日本の精神的・知性的な沈没具合が酷い。もしかしたら沈没したのではなく、もとからそんな国だったのに、自分が先進的である、成熟していると勘違いしていただけという恐れもある。しかしどちらであろうが、所謂先進的とされる国と比べると、日本の現状はあまりにも低レベルであることは変わりはない。
トップ画像は、映画・日本沈没のロゴとスクリーンショットを使ったコラージュである。日本沈没とは、1973年に刊行された小松 左京によるSF小説で、同年に映画化もされた。映画化は2006年にも行われ、トップ画像の素材には使そちらを用いた。
また、テレビドラマ、ラジオドラマ、漫画、アニメ化も複数回行われており、日本におけるメディアミックスのはしりとされている作品群でもある。小説/映画 日本沈没で描かれたのは、地殻変動/巨大地震によって起きる物理的な日本の沈没だった。数年後に迫った日本沈没の前に、全国民を国外へ脱出させようとする様が描かれている。日本の代表的なパニック映画と言えば、怪獣映画の代表作でありつつ公害や核、そして政治判断等、社会問題的な要素も盛り込まれているゴジラシリーズがあるが、日本沈没も日本のパニック映画の代表作の1つと言える。1973年の日本沈没以降、ノストラダムスの大予言、新幹線大爆破、東京湾炎上、地震列島、復活の日、首都消失など、1980年代にかけて複数のパニック映画が製作された。
今自分が感じているのは、冒頭でも書いたように、小説や映画で描かれた物理的な沈没ではなく精神/知性的な面での沈没/没落だ。1995年には阪神淡路大震災、2011年には東日本大震災と原発事故が発生したが、それでも小説や映画のように日本が物理的に沈没することはなかった。しかし2010年代、明らかに日本は精神/知性的に衰退してしまった。
なぜそう言えるのか。それは政治と報道に如実に表れている。特に民主主義における政治は、その国の有権者のレベルを映す鏡である。この10年、公文書の改竄や捏造/隠蔽が頻発するなど、日本の政界には嘘や欺瞞が充満している。「すべての政府は嘘をつく」は1920から80年代にかけて活躍した米国のジャーナリスト・I.F.ストーンの信念であり(2020年12/21の投稿)、つまり政治に嘘はつきものだということは時代を超えた真理のようなもので、決してこの10年で急にそうなったわけではないが、「募ったが募集していない」などの発言に代表されるように、政治の嘘のレベルがあまりにも低俗化していること、報道や有権者がそれを黙認・容認・追認してしまっていることは指摘しておきたい。
大手メディアの劣化も激しい。特にテレビはもう報道機関とは言い難いレベルに成り下がってしまった。また、劣化が見られるのは決してテレビだけではなく、大手新聞社もしばしば現実を見誤った記事を掲載する。勿論何事にも例外はあって、全ての報道/情報番組が欺瞞に満ちているとは言えないし、新聞も新聞社・記者・記事によって当然質に差はある。しかし大手メディア全般で言えば、恐らく東日本大震災の頃から劣化が始まっている、と自分は考えている。
今日もそれを実感することがあった。政府与党は、今国会で成立を目指した感染症法改正案に、入院拒否や入院先からの逃走に対する刑事罰・懲役1年以下か100万円以下の罰金を盛り込んでいたが、野党側や世論の強い批判に晒されていた。そして今日・1/28の午前中に、自民党・森山 裕、立憲民主党・安住 淳 国対委員長による与野党協議の結果、刑事罰を削除することで合意したそうだ。
この件に関して、共産党の宮本議員が次のようにツイートしている。
〈特措法改正案 入院拒否の感染者の刑事罰削除で合意 自民・立憲 | NHKニュース〉野党の追及により刑事罰削除は大きな前進ですが、私の意見を申し上げれば、行政罰の過料であればいいとはならない。罰則・制裁措置ほすべて削除すべきと考えています。 https://t.co/aDjbZcEfHy
— 宮本徹 (@miyamototooru) January 28, 2021
刑事罰は改正案から削除されることになったが、罰金と実質的には大差ない行政罰・過料は残る。恐らく立憲民主は自民の合意を引き出す為に過料は残すことを認めたのだろう。自民は世論の反対に譲歩したという体裁、立民は政府与党を合意させたという体裁をとることができる為、このような結果になったのではないかと推測する。しかし結局、宮本議員の言うように制裁は残る。懲役や罰金などの刑事罰という常軌を逸した改正案からは前進したが、その前進の幅は限りなく小さく、実際には体裁を整えただけとしか思えない。
この件を伝える大手メディア各社の見出しは次のようになっている。
- 入院拒否の刑事罰、削除の方針 自民党、行政罰に修正 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
- 入院拒否者への刑事罰削除で合意…「罰金」から行政罰の「過料」に修正 : 政治 : ニュース : 読売新聞オンライン
- コロナ刑事罰削除で与野党合意 懲役刑、罰金刑ともに 感染症法改正案 - 毎日新聞
- 刑事罰削除で与野党合意 感染症法改正案の修正協議: 日本経済新聞
- 感染症法から刑事罰を削除 与野党が合意 - 産経ニュース
- 感染症法、入院拒否の刑事罰を削除 行政罰に見直し<新型コロナ>:東京新聞 TOKYO Web
- 感染症法改正、刑事罰全削除 罰金は過料に―自民・立憲国対委員長が合意:時事ドットコム
- 入院拒否の懲役、罰金削除で合意 与野党、行政罰に変更
- 特措法など改正案 刑事罰の削除で合意 自民・立民 | 新型コロナウイルス | NHKニュース
- 改正案 与野党「刑事罰全て取り下げ」合意|日テレNEWS24
- 入院拒否などでの「刑事罰」削除で与野党合意 コロナ関連法協議で|TBS NEWS
- 刑事罰は削除 感染症法改正案巡り与野党が合意|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト
因みにフジとテレビ東京のサイトには当該記事が見当たらなかった。
テレビ各社は「行政罰/過料は残る」ということを見出しに盛り込んでいない。新聞社や通信社には、その要素を盛り込んでいるところもあるが、当初それに触れない見出しだったのに、後から書き換えたメディアもある。殆どのメディアが本文ではその要素に触れているが、それはかなり大事な要素なのに見出しに盛り込まないのは、果たして誠実な見出しと言えるだろうか。個人的には印象操作になっていると感じる。政府方針に沿わないと制裁が加えられることに変わりはないのだから。
もし立民が、同時に支援や補助の強化を改正案に盛り込むことも政府与党に合意させているなら、立民は体裁を整えただけとは言い難いかもしれない。しかし実際は単に刑事罰を削除しただけで、同等の行政罰は残り、更なる支援や補助の確約を取り付けていないのだから、少なくとも現時点では「立民は自民に屈し体裁を整えただけ」と批判せざるを得ない。
そして多くのメディアが、政府与党と野党第一党が単に体裁を整えただけな件を、あたかも画期的な判断が示されたかのように伝えているのだから、
日本は精神/知性的に衰退してしまった。
と思わざるを、いや、言わざるをえないのだ。