通信の報道機関としての資質が疑われることに違いはない。

 当該記事は削除されたが、実は削除された記事と同じ文言を含む別の記事が、今もまだ共同通信のサイトに掲載されている。

官邸、「反政府先導」懸念し拒否 学術会議、過去の言動を問題視か | 共同通信

 どちらの記事も掲載時刻は 2020/11/8 06:00 (JST) で同じである。だがこちらの記事には 11/8 08:44 (JST)updated とあるので、掲載後にどこかが改められたということだ。Webアーカイブを調べてみたが、初出時にはなかった写真が加えられた為に更新した旨が追記されたようで、見出しや本文の文言は改変されていない。
 2つの記事の違いは「反政府運動」と「反政府先導」という見出しの表現が主である。本文については、後者が前者の詳細版といった印象だ。共同通信がなぜ前者の記事を削除し後者だけを残したのか、それは単に重複する記事だったのでより詳しい方だけを残したとも考えられるが、どちらも全く同じ時刻に掲載していることを勘案すれば、その説明には違和感がある。もしかしたら政府意向への忖度、政府による圧力の懸念というのは取り越し苦労かもしれない。だが記事の「反政府運動」という表現がかなり注目されたにも関わらず、共同通信が理由も説明せずに記事を削除しているのだから、そのような疑いが湧くのも当然だろう。

 そもそも「反政府運動」だろうが「反政府先導」だろうが、それ程意味は変わらない。前述したように、この記事に対して、政策に異議を唱えることを反政府と認識・表現することは適当とは言えない、それは独裁政権的な思考だ、のような批判が高まっており、全くその通りだと自分も考える。例えば消費増税に反対したらそれを反政府運動と表現するだろうか。自由主義/民主主義国家ではそんなことはあり得ない。そんな認識や表現がまかり通る国は自由主義でも民主主義でもない。

 11/7の投稿で、根拠不明の事実と異なる主張を繰り返したとして米主要局が途中で放送を打ち切った、トランプのホワイトハウスでの会見について、TBSが「大統領の発言は事実と異なる」という旨の注釈すらつけずにそのまま記事化し、和訳音声を加えた動画まで同社のニュースサイトに掲載したことを取り上げた。なぜ最低でも「大統領の主張は事実と異なる」という旨の注釈が必要なのか、は次のように説明できる。
 最も典型的な例は松本サリン事件だ。松本サリン事件はオウム真理教が起こした事件の1つで、猛毒サリンの散布により7人が死亡、約600人が負傷した事件なのだが、長野県警は第一通報者の男性宅を家宅捜索し薬品類など数点を押収し、男性は重要参考人として連日取り調べられ、男性を容疑者扱いする報道が過熱した結果、当初誰もが彼を犯人だと信じて疑わなかった、と言っても過言ではない状況だった。警察は被疑者不詳としていたものの、男性が実質的には容疑者として扱われ、報道もまさにそのニュアンスを強めていたので、警察とメディアの振舞いによって男性は犯人に仕立て上げられていった。
 政府関係者が「首相が反政府運動/反政府的な動きを先導する恐れがあるから、6名の任命拒否した」と言っている、とメディアが伝えれば、松本サリン事件で犯人に仕立て上げられてしまった男性の件と同様に、「政府関係者/首相が6名は反政府運動を扇動すると言っていて、メディアもそれを否定しないということは、6名は危険人物に違いない」という認識を、一部に生みかねない。警察も政府もメディアも影響力の大きい権力であり、世の中、特に日本には肩書等で物事の信憑性を判断する種の人が決して少なくない為、その様なレッテル貼りが、あたかも事実かのように広がりかねない。
 だから根拠不明の話・事実とは言い難い話は扱わないか、根拠不明である、合理性に欠けると注釈した上で扱う必要がある。「○○が○○と述べました」とだけ伝えるのは、決して嘘はついていないが、あまりにも無責任だ。

 一応、共同通信の後者の記事には、

菅義偉首相は国会審議で6人の任命拒否に関し「個々の人事のプロセスについては答えを差し控える」と繰り返し答弁。拒否理由は今回の問題の核心部分となっていた。日本学術会議法は会議の独立性をうたっており、政治による恣意的な人事介入に当たるとして、政府への批判がさらに強まる可能性がある。

ともあるが、これは6名が反政府的である、という政府や首相が示したとされる認識の合理性を否定する内容ではなく、その表現やニュアンスについての注釈としては全く不充分と言わざるを得ない。

 隷従しないと反政府なのであれば、それはもう自由主義でも民主主義でもない。日本の主権者は国民であり政府でも首相でもない。有権者が政府に異議を唱えるのは至極当然のことだ。だが、日本(語圏のツイッター)には、戦前戦中に行われた、政府批判に対する非国民というレッテル貼りと同様に、政府方針に異を唱えただけで反日呼ばわりする、反知性的な主張を繰り広げる者が少なくない。共同通信の記事はどちらも、そのような反知性的な主張を付け上がらせる要素を多分に含んでおり、報道機関としての資質を疑わざるを得ない。また、記事の内容が事実であれば、今の政府は民主主義の何たるかすら理解していない、若しくは理解した上で専制政治体制を作ろうとしているとしか言いようがない。共同通信はそういう政府に加担しているとも言える。


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