スキップしてメイン コンテンツに移動
 

現自民政権にカイゼンの余地はない

 トヨタ生産方式は、ムダの徹底的排除や合理性の追求によって生産環境のシステム化を図る理念だ(トヨタ生産方式 経営理念 企業情報 トヨタ自動車株式会社 公式企業サイト)。高度成長期以降国内のみならず国外からも注目されるようになり、Wikipediaにも英語版「Toyota Production System」をはじめとして複数の言語のページがある。


 トヨタ生産方式の基本的概念の一つに「改善」があり、このトヨタ生産方式における改善はしばしばカタカナで「カイゼン」と表記される。これは恐らく、この改善の概念がトヨタ生産方式以上に海外にも広まり、KAIZEN という言葉がそのまま各地で用いられていることに由来するのだろう。つまり、改善が 豆腐 / TOFU 並みに世界的に意味の通用する共通語・KAIZEN になった、のようなニュアンスが、カタカナのカイゼンには込められているのではないだろうか。
 カイゼンとは - コトバンク の解説には、

トヨタ生産方式の主要な考え方の一つ。無駄を見つけ、なるべく費用をかけずに迅速になくす。特定の人がやるのではなく、全員参加が特色。

とある。そもそも元来の改善も「誤りや欠陥、ミスを是正し、より良い状態にする事、行為」(改善 - Wikipedia)であり、基本的には同じニュアンスだが、カイゼンは更に合理性を追求しているニュアンスが込められているように思う。
 また「採用情報|トヨタモビリティパーツ株式会社 茨城支社」ではカイゼンを、

トヨタの仕事哲学であり、世界の共通言語[KAIZEN]として広く知られるトヨタ式カイゼン(改善)。それは、単なるマニュアルやノウハウではなく、どんな仕事にも応用できる基本的なモノの考え方(=哲学)です。

と定義している。つまりカイゼンは、生産現場のムダ排除や合理性追求だけを意味する狭い概念を意味しているのではなく、もっと広義の「できるだけ迅速によりよい状態を、全員参加で追求すること」を意味していることが分かる。

 ということは、問題が明らかなのにそれを放置したり解決を先送りしたりすることは、カイゼンの精神に反する。問題を放置したり先送りすることは要するに無駄を生むことに他ならない。やってみないと分からないことというのは間違いなくあり、問題が発生することが必ずしも無駄とは言えないが、問題が起きることが明らかなのに方法や方針を変えないのは基本的に無駄だ。問題が生じても尚方法や方針を変えないなんてのは、無駄を通り越して愚の骨頂である。

 昨日次の2つのツイートが目に入った。

塩村さんは「そろそろ政府は本気になって欲しい」、平野さんは「政府は頭を冷やして欲しい」と言っている。感染が急拡大している、という問題が明らかなのに、GOTOナンチャラを止めて感染症対策に専念しようとしない政府にカイゼンの精神は感じられないし、昨日の投稿でも指摘したように、明らかに感染症対策の遅れの原因となっている五輪開催に固執する政府も同様で、2人の主張は概ね賛同できる。

 しかし自分には、この2人も状況を見誤っているように感じられる。言い換えればカイゼンの精神が足りないように思う。問題を的確に捉えられなければ改善/カイゼンを適切に進めること・実現することはできない。
 前述のように2人が現状に感じている違和には強く同意するが、塩村さんは「そろそろ政府は本気になって欲しい」、平野さんは「政府は頭を冷やして欲しい」と言っており、つまりそれは「現政府が本気になれば状況はよくなる」「現政府が頭を冷やせば状況は好転する」可能性がある、と考えているということだろう。しかし自分には「こんな状況に及んでも、まだGOTOナンチャラを止めないのが現政府の本気。そうでなければ強行採決連発も隠蔽改竄捏造頻発も起きてないし、1年も経って未だに体たらくなコロナ対応もしているはずがない」としか思えず、つまり今の政府に改善/カイゼンは全く期待できないと判断するのが妥当だと考えている。
 「頭を冷やしてほしい」についても勿論同様で、下手の考え休むに似たりであり、この状況で本気で感染拡大させる側面のあるGOTOナンチャラをやっていたり、積極的・具体的な感染症対策をせずに、つまり感染症を収束させる気がないのに、「何が何でもオリンピックやる」と言っているような人達が、頭を冷やしたところで結果は何も変わらないだろう。
 そんな意味で言えば、塩村さんも平野さんもカイゼンを実行できないであろう考えを披露している、と言えるのではないか。例えば、これまで8年間自民政権が概ね及第点以上の政治をしてきたのなら、本気出せば・頭を冷やせばまともな状態に戻る可能性があると捉えることもできるだろうが、少なくとも安保関連法案の強行採決以降の彼らの振舞いとその結果に鑑みれば、そんなものは微塵も期待できないと判断するのが妥当なのではないか。つまり

 現自民政権にカイゼンの余地はない

と判断するのが妥当なのではないか。

 2人は「溺れる者は藁をもつかむ」のような見地でそのようなツイートをしたのかもしれない。もし2人が一市民であればそんな主張にも妥当性があるかもしれないが、塩村さんは国会議員であり、平野さんは小説家ではあるが評論家としての側面も持っている人物である。
 今の状況に対する最善のカイゼン策は、微塵も期待できない現政権に改心を促すことではなく、早急に退場願うことなのではないか。つまり総辞職の機運を高めることこそが現状での最善の策ではないのか。

 

このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。