ニューヨークやロンドンでは、様々な人種・英国や米国外にルーツを持つ人が当たり前のようにいることに驚いた。そう感じたのは15年以上前で、今は東京もかなり多様な人達がいる街になったが、それでも当たり前の度合いが段違いというか、東京は今も決して当たり前にはなっていない、と感じる。
自民党などの保守系議員がしばしば「日本は単一民族の国」という趣旨の発言をして批判を浴びる。確かに20年前までは、横浜の中華街や新大久保など一部の街以外では外国人や日本以外にルーツを持つ人はあまり目につかず、そんな勘違いが生まれるのもある程度は仕方がなかったような気もする。だが外国人や日本以外にルーツを持つ人でも、中国人や韓国人などは日本人とは殆ど外見上の差異がない為目立たないだけで、それ以前も決して日本は単一民族国ではなかった。日本国内にルーツを持つ人にだってアイヌもいれば琉球民族もいた。つまり所謂大和民族とは異なる民族は少なくとも近代以降は間違いなくいたわけだ。「多民族国家」と言えるかどうかは別としても、日本も以前から決して単一民族の国ではなかった。
米国/英国の現代が舞台のドラマにはほぼ例外なく白人だけでなく黒人やヒスパニック系、そして昨今はアジア系の役者も登場する。その配役は不自然では?と感じることもあるが、それは出演する人種の割合への配慮ではなくストーリーや演出の不備であるとも捉えることができる為、所謂暗黙のクォーター制のような状態の弊害とは言えない。
ハフポストが、ハリウッド映画やNetflixなど作品に、アジア系アメリカ人が主人公の物語がこの数年で増えた、という記事を掲載している。
Netflixに増えるアジア系の物語。その新しさと、人種的ステレオタイプな描写の問題点 ハフポスト
前述のように米英のドラマには以前からアジア系の俳優も出演はしていた。だが、以前はオタクやガリ勉キャラに配役されることが多かったが、最近はその傾向に変化が見られる、という内容である。
この記事を読んで日本は2周くらい遅れているなと感じた。現在日本の人口は約1億2500万人で、在日コリアンは82万5000人、日本に住む外国人は283万人だ。在日コリアンの人口には日本へ帰化した人は含まれておらず、戦後これまでに帰化した人がおよそ38万人いる。朝鮮半島以外にルーツを持つ日本人も加えれば、恐らく400万人以上の非大和民族が日本には存在している。ざっと計算して日本の人口の3.2%程度が国外にルーツを持っていることになる。
前述の通り米英のドラマにはほぼアジア系俳優が登場する。アメリカ人口におけるアジア系の割合は2017年時で6.9%だ。10%に満たないアジア系がほぼ確実にドラマに出てくるアメリカに対して、日本のドラマや映画は、相変わらず所謂大和民族しか出てこない作品が殆どだ。外国人が出てくるとしてもその大半は白人系かそのハーフなのだが、日本に住む外国人/国外にルーツを持つ人には朝鮮半島や中国、東南アジア系の人達が多い。この状況は明らかにいびつと言わざるを得ない。
日本は男女同権の面でも遅れているが、民族の多様性尊重の面でも明らかに諸外国に後れをとっている。10/11の投稿で男女同権を実現する方法として「クォーター制は歪みが出る」と主張する自民党の野田を批判したが、民族の多様性尊重に関しても日本の現状は明らかに歪んでいる。テレビやドラマの出演者に関しても、クォーター制かそれに準ずる仕組みを導入する必要があるのではないだろうか。