感染症対策そっちのけで開催が優先されるオリンピックに、一体どこの誰が感動できるのか、という話を書いたのは昨年・2020年11/17の投稿だった。都や国が本気で2021年のオリンピック開催を考えているならば、まず取り組むべきは国内における新型ウイルス感染拡大の収束である。しかしこの国の政府も開催都市である都も、感染を抑えようとしているようには全く見えない。
2020年12/31の新規感染者数は、都だけでも1300人超、国全体でも4000人超で過去最高だった。感染者数が増え始めた昨年の3月頃に副首相が「4-5月になれば自然と収まる」のような発言をしていたが、政府や都は今もそう思っているのだろう。でなければこの状況で「来夏にオリンピックを開催する」なんて言えるはずがない。
首相の菅は1/1に示した年頭所感の中で、
菅首相「コロナで世界の団結必要、象徴として五輪開催」=年頭所感 ロイター
今年の夏、世界の団結の象徴となる東京オリンピック・パラリンピック競技大会を開催する
とした。昨年新型ウイルス感染拡大が生じて以来、前首相の安倍が「ウイルスに打ち勝った証として東京五輪開催」と言いだしたのだが、菅もこれを踏襲し、2020年12/21にも「来年の夏に人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として東京で五輪・パラリンピックを開催する」と言っていた(ウイルスに打ち勝った証として来夏に東京五輪開催=菅首相 ロイター)。しかしその後感染拡大は止まらず、前述のように大晦日にはこれまでを大きく上回る数字で過去最高を更新した。そんな状況に鑑み、夏までに感染を収束させることは不可能かもしれないとようやく気付いたのか、年明けに「世界の団結の象徴として五輪開催」と言いだしたのだ。
新型ウイルス感染拡大以前、招致活動の頃から組織委や政府はしきりに東日本大震災/福島原発事故からの復興の象徴としての「復興五輪」だと宣伝してきたが、新型ウイルス感染拡大以降、復興五輪という謳い文句は殆ど聞こえない。
この期に及んでまだ中止を決められず、感染拡大への対策に専念できない政府はかなり深刻だし、しかも来夏にオリンピック開催と叫びながら、具体的な抑制策を何もしないどころか、GOTOキャンペーンなる感染拡大にもつながる旅行促進政策/外食促進政策を今も中止せずに続ける方針を変えていないのだから、最早支離滅裂としか言いようがない。
復興五輪 / ウイルスに打ち勝った証五輪 / 世界団結の象徴五輪 という彼らの主張を聞いていると、使えることは何でもダシする姿勢にしか見えない。つまり、枕詞は何でもよくて兎に角オリンピックをやりたいだけ、としか思えない。つまり、もし来夏のオリンピック開催が叶ったとしても、それは復興五輪でもウイルスに打ち勝った証でも世界団結の象徴でもなく、単にIOCと組織委と日本政府が「何が何でもオリンピックをやりたかったことの証」にしかならない。
スポーツ選手の中にもまだオリンピック開催を望む者もいるようだが、私利私欲の為にオリンピックをしたい人達に利用されていることに気付いて欲しいし、厳しく言えばこの期に及んでオリンピック開催擁護論を展開するのならば、そんな選手も自分のことしか考えていない、と言えるのではないか。
相変わらず組織委会長の座に居座る森は、日刊スポーツのインタビューの中で、
コロナ後、世界中から振り返られるような五輪式典に - 東京オリンピック2020 日刊スポーツ
(開会式の時間短縮については)個人的には半分の2時間で良いと思っている。しかしIOCが反対。テレビ局が枠を買っている。時間を短縮すると契約違反で違約金が発生する。それを日本が払ってくれとなる恐れがある。それ以上の議論をすると深みにはまるから、私はそこは引っ込めて、他の案を考えようと言った。 日本人、五輪関係者の気持ちの浮き沈みを表現し『あの頃、そうだったよね』と世界中の人が振り返られるような式典にしてほしい。
などと述べた。恐らく「人々の記憶に残る」のようなニュアンスで「世界中の人が振り返られるような式典」と言っているのだろうが、オリンピック規模のイベントを開催すればその良し悪しにかかわらず、忘れ去れることはなくあちらこちらで誰かが振り返るものだ。例えば、ナチスがプロパガンダにこれでもかと利用したという評価のベルリンオリンピックも、今でも頻繁に振り替えられている。つまり森は何かを言っているようで殆ど何も言っておらず、ただただ「開催するしかない」と言っているに過ぎない。
このようなオリンピックカルトの指導者たちをなんとかしないと、その分日本の新型ウイルス感染拡大対応は遅れることになる。それは2020年の1年間で痛い程分かったはずなのだが、協賛関係にある大手メディアは積極的にそんな記事を掲載しないし、その影響か決して少なくない有権者にもそんな感覚がない。その一方で既に3500人が命を落とし、医療関係者は年末年始もなく対応に当たっているのに、賞与を削られるという状況にある。日本人は本当に他人に冷たい思いやりに欠ける国民性だ。