与える情報を制限したり、虚偽にならない範囲で改変することなどによって、発信者が意図する印象を視聴者や読者に植え付けようとすることを「情報操作」と呼ぶ。イメージ操作・印象操作などと表現されることもある(情報操作 - Wikipedia)。
プロパガンダとは本来、「繁殖させる」「種をまく」を意味するラテン語だが、現在は主に政治的な宣伝、情報操作によって特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為を指し、プロパガンダという単語はほぼネガティブな印象を伴って用いられる(プロパガンダ - Wikipedia)。
戦前戦中の日本やドイツではプロパガンダが猛威を振るった。報道機関が権力の支配下に置かれ、政府に都合の悪い情報は隠され、事実を捻じ曲げて状況が権力に都合よく国民へ伝えられた。連合国側にも全くプロパガンダがなかったわけではないし、現在民主的とされる国家においても少なからずプロパガンダは存在する。戦後の米国では共産主義やソ連を過剰に嫌悪するようなプロパガンダが政府やメディアによって行われた為、米国の強い影響を受けている日本でも、相変わらず共産党に対する漠然としたアレルギー反応を示す者が決して少なくない。また昨今、世界的には大麻が解禁される潮流があるが、日本ではこれまで「ダメ、ゼッタイ。」なるプロパガンダが政府やメディアで展開されてきた為、合理性を欠いた拒否反応が未だに根強く残っている。
情報操作もプロパガンダも、急に強引に始まれば誰もがその異様さに気付く。だからそれらは気付かれないように始まり、そして徐々にボリュームを上げるように行われる。だからその初期から中盤にかけては「虚偽にならない範囲で情報を改変する」ことがしばしば行われる。あからさまな嘘が公然と披露されるようになればそれはもう末期的だ。
昨日の投稿でも取り上げた日経の記事、
首相「男系継承を最優先に」 安定的な皇位継承策 日本経済新聞
はその典型的な例だ。記事の冒頭には内容の概要として「菅義偉首相は3日のニッポン放送のラジオ番組で、安定的な皇位継承策の検討に関し「現状においては、男系継承は最優先にすべきだ」と述べた」と書かれている。見出しは必ずしも内容に反するとは言い難い。しかしこの見出しではまるで男系優先を維持することこそが安定的な皇位継承策かのようだ。文章力が稚拙な記者、校閲担当者らによる見出しとも考えられるが、個人的には、そのような錯誤を狙った情報操作がこの見出しの意図のように思えてならない。
緊急事態宣言 実効性か経済重視か? 週内にも発令 対策内容に注目 - 毎日新聞
という毎日の記事も、日経の記事と同様に意図的な情報操作の疑いがある。「新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからない中、政府は週内にも東京・埼玉・千葉・神奈川の1都3県に緊急事態宣言を再発令する。経済の更なる停滞を招く懸念から宣言下でも限定的な対策にとどめる方針だが、実効性が疑問視される」と記事の冒頭にあり、見出しは決して虚偽とは言い難い。しかしこの見出しを見た読者の中には「コロナ危機対応は実効性重視か経済重視かのどちらかを選ばなければならない」という印象を抱く者もいるだろう。そしてそんな印象を抱く者は決して少なくないだろう。
他の国では「自粛と補償はセット」が当たり前のように行われている。緊急事態宣言による休業要請などが行われる際には、その分の損害を補填する補助・助成が行われている。なのになぜ毎日は、あたかもどちらか選ばなければならないかのような見出しをつけるのか。政府の役割は実効性と経済維持の両立を図ることであり、それが実現できないなら落第である。なぜそのニュアンスを見出しに反映しないのか。理解に苦しむ。つまり、どちらか選ばなければならないという印象を読者へ意図的に与え、政権が両立を図れなくても責任を軽くしたい意図が記者にあるのではないか、と疑いたくなる。
日経は財界に寄り添う傾向が強く、つまり以前から政権寄りの記事や表現が以前も今も多く見られるが、毎日はこの数か月で政権を積極的に批判する記事が増えた。以前はNHK的な両論併記、言い換えれば、積極的に批判せず○○がありました/と述べました、とだけ伝える記事が多かったが、その傾向に変化が見られる。しかしそれでも、こんな見出しを記事に付けたり、サイバーセキュリティー担当大臣なのに「PCを使ったことはない」と平然と述べたり、「復興以上に大事なのが議員」と発言して辞職に至ったりした自民・桜田 義孝にコロナ対策についてインタビューした記事を掲載したりもしている(コロナ禍で教育への投資を減らさない支援を 丑年に聞く 桜田義孝 毎日新聞「政治プレミア」)。
全国紙のうちのいくつかは、もう報道機関とは全く言い難いテレビ各局に比べれば幾分マシだが、あくまでもマシでしかない。メディアを看板だけで信用したり、しなかったりするのは確実に間違いである。しかし一方で、その看板で活動しているのだから、いい加減な記事や見出しを掲載すれば、他の妥当な記事や見出しも含めて信頼がその分だけ下がるのは当然だ。
このままでは、日本から信頼のおけるメディアがなくなってしまいそうだ。そんなメディアが束になって記者クラブを形成し、権力と一体化しているのだから、もう現状はかなり戦中に近づいている。
この投稿の中で「プロパガンダ/情報操作の初期から中盤にかけては「虚偽にならない範囲で情報を改変する」ことがしばしば行われる。あからさまな嘘が公然と披露されるようになればそれはもう末期的」と書いた。今メディアで行われいてるのは「虚偽にならない範囲での情報改変」かもしれないが、現政権では既にあからさまな嘘が公然と披露されている。公文書の改竄捏造、首相が虚偽答弁を繰り返し、それらを閣僚や与党幹部らが寄ってたかって擁護する。過去に学べば、このままではこの国がどうなっていくのか、は一目瞭然だ。内閣広報官「それでは、大変申し訳ございません。次の日程がございますので、これで会見を終了させていただきます」
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) January 4, 2021
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