生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の 何がわかるというのだろう。
1988年11/23にリリースされた、THE BLUE HEARTSのアルバム・TRAIN-TRAINの11曲目「青空」の歌詞にある一節だ。この曲は翌1989年6月にシングルとしてもリリースされた(青空 (THE BLUE HEARTSの曲) - Wikipedia / The Blue Hearts – 青空 / 平成のブルース (1989, Vinyl) - Discogs)。
THE BLUE HEARTS - 青空 (Aozora) - YouTube
この曲・その歌詞(THE BLUE HEARTS - 青空 - Google 検索)を思いだしたのは、昨年・2020年3月に、夫のヘンリー王子と共に英王室の主要公務からの引退を表明し、引退に関しては1年後に再確認が行われることになっていたが、2/19に変わらぬ意思を伝え、最終的な王室からの離脱が成立した、王子の妻・メーガン妃が、
イギリス王室のメンバーから、生まれる前にアーチーちゃんの肌の色についての「会話」や「懸念」があった
と、米CBSが放送したオプラ ウィンフリーとの対談の中で明かしたからだ。メーガンの母はアフリカ系アメリカ人の母親、父親は白人である。
メーガン妃、長男の肌の色に英王室メンバーから「懸念」「会話」があったと告白。 | ハフポスト
2人と対談したウィンフリーは「王子は私に念を押した。王子の祖父母はこの話と関係ない」と述べ、女王エリザベスと夫のフィリップは無関係であると主張しているそうで(英女王夫妻は無関係 人気司会者ウィンフリーさん釈明―米:時事ドットコム)、果たしてこの件がどの程度深刻な問題なのかは定かでないが、英王室は、「記憶は人によって異なるかもしれないが、指摘された問題には王室内で対応する」「深刻に受け止めている」という声明を既に出している(英王室、人種差別の非難「深刻に受け止める」 メガン妃の発言受け - BBCニュース)。
これには、近い将来日本でも同じことが起きるであろう懸念を強く覚えた。純粋な白人こそが王室に相応しいと考える人が王室内にいるかどうかは別としても、英国のみならず白人社会に存在していることは間違いないのと同様に、日本にも、皇室に相応しいのは純血の大和民族に限られる、と考えている人達が間違いなく存在している。
皇室に限らず、自分の息子・娘は純日本人と結婚して欲しい、所謂国際結婚は好ましくない、と考えている日本人もまだまだ決して少なくない。しかし、日本に観光で訪れる外国人や、日本に居住する国外にルーツを持つ人達が増えれば、所謂国際結婚の件数も同時に増えていくはずだし、そうなればいずれ皇室の誰かが、純日本人以外との婚姻を望むケースも出てくるだろう。
日本国憲法24条には、婚姻は両性の合意のみに基いて成立すると書かれている。しかし現在、秋篠宮家の長女・眞子の結婚に関して、秋篠宮や皇室が認めるとか認めないとか、小室 圭が相手に相応しいとか相応しくないとか言う外野があまりにも多過ぎる。もし相手が日本人でない者だった場合、このような反応が更に大きくなるのではないかという懸念を感じずにはいられない。
2017年には、自民党・竹下 亘による「(来賓の)パートナーが同性だった場合、私は(晩餐会への出席には)反対だ。日本の伝統にも合わないと思う」という発言があった(2017年11/24の投稿)。皇室メンバーが差別的な姿勢を示さなかったとしても、その周辺や古い考え方に取りつかれた政治家らが、差別的な姿勢を示したり、明らかに差別的な言葉を浴びせる恐れは否めない。
THE BLUE HEARTS の青空がリリースされてから既に30年以上が経っている。それ以前も出自や皮膚や目の色で人を差別してはいけないという話はあったが、少なくとも30年以上経っても、世界からも、そして日本からもその種の差別はなくなっていない。
青空はこれまでに、miwa、藤原 ヒロシ、片平 里菜、竹原ピストル、WANIMA、Acid Black Cherry、菅田 将暉らがカバーしているそうだ。なぜ青空がカバーされるのか。それには、勿論同曲が楽曲的に優れているということもあるだろう。しかし同時に、青空に込められたメッセージは、今も訴え続ける必要がまだまだあるからでもあるのではないか。
人間とは愚かな生き物なので、過去の間違いを忘れれば大抵同じ失敗を繰り返してしまう。もし青空で歌われていることが概ね解決・解消したとしても、教訓的に語り継ぐ必要はあるだろう。しかし、青空で歌われていることを、将来の若者たちがすぐには理解出来ないような社会になることが望ましく、「そんな時代のことを歌った古い歌がある」くらいに、ある意味で重視されない状況になることこそが望ましい。リリースから30年以上も経っているのに、青空の歌詞が全く古びていないことは、素晴らしくもあるし、好ましくないことでもある。
余談ではあるが、メーガンの件について書かれた東京新聞記事の見出しがあまりにも酷い。
英王室「深刻に受け止める」 メーガン妃の人種差別発言で声明:東京新聞 TOKYO Web
メーガンが人種差別的な発言を受けたと主張しているのに、この見出しではまるでメーガンが人種差別的な発言をしたかのようになってしまっている。しかもそこに「英王室「深刻に受け止める」」とあるので、あたかもメーガンによる人種差別的な発言を受けて、英王室が「メーガンの人種差別的な発言は深刻な問題だ」という見解を示したかのように読める。昨今、大手メディアでもこんな低レベルな日本語表現がしばしば目に付く。
この記事はまだ訂正も削除もされていないが、そのような指摘を受けた場合に、注釈もせずにしれっと訂正したり、突然記事を削除したりして、まるで何もなかったかのように振舞うメディアもかなり多く、質の低下を強く懸念する。報道機関を自負するなら、もっと自分達の振舞い・表現に責任を持つべきだ。