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信頼のおけない政府(とメディア)

 すべての政府は嘘をつく、は1920から80年代にかけて活躍した米国のジャーナリスト・I.F.ストーンの信念であり、その信念を受け継ぐ現代のフリージャーナリストに焦点を絞った、2017年に制作されたドキュメンタリー映画のタイトルでもある。

映画『すべての政府は嘘をつく』予告編 - YouTube


 現在北半球はコロナ危機発生以来初めての冬を迎え、日本のみならず各地で再び感染拡大傾向にある。厳密に言えばコロナ危機が始まったのは2020年1月であり、2度目の冬と言うべきなのかもしれないが、世界各地で急激に感染者が増えたのは2020年3月で、今冬がコロナ危機発生以来初めての冬と言っても大きな間違いではないだろう。
 また、冬だから感染が再び広がり始めているのか、と言うと、南半球は既にコロナ危機発生以降初の冬を越しているが、ニュージーランドなどはその間も概ね感染を抑え込んでいるので、必ずしも冬だからとは言えないかもしれない。但しインフルエンザなども冬に流行する傾向があり、冬だからコロナウイルスへの感染が再び拡大している側面も確実にある。ニュージーランドなどは徹底した対策を講じた為に冬季も感染拡大を抑え込めていた、ということだろう。
 しかし一方で、感染力が強くなった新型コロナウイルスの変異種が既に出現しており、それが感染再拡大の一因となっているという話も出てきた。

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 記事によると、変異種は英国で12/13に最初に確認され、感染者数が急激に増えているそうだ。現時点では致死率や重症化率に従来種との差異は認められていないし、開発が進んでいるワクチンも従来種同様に効果があるそうだが、従来種に比べて感染力が1.7倍になっている恐れがあるらしい。

 日本でも感染拡大の勢いはうなぎ登りで、数日おきにこれまでの新規感染者を更新し続けている。世界的に見て比較的感染者が少ない東-東南アジア地域において、日本は現在ワーストの位置にある。しかも、世界的に積極的な検査を行い感染者の隔離と治療を行うことが対策のスタンダードとなり、台湾やニュージーランドなどはそれによって感染を抑え込んだにもかかわらず、日本では政府や自治体も含めて相変わらず積極的検査不要論がくすぶっているし、政府は感染拡大を促進しかねない旅行促進政策/外食促進策を止めない。一応年末年始のみ中断予定ではあるが、それ以降は再び感染拡大策を続ける姿勢だ。
 日本は、そもそもお抱え専門家に「旅行自体が感染を起こすことはないですから、もしそれが起きていれば日本中は感染者だらけ」などと言わせて、当初から感染拡大の原因となる懸念が示されていた旅行促進政策を始め、また世界的な潮流に反して厚労省が積極的検査不要論を唱え、そして厚労大臣は、ただでさえ飛沫飛散抑制効果は殆どないと言われているフェイス/マウスシールドを、口部分丸出しで着用してしまうような状況なのだ。

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 つまり日本政府が発表する新規感染者数は充分な検査数に基づいていない為、氷山の一角でしかない恐れがかなり高いし、そもそも合理性のある対策がなんら行われておらず、感染者数意外の発表にも信頼感は殆どなく、現在日本がどんな状況にあるのかすら不明である。もしかしたらもう英国同様に変異種の感染拡大が始まっているのかもしれないが、状況を政府が把握できていない、若しくは把握しているが隠蔽している恐れもかなり強く感じる。
隠蔽の恐れは、コロナ危機以前から現自民政権下では幾多の隠蔽捏造改竄事案が発生しており、そう疑われてもしかたない状況だ。

 前首相安倍が恒常的に有権者を供応買収し、それを隠す為に国会で虚偽答弁を繰り返した事件について、「秘書が勝手にやった事」で責任を問う事なく幕引きが図られようとしている、ことについては昨日の投稿一昨日の投稿でかいたが、安倍に国会で説明させることについて、自民党国体委員長の森山が、

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証人喚問は全くなじまないし、予算委員会で説明するのもいかがなものか。議院運営委員会の理事会などはひとつの考え方だと思うが、今議論してもしかたない

という見解を示した。虚偽答弁、つまり嘘をついた人間がそれについて説明する場として、参考人招致とは異なり虚偽の陳述をすれば罪に問われ、懲役刑も有り得る証人喚問が馴染まないというのは、一体どんな了見なのだろう。そして、安倍の虚偽答弁によってこれまでかなり多くの国会審議時間が無駄になっており、つまりそのコストに関わる問題であり、予算委員会での説明が合理的でないというのも理解し難い。
 端的に言って、森山の示した見解からは、安倍が再び虚偽答弁しやすい状況での説明を望み、またテレビ中継がほぼ確実になされる予算委員会で安倍が説明することを避けたい、という思惑・自民党としての損得勘定があまりにも如実に伝わってくる。自民党という党こそが民主主義に全く馴染まないし、虚偽答弁やその隠蔽に加担するのもいかがなものか、と強く思う。

 冒頭で紹介した映画「すべての政府は嘘をつく」が指摘しているのは、どんな政府も少なくなからず嘘をつくことだけではなく、どんな大手メディアもその嘘に加担する、ということも強く指摘している。
 前述のNHKの記事は概ね「森山が○○と述べた」としか書かれておらず、その発言の内容に妥当性があるのか、ということには一切触れていない。それは一見中立なようにも見えるが、おかしいことをおかしいと書かないのは果たして中立だろうか。そのような報道には間違いなく政府広報としての側面がある。「NHKという巨大メディアが批判も指摘もしないなら、政府や与党の言っていることは概ね妥当なんだろう」という空気を醸成しかねない。つまりそのような報道には権力に与する側面があり、決して中立とは言い難い。「すべての政府は嘘をつく」を、NHKはBS世界のドキュメンタリーで放映したことがある。そこに大きな矛盾を感じるのは自分だけだろうか。
 因みに最近政府に対して批判的な記事が少し増えた毎日新聞も、「データを精査し経済を止めるな 小林よしのりさんに聞く(上) 医療プレミア特集 医療プレミア編集部 毎日新聞「医療プレミア」」なる記事を掲載した。小林 よしのりは医療の専門家ではないし、しばしば陰謀論を唱える問題の多い人物だ。コロナウイルスについても「ただの風邪」と言い続けてきた人物である。毎日新聞はそんな人物へのインタビューを、医療関連記事として掲載したのだ。

 これらの件も、

 すべての政府のみならず、すべてのメディアも嘘をつく

ということを如実に物語っている。勿論、だからと言ってメディア報道は全てデタラメだということではない。「メディアが報じないこと」という枕言葉を使うインフルエンサーには陰謀論に染まっている者も多く、そのようなWebメディアばかり信用するのも確実に危険だ。
 「すべての政府のみならず、すべてのメディアも嘘をつく」の真意は、情報を、発信している組織や個人、肩書への信頼感だけで鵜呑みにせず、どんな話も手放しに信用してはならず、吟味してから受け止める必要がある、だ。


トップ画像は、Photo by Xiaolong Wong on Unsplash を加工して使用した。

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