スキップしてメイン コンテンツに移動
 

あだ名禁止の浅はかさ

 世界で最も有名なあだ名の1つにフォルクスワーゲン”ビートル”がある。正式名称よりも遥かにあだ名の方が知られているケースでは世界一と言っても過言ではない。1998年にデビューした後継モデルでは、遂に正式名称がニュービートルとなったこともあって、トップ画像の旧モデルもビートルが正式名だと思っている人も少なくないだろう。


 車に多少興味のある人なら、ビートルはあくまで非公式な愛称であり、一般的にはフォルクスワーゲン タイプ1と呼ばれていることを知っているだろう。だが、タイプ1も正式なモデル名ではなく型式名である。頭文字Dの主人公が駆ることで広く知られることになったAE86も型式名であり、1983-87年式のトヨタ カローラレビン/スプリンタートレノを指す。タイプ1もそれと似たような呼称なのだが、実はそれもかなり大雑把な呼び方で、厳密には年式などによりもっと細かな型式がある。
 ビートルの本当に正式なモデル名は、Volkswagen 1200/Volkswagen 1300/Volkswagen 1500/Volkswagen 1302/Volkswagen 1303など、搭載エンジンの排気量や年式などによって異なる為、タイプ1という総称、ビートルという愛称が、このモデル全般を示す為に必要になった。


 先週末・2/20にツイッターで「あだ名禁止」が話題に上っていた。そのきっかけは産経新聞のこの記事だった。

学校現場で消えゆく「あだ名」 呼ぶ賛否(1/3ページ) - 産経ニュース

「あだ名」が近年、学校現場から消えつつある。人気漫画「ドラえもん」に登場するジャイアンなどがよく知られるが、小学校では名字に「さん」をつけて呼ぶのが望ましいとする指導が定着。平成25年に施行された「いじめ防止対策推進法」がこうした流れを加速させたとの見方もあるが、いじめは減っていないのが現状だ。

 記事にもあるように、この小学校でのあだ名禁止教育は、このタイミングで急に注目されたわけではない。少し検索しただけでもこれらが見つけられた。


 からかいのニュアンスを込めたあだ名や、そのようなあだ名がいじめに繋がる恐れを否定することは出来ない。そこへ何かしらの対応が必要であることは間違いない。差別用語に関する考察をした2018年1/2の投稿では、自分が経験した小学生の頃の呼称にまつわる級友とのいざこざについても書いた。
 しかし、全てのあだ名にからかいが込められているわけでも、いじめに繋がるわけでもないのに、あだ名を全面的に禁止し、さん付けで呼ぶことを推奨するのは、臭い物に蓋をするだけでしかない。それは、問題のないあだ名と問題が生じるあだ名について、子どもたちが自ら考える機会を奪うことにもなる。子どもを守るという名目の下で、子どもが自ら考える、物事を判断する力を養う機会を奪うのは、果たして教育と言えるのか。あだ名禁止・さん付けで呼ぶという、大人が与えたルールに右へ倣えさせることは、場合によっては虐待的ですらある。


 前述の2018年1/2の投稿では、

差別用語の多くは、元々は差別的なニュアンスを持たないが、用いる人が込めるニュアンスや、用いる人がそのようなニュアンスを込めなくても、コミュニケーション不全によって受け手側が差別的なニュアンスを感じてしまうことで、徐々に差別用語化したものだ。だから差別用語に該当するかどうかは人によって感じ方が違う。なので考えが違う者がそれぞれ尊重し合って話をする必要がある

と書いた。あだ名もそれと同じである。
 例えば、世界で最も知られるあだ名の1つとして紹介したフォルクスワーゲン ビートルは、母国ドイツでは Käfer/ケーファー、英語圏では Beetle/Bug など、ヨーロッパでは概ね甲虫を意味する単語で呼ばれている。日本でもそれに倣ってビートル/カブトムシと呼ぶが、タイでは เต่า /タオと、亀の愛称で呼ばれているらしい。またブラジルでは Fusca/フスカと呼ばれているのだが、フスカとは南米に生息する大きなゴキブリのことだ。同じくポルトガル語が公用語のポルトガルでは、甲虫を意味する Carocha/カロチャと呼ばれているし、ブラジルにも当然カブトムシなどの甲虫はいるのに、フスカの名が定着している。
 もし日本で、フォルクスワーゲン タイプ1のことをゴキブリと呼んだら、愛好家はいい気がしないどころか侮辱しているとすら感じるかもしれない。あだ名の良し悪しを考えるとは、そういうことだ。

 そのような呼称に限らず、表現全般にまつわる機微を感じ取れない大人は、あだ名が禁止されていなかった状況で育った世代にも多く存在する。その解決策として、特定の表現の使用を全面的にタブー化したがる人もいるが、それは大抵なんの解決にもならない。それは別の表現に同じ思いが込められてしまうからであり、必要なのは、場当たり的な表現の規制ではなく、そのようなことを根本的に改善する為の、他者への配慮とコミュニケーション能力の向上だ。
 他者への配慮とコミュニケーション能力の向上の為に最も重要なのは、何かに右へ倣えすることではなく、物事の良し悪しを判断する力を磨くこと、つまり自分の頭で考えることである。だからあだ名禁止なんてのは教育でもなんでもない。


 黒髪強要や下着の色をチェックするなど、教員が誰も合理性を充分に説明できないような、所謂ブラック校則が未だにまかり通っているのが日本の教育現場であるが、なぜ日本の教育は、子どもが自分の頭で考える機会を奪い、ルールや教員や先輩など目上の者に従属することばかりを求めるのか。そんなことをやっているから、自分の頭で考えることが出来ず、多数派になびくだけの日本人が量産されてしまっているのではないか。


 トップ画像は、esclphotografによるPixabayからの画像 を加工して使用した。

このブログの人気の投稿

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

「死にたきゃ勝手に死ね」の危険性

  藤田 孝典 さんという社会福祉士で大学教授が、Yahoo!ニュース個人に投稿した「 川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい 」という記事が話題になっている。これは昨日・5/28の朝、川崎市で起きた通り魔事件に関する記事だ。スクールバスを待つ小学生らが刃物で襲われ、小学生1人と保護者1人が死亡し重傷者も複数出た。犯人とみられる男性は自らも首を刃物で切り、病院に運ばれたがその後死亡した。  当該記事はSNS上等での言説に対する見解でもあるようだが、落語家の立川志らく氏が、事件から数時間後に出演したワイドショーで「 死にたいなら一人で死んでくれ 」と発言していたようで( スポーツ報知 )、もしかしたらそれを前提に書かれた記事なのかもしれないし、別の番組・別のコメンテーターなども似たような発言をしていたのかもしれず、そういうことをひっくるめた話なのかもしれない。  この記事に反論している人も相応にいて、彼らはどうも「犯人の人権がそんなに大事か?」とか、「犯人を擁護するような事を言うべきじゃない」という認識に基づいて主張しているように見えるが、それは見出しに引きずられ過ぎだろう。何度読み返してみても当該記事がそんなことを主張しているようには思えない。強いて言えば、そのような誤解を生みかねない見出しにも問題性がないわけではないだろうが、この見出しが強く錯誤を誘発するような表現とは言い難く、見出しにばかり注目する者の問題性の方が高そうだ。

インディアンスのキャラクターは差別的?

 MLB・アメリカのプロ野球メジャーリーグの球団、 クリーブランド・インディアンス は、 先住民をキャラクター化したデザインを含むチームロゴ をこれまで使用していたが、2019年のシーズンから使用を止めると発表したそうだ。 TBSニュースの記事 によると、インディアンスは1947年からマスコットキャラクターとして”ワフー酋長”をデザインし、チームロゴなどで使用してきたが、「 先住民を滑稽に誇張して差別的 」などの批判が近年寄せられるようになり、” 長年親しまれたロゴだが、時代にそぐわないとMLB・球団が判断 ”し、この決定に至ったようだ。”インディアンス”というチーム名自体にも否定的な見解が少なくないようだが、今回はチーム名はそのまま継続するという判断に落ち着いたようだ。