日本の絶頂期とされるバブル景気は、1986年12月から1991年2月までと言われている(バブル景気 - Wikipedia)。他にも定義はあるし、業界などによっても差異はあっただろうが、その定義に大きな間違いはないだろう。それからおよそ30年が経つが、様々な意味で当時を超えられない現在に鑑み、「過去の栄光」という表現を用いた。
自動車メーカーも1990年代に入るとバブル崩壊の煽りを受けて経営が厳しくなったが、売られた自動車の方は開発期間が数年はかかる為、少なくとも1995年頃まで、場合によっては2000年頃までバブル期に開発されたモデルが売られた。買う方の趣向も1990年代中はバブル期の影響が強く残っていた。つまりバブル崩壊後自動車メーカーは苦境に立たされたが、自動車文化として見れば、バブル崩壊で急に傾向が変わったわけではない。しかも、1995年には自動車先進国・アメリカからの政治的な影響によって、自動車部品の規制緩和が行われた為、1990年代は日本のスポーツカー文化の最盛期になった。
2020年12/27の投稿でも書いたが、昨今1990年代の日本のスポーツカーの中古価格が高騰している。高騰の理由についてはそちらで書いたので割愛するが、代表的な例で言えば、日産スカイラインGT-RのR32型は、どんなに安くても最低で300万程度、程度のよいものなら1000万を超える。30年前の中古車が1000万以上の値をつけ、限定仕様車などの場合2000万を超えることもあると聞けば、多くの人は「信じられないくらいに価格が高騰している」と思うだろう。自分も最初はそう思った。しかしよくよく考えると、確かに人気を博して価格が上がっているが、決して信じられないような価格とは言えないのではないか。
12/27の投稿でも書いたように、価格高騰の理由は、当時の日本専用モデルを北米で合法的に登録し、公道を走らせることができる時期がきたからだ。つまり北米で、その仕入れ価格をペイできる状況にあるから価格が上がっているというメカニズムがある。米国の賃金は1997年に比べておよそ倍になっている。それはその他主要国でも同じ状況である。しかし唯一日本だけは、1997年比で10%強も賃金が下がっている(実質賃金指数の推移の国際比較 - 全労連)。
消費者物価指数についても、米国が1990年比でおよそ倍になっているのに対して、日本はこの30年横ばい状態だ。つまり、日本人にとっての1000万円は、1990年代も今も同じ、若しくは今の方が若干価値が上がっている状況だが、アメリカ人にとっての1000万円は、1990年代の500万程度になっていると言えるだろう。1989年に発売された日産スカイラインR32型の新車価格は445万円だった。1994年発売のR32 GT-R最終型・VスペックIIは529万円で、現在最も人気が高い、1990年代に発売されたR33型GT-Rの限定車・400Rは1200万円、R34型限定車・Z-tuneは1774万5000円という新車価格設定だった。
つまり90年代日本のスポーツカーは、確かに今価格は上がっているが、発売時価格と同等の価値を維持していると捉えるのが妥当で、発売時価格を大きく上回る価値が生じているとは決して言い難い。日本人が相対的に貧しくなっているから、信じられないくらいに価格が高騰しているように思えるだけである。
確かに今もまだ日本よりも物価も賃金も安い国は少なくない。しかし、1990年当時肩を並べていた国、なんなら日本よりもべらぼうに物価や賃金が安かった国が、今や日本を大きく上回る状況になっているのだから、日本が相対的に貧しくなっている、というのは決して不適切な表現ではないだろう。しかしそれを未だに受け入れられていない人が、特にバブルの恩恵を直接的に受けた世代に多い。
1990年代自分が大学生だった頃、サーフィンをする友達が茅ヶ崎に引っ越した。自分達の地元は神奈川県の山側だったが、茅ケ崎は沿岸部で平坦な土地柄だ。その所為か自転車を利用する人の量が自分達の地元とは桁違いに多く、その友達と「茅ヶ崎は中国だなw」なんて言っていた。今や世界屈指の自動車市場になった中国だが、庶民にまで自動車が普及し始めたのは2000年代後半からで、1990年代の中国はまだまだ貧しく、バイクではなく自転車が道を覆いつくしているイメージだった。1990年頃には絶対的な経済状況の差があった中国の方が、勿論中国は国内格差も大きいが、今や日本よりも物価が高くなっている。なのに、未だに1990年代の感覚を引き摺っている日本人は決して少なくない。特にバブルの恩恵を直接的に受けた世代でそれが顕著だ。
日本が中国に追い抜かれてしまったのは経済だけではない。政治的な部分でも中国に確実に置抜かれている。中国には共産党による一党独裁という致命的な欠陥があり、民主主義が一応確立しているという点においては、未だに日本の方が優れている。しかし制度的な話ではなく、政治判断の質という意味では、最早日本は中共独裁政権にも劣る状況だ。いや、この場合「日本は」ではなく「日本の自民政権は」と言った方が妥当か。
「17億人」が移動する中国の春節。新型コロナ対策は大丈夫? | ハフポスト
ハフポストは、中国人にとっての冬の帰省シーズン・春節を前に、中国当局の対応を紹介している。それによると、
- 農村地域へ帰省する人には7日以内に受けたPCR検査の陰性証明が求められる
- 都市部への出稼ぎ労働者に対しては、就業地に残ったことに対するボーナス支給を企業に促す
- 労働者の失業を防ぎ働き続けてもらうために、居住エリアでの消毒作業などの働き口などを用意
などの対応がされているようだ。ワクチン接種もすでに始まっていて、物流関係者らを中心に延べ1500万回以上の接種を実施しており、今後は高齢者や子どもなどへ対象を広げる見込みとしている。
先日日本における新型ウイルスによる死者数は中国全体の死者数を上回った。中国当局の発表は何につけても信憑性に問題は残っているものの、それでも死者数や感染者の大規模な隠蔽は難しいだろう。中国の人口はおよそ日本の10倍程度なので、人口比で見れば、日本では中国の10倍の人が命を落としていることになる。
日本政府は、感染症を拡大させかねないという批判を無視して旅行促進政策を強行し、しかも感染が9月頃から再び増え始め、11月以降急拡大してからもそれを止めなかった。年末年始の旅行促進政策停止を決めたのは直前になってからだった。一方で中国では、勿論感染者数や死者数の発表に信憑性の問題はあるものの、それでも中国は日本よりは明らかに感染拡大を抑え込んでいる状況で、更に人の移動を抑制しようとしている。これが、日本の自民政権は中国に劣っていると言える理由だ。
バブルの狂乱を直接的に謳歌したのは当時20代より上の世代だとすると、その世代は現在の50代以上だ。当時の20代から40代、つまり現在の50-70代にはその「過去の栄光」を未だ引き摺り倒している人達が少なくない。中でも最悪なのは、経済的には貧しくなっているのに、当時経済的な恩恵があったからそれとトレードオフで許されていたような理不尽を、経済的なメリットがなくなった今でも「自分達の世代ではそれが当然だった」などと押し付けるような人・ケースだ。
その種の過去の栄光を拗らせた人達が、自分の周りにも複数いるし、テレビなどを見ても多い。しかも今企業や政治を動かすポジションになっていて、かなり面倒なことになっている。