スキップしてメイン コンテンツに移動
 

最大2025年まで2020年が続く懸念

 2020年も今日で終わる。この数年間、毎年暮れには「今年も酷い年だった」と思ってきたが、今年は輪をかけてというか、東日本大震災と福島原発事故が起きた2011年よりもある意味酷い年だった。毎年のように酷いことはあるが、気晴らしになるようなこと、光が見えるようなこともあった。しかし2020年は気晴らしになるようなこと、光が見えるようなことがかなり少なかった。


 この数年の自民政権の酷さは、まさに混迷を極めるという言葉が相応しい。しかし楽しいイベントなどがその気晴らしをさせてくれていた。だが今年は多くのイベントが中止となり、気晴らし出来る機会が明らかに少なかった。勿論それは新型ウイルスが猛威を振るったからだ。
 夏の間は感染拡大のペースが鈍化し(それでも第1波のピークよりも多いペースの新規感染があったが)、8-10月頃には対策方法も確立し、対策をした上で開催されるイベントも多かった。しかし11月に入って冬の足音が聞こえ始めると共に再び感染者数が増え始め、12月に入ると毎日のようにこれまで最大の感染者数が報告されるようになり、この年末年始は再び多くのイベントが中止を余儀なくされている。開催するにしても無観客で開催するしかない状況が再び戻ってしまった。昨年の2-3月頃は第1波が世界各地を襲い、スポーツイベントなどの開幕が6-7月にずれ込んだが、このままでは来シーズンも同じことになるのではないかと危惧している。

 自分はモータースポーツやカーカスタムなど自動車文化全般に興味がある。その手の業界の1年は東京オートサロンと共に始まると言っても過言ではないのだが、当初入場者数を制限して1/15-17に開催される予定だった2021年の東京オートサロンも、感染拡大を受けて中止になった。

「東京オートサロン2021」開催中止のお知らせ TOKYO AUTO SALON 2021 東京オートサロン公式サイト

 12/23の中止発表後、あるキャンペーンガールが「文句言っても仕方ないし、誰も悪くないし、判断だって間違ってない。だけど悔しい」という趣旨のツイートをしていたのだが、文句は言わないと(というか批判はしないと)状況はよくならないし、感染が再拡大しているのは間違いなく対応を怠った政治の責任、つまり政治が悪いし、イベント運営者が中止を判断したのは間違っていないが、中止という判断する状況に追い込んだ、感染症対策に関する政治の判断は間違っていた、とハッキリ言わないといけない。フワッとオブラートに包んでしまい、責任をあやふやにするのは無責任な政治家の思う壺だ。
 悪い結果が出始めると途端にそうは言わなくなるが、今の政府の面々は「政治は結果責任」と豪語してきた人達だし(11/23の投稿)、それは現政権に限らず普遍的なことだ。もっと言えば、基本的に努力が評価されるのは未成年の内だけで、社会に出たら基本的には主に結果で判断される。どんなによい商品でも売れなければ評価されない。
 新型ウイルスに関しては、台湾やニュージーランドのように適切に対応した国は概ね感染拡大を抑え込んでいる。米英と比べたら日本は感染者数も死者数も少ないが、悪い方と比べて安心する・自分達を慰めるのは愚の骨頂だ。感染を抑え込んだ地域がある一方で日本では感染者が増えているのだから、政府対応が適切でなかったことは疑いようがない。

 2021年10月に現在の衆院議員の任期満了を迎える為、詭弁・歪曲の達人である今の政府と与党が馬鹿げた曲解をしない限り、来年は衆院選がある。もしこの期に及んで、前述のキャンペーンガールの「コロナの感染拡大は文句言っても仕方ないし、誰も悪くない」ような認識に基づいて、日本の有権者が’21衆院選で再び自民党を与党に選ぶなら、衆議院の任期は4年なので、日本は最大2025年まで2020年が続くことになる。


このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

馬鹿に鋏は持たせるな

 日本語には「馬鹿と鋏は使いよう」という慣用表現がある。 その意味は、  切れない鋏でも、使い方によっては切れるように、愚かな者でも、仕事の与え方によっては役に立つ( コトバンク/大辞林 ) で、言い換えれば、能力のある人は、一見利用価値がないと切り捨てた方が良さそうなものや人でも上手く使いこなす、のようなニュアンスだ。「馬鹿と鋏は使いよう」ほど流通している表現ではないが、似たような慣用表現に「 馬鹿に鋏は持たせるな 」がある。これは「気違いに刃物」( コトバンク/大辞林 :非常に危険なことのたとえ)と同義なのだが、昨今「気違い」は差別表現に当たると指摘されることが多く、それを避ける為に「馬鹿と鋏は使いよう」をもじって使われ始めたのではないか?、と個人的に想像している。あくまで個人的な推測であって、その発祥等の詳細は分からない。

風刺/ブラックユーモアと嘲笑の境界について考える

 よしもと所属のお笑い芸人・ 金属バットのネタが差別や偏見を助長する内容だと批判を浴びている ( 「猿としたらエイズ」「黒人とかな」 吉本芸人のネタにHIV陽性者ら批判「差別を強化」 BuzzFeed Japan )。数日前に、同じくお笑い芸人のAマッソのネタが人種差別的だと指摘されたことについて書いたが( 9/25の投稿 )、その時既に金属バットの別のネタも、人種差別的な認識があるのでは?と話題に上っていた( 「黒人が触ったもの座れるか!」吉本芸人のネタに批判 「Aマッソよりひどい」 BuzzFeed Japan )。

助詞”が”と省略の使い方

 「 8人死亡の雪崩事故 引率教員が勤務の高校を捜索 」。NHKが栃木県那須町の雪崩事故に関するニュースを報道する際に使用した見出しだ。こんな見出しがNHKの、しかも報道で使われるのかと思うとかなり残念だ。このニュースは”引率教員が勤務している高校を、警察が捜索した”ことを伝えるものだが、この見出しでは”引率教員が自分の勤務校を、自ら捜索した”かのように感じられてしまう。そんなことが起こる可能性が低いことは、常識的に考えればわかることだが、事故の背景などを知らなければ後者のように勘違いする恐れが全くないとは言えない。適切に内容を伝えるならば「引率教員が勤務している高校を捜索」と”している”省略すべきではない。文字数制限に引っかかるなら「引率教員の勤務校を捜索」などとするべきだろう。