昨日・2/14はバレンタインデーだった。もうかなり前からクリスマスとかバレンタインデーなどとは無縁の生活を送っている。大袈裟に言えば、正月などとも無縁だ。そのタイミングで甥っ子や姪っ子、友人の子どもと顔を合わせるようなことがあれば、お年玉やクリスマスプレゼントなどをあげたりはするので、全く無縁というわけでもない。しかし自分の生活には基本的には変わりがなく、そのような日も他の日と大きな変わりはない。
バレンタインデーに最後にチョコレートを貰ったのも、もういつのことか全く覚えていない。2020年11/8の投稿でも書いたように、自分は甘い菓子よりもしょっぱい菓子を好む質だ。嫌いとか食べられないとかいうことではないが、チョコレートを自ら購入することなどは全くなく、チョコレートを沢山貰いたいという願望もない。そりゃあ学生の頃はチョコレートを食べたい云々とは別の願望はあったが、今はもうバレンタインデーなどなくても全く困らない。
弘中綾香アナがバレンタインデーに長年抱く疑問を明かす。「義理チョコは廃止でいい」 | ハフポスト
ハフポストはバレンタインデーに際してこんな記事を掲載した。テレビ朝日アナウンサーの弘中 綾香へのインタビュー記事である。彼女は「例えば、好きな方にチョコレートとか贈り物を贈る機会になっていることに関しては別に何も思わない」と前置きした上で、
でも、なぜ女性が男性に対して「日頃の感謝を込めました」みたいな感じで贈らないといけない「風習」になっているんだろうと感じます
そもそも私たちは男女平等に皆同じように働いているのに、なぜ矢印が「女性から男性に贈る」という一方通行の1本しかないのかという点にも疑問を感じています
と言っている。自分はこれを読んで、3/14にホワイトデーがあるのにそれは無視?と思った。彼女は「経験として義理チョコを貰った方のリアクションを見てもそこまで喜んでない人もいれば、お返しがないケースも実際多いんですよ」とも言っていて、つまり彼女の中では、バレンタインデーの存在がホワイトデーに比べてかなりデカいんだろうなとも感じた。
そんなことを理由に彼女は、
- 無くなったらいいと思う日があったら、堂々の1位
- バレンタインの義理チョコと年賀状は、もともと廃止でいい
- この行為は「一体誰が得をするんだろう」って思ってしまうので、義理チョコは個人的に廃止でいい
と、廃止を強く訴えている。少なくとも記事の構成上はそうなっている。しかし一方で、
そういった疑問を感じながらも、職場での義理チョコを「やめる」ことは出来ていない。周りが贈っているため、それに合わせてしまう自分がいる
とも言っていて、自分には、単に自分の意思が弱いだけじゃないのか?自分の意思で止めることができない中毒状態だから、廃止にしろ!と言ってるんじゃないか?と感じられる。
この弘中の主張にはとても大きな違和感を覚える。彼女が義理チョコを廃止しろ!と言っている理由は、義理チョコをあげるのが当たり前という同調圧力が社会、少なくとも彼女の属するコミュニティには存在しているから、だと説明できるだろう。それは、彼女が年賀状も共に廃止すべきものとして挙げていることからも説明できる。
しかし、世の中には義理チョコに違和を感じない人も確実にいる。本来やりたくないのに義理チョコを用意する女性が全てではない。義理チョコに否定的でない人達のことを考慮せずに「義理チョコは廃止しろ」というのは、逆方向への同調圧力でしかない。バレンタインデーだから何かしなきゃいけない、年賀状出して当然という空気感・同調圧力がダメなだけで、義理チョコも年賀状もそれ自体は何も問題はなく、廃止なんてしなくていい。
弘中が義理チョコを配らないと周りから白い目で見られる、が事実なら、そのコミュニティ、白い目で見る者が悪いだけだ。そういうことではないのに、自分の意思が弱く止められないから廃止しろ!と言っているならかなり乱暴だ。
2020年8/28の投稿でも触れたように、世の中には、全ての性風俗で働く女性は嫌々やらされている、だから性風俗は全く容認できない、という感覚の人がいるが、決してそんなことはない。勿論そんなケースも少なくはないのだろうが、そういう風に決めつけるのは、寧ろ性風俗で働く女性を偏見の目で見ているとも言えるだろう。
弘中の主張「義理チョコと年賀状は廃止でいい」もまた、彼女が嫌う同調圧力になってしまっている、という矛盾を抱えている。
こう書いていて、「自分もオリンピックを中止しろと声高に主張していて、それもまた逆方向の同調圧力かも?」という思いが頭をよぎった。しかし自分が反対しているのは、何が何でも開催する、開催ありきで話が進んでしまっている東京オリンピック、である。
しかもオリンピックには国や自治体から多額の予算がつぎ込まれており、全ての国民、というか日本国籍でなくとも日本在住であれば少なからず納税しているので、日本に住む全ての人が、強制的に参加させられてる、賛同させられている、と言っても過言ではない。だから自分は、賛同できない、開催に反対する、と言ってる。
もしオリンピックが、明らかな商業イベントで、多少の税金が支援に使われてるとしても、公的に開催されるような性格のものではなく、参加したい者だけが参加する、関わりたい者、賛同するものだけによって行われるイベントであれば、反対はしない。しかしオリンピックはそういうイベントではない。自治体や政府が積極的に関与し多額の税金が投入されるイベントだ。
しかも昨年の今頃には、
こんなことを言い始め、そのサイトは今も残っている。
つまり、東京オリンピックは間違いなく同調圧力に満ちていて、しかも、直近に批判が巻き起こった組織委会長 森の女性蔑視発言と、それに対するオリンピック関係者らの姿勢/対応を見ても、その傾向を改善する余地はないとしか判断できず、関係者や開催自体に著しい問題性があり、だから中止せざるを得ないという結論に至っている。