スキップしてメイン コンテンツに移動
 

責任をあやふや有耶無耶にした結果…

 育児手当を巡り、税務当局が不当な返還を強制していたことが発覚し、1/15にオランダの内閣が総辞職したそうだ。税務当局が約1万世帯に対して「育児手当を不正に請求した」という不当な指摘を行い、手当の返還を強制していたことが発覚した。税務当局は民族的出自などに基づいて対象を選んだとみられている(オランダのルッテ内閣が総辞職 育児手当の不当返還で引責:東京新聞 TOKYO Web)。


 但し3月に日本の衆院選に当たる下院選が予定されている為、それまでは暫定内閣として職務は続けるそうで、記事は、世論調査で高い支持率を得ている為、選挙結果によってはルッテ首相が続投する可能性もあるとしており、果たしてこの総辞職が名ばかりなのかどうかはよく分からない。日本でも2019年に、暴言/パワハラで辞職した兵庫県明石市の市長が、辞職後の選挙に出馬し再選を果たすというケースがあった(記者の目:明石市長の暴言問題と再選 危ういハラスメント軽視=反橋希美(神戸支局) - 毎日新聞)。公民権を停止されるような場合もあるが、公正な選挙によって、責任をとって職を辞した者が再選することは、民主主義の仕組み上基本的には問題はない。

 万が一オランダのケースが実質的に形式上の総辞職だったとしても、一応責任をとっていることには違いない。首相や閣僚らが率先して間違いを犯したのではなくても、管理者責任を免れることはできない。責任者とはそういう立場にある。では、8年も続く現在の日本の自民党政権はどうだろうか。物価上昇率2年で2%を達成できずに何度も延期しても、実体経済が全く好転しなくても、女性活躍を掲げつつ2020年に指導的地位における女性割合3割という目標を達成できずに10年も達成時期を延長しても、財務省内で前代未聞の公文書改竄が起きても、自衛隊の日報が複数回に渡って隠蔽されても、7年半も首相の座に居続けた男が公選法違反を犯し、しかも国会で何度も虚偽答弁をしても、政治は結果責任と豪語していたのに、その後新型ウイルス感染が爆発的に拡大しても、全くその責任を取ろうとしない。
 現在の自民党内閣の最初の失敗は物価上昇率2年で2%達成できなかったことだ。もし、それが倍の4年で達成できていたのだとしたら、その失敗だけで総辞職しろというのは少し過敏・過激かもしれない。しかし、その後どれだけ失敗が続いているだろうか。現自民党政権はその複数の失敗を躍起になって誤魔化し続けてきた。官僚に責任転嫁したり、それこそデータを改竄したり捏造したり隠蔽したり、妥当とは全く言い難い言葉や表現をすることで印象をよく見せようとするなどの手法によって。

 このような指摘をすると、必ず現れるのが「どれだけ文句を言おうが、8年の間で自民政権は衆院選で2回、参院選で3回、いずれも圧勝している。つまり有権者が与党/政府として自民政権を認めてきた」という指摘だが、その主張は合理性に欠けているとは言い難い。確かに自民政権は何度となく選挙に勝ってきた。しかし、オランダのルッテ内閣や泉 明石市長のように、辞職/辞任という責任を取った上で出直し選挙に挑んだわけではない。誤魔化しによって「私たちには責任はない」と言い張って選挙に勝ってきたのだ。
 余談だが、奇しくもオランダのルッテ内閣はVolkspartij voor Vrijheid en Democratie、日本語にすれば「自由民主国民党」である。似たような名前なのに、オランダと日本でこんなにも違うのかという思いに駆られる。
 勿論、そんな詭弁に騙され票を投じてきた有権者にだって落ち度はある。しかしもしそうだとしても、現在も続く自民政権が誠実とは言えないのは明白だ。詐欺に騙される方にも場合によっては落ち度があるだろうが、それでも絶対的に悪いのは騙す方である。自民政権の不誠実さは、9月に成立した菅内閣の、全く一貫性を欠いた新型ウイルス対応が如実に物語っている。なにせ、国民には外食/外出の自粛を求めつつ、首相本人、与党政治家らは平気で会食/忘年会などをやっていた・やろうとしていたからだ。更に言えば、緊急事態宣言を出しても尚、政治家の会食自粛に難色を示している。

 1/11の投稿でも責任について、日本人の責任観(責任を痛感するという意味の責任感ではなく、責任についての認識という意味で責任観)について書いたが、日本人は責任の所在をあやふやうやむやにしがちな民族性である。責任をあやふやうやむやにするとどういうことが起きるか。人間とは基本的に怠惰な動物であり、責任の所在が明白でなければ、好き勝手にいい加減なことをしがちである。ネットでは面が割れにくいと高を括って、暴言を平気で書き込む輩なんてのは、その典型的な例だ。

 オランダのルッテ内閣総辞職の記事を読んで、政治家が責任をとる、とらせる、とらされる国が羨ましい と感じてしまうようになっている自分がいた。そんなのは民主主義では当然のことなのに。普通のことが普通にできない、できていない未開の地。それが21世紀のニホンだ。ヘルジャパン。本当に幼稚な国である。

 

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。