壊れかけのRadioは、徳永 英明の1990年のヒット曲だ。古いラジオを思春期の象徴として歌った、ノスタルジックな曲である(壊れかけのRadio - Wikipedia)。タイトルは「壊れかけ」だが、曲の冒頭には「何も聞こえない、何も聞かせてくれない」という歌詞があり、「壊れた」というニュアンスである。「壊れかけ」は、通電するが音が出ないという意味、若しくは節回しの都合による表現かもしれない。
徳永英明 / 壊れかけのRadio - YouTube
トップ画像を見れば、これから何について書くのかは一目瞭然だろうが、もう少し前置きを続ける。
「馬鹿の一つ覚え」という慣用表現がある。説明するまでもないが「ある一つの事だけを覚え込んで、どんな場合にも得意になって言いたてること」だ(馬鹿の一つ覚えとは - コトバンク)。「阿呆の一つ覚え」とも言うようで、阿呆の一つ覚えとは - コトバンク には、「夫婦善哉」で知られる、織田 作之助という昭和初期の小説家が用いた例が紹介されている。また、単に「一つ覚え」と言っても同じ意味なのだそうだ(一つ覚えとは - コトバンク)。
馬鹿の一つ覚えの解説には「ある一つの事だけを覚え込んで、どんな場合にも得意になって言いたてること」とあるが、実際には言説に限らず、同じ行動を繰り返す場合にも用いたられる。言説の場合に限って「壊れたレコードのように馬鹿の一つ覚えを繰り返す」という表現がなされることがある。通常のレコードは盤面に渦巻き状の溝があり、それを針が外側から内側に向かってなぞっていくことで曲が流れる。しかし、溝が渦巻き状になっておらず、円状の溝が沢山ある特殊なレコードもある。その種のレコードは、針が同じところをなぞり続けるので、同じフレーズを何度も何度もループし続ける。通常のレコードでも、何らかの原因で溝がループ状になってしまうと、曲の同じ部分だけを何度も何度も繰り返すことになる。それが「壊れたレコード」だ。
1/27の投稿でも指摘したように、現首相の菅は「仮定の質問には答えない」というセリフを頻繁に用いてきた。これは菅に始まったことではなく、菅が踏襲すると宣言している前内閣の首相である安倍も頻繁に使っていた。つまり最早自民党政権の悪しき伝統になってしまっている常套句だ。その投稿を書いた頃、そこで指摘したのと同様に、都合の悪い時は仮定の質問には答えないと言うが、都合によっては平然と仮定の質問にも応じるではないか、という批判が高まった。それを受けて、それからしばらくの間、菅はその類のセリフを控えてきた。偶然使わなかっただけかもしれないが、しばらくの間口にしてこなかったことに違いはない。
しかし4/7、もうほとぼりが冷めたと思ったのか、それともうっかり口にしたのかは分からないが、菅はまた「仮定の質問に答えることは控える」と言い放った。4/7のぶら下がり取材の中で、政府が事故原発に溜まっている汚染水の海洋放出を決定し、それによって風評被害が出た場合の東京電力による賠償の必要性について、
仮定のことについては、やはり控えた方がいいと思います。いずれにしろ、風評被害は最小限にする努力というのは、絶対に必要だと思います
と発言した。
令和3年4月7日 東京都によるまん延防止等重点措置の適用の要請等についての会見 | 令和3年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ
馬鹿も休み休み言え、という感しかない。そもそも、汚染水の海洋放出自体がまだ決定も実施もされておらず仮定の状態であり、仮定のことに答えないのが妥当であれば、決定するまで一切何も答えなくてよいことになる。つまり、仮定のことに答えないなら首相はおろか国会議員も政治家も全く務まらない。政治活動の大半は、仮定のことを考え行動することだ。
更に、仮定の質問に答えることは控えると言いつつ、その直後に「風評被害は最小限にする努力は必要」と、仮定の質問に答えている。つまり菅、いや自民党政権関係者の言う「仮定の質問には答えない」は、都合の悪い質問には答えない、ということでしかない。
こんなのが首相をやっている、首相になれる日本という国はかなり残念な状態だが、残念なのは政府や政治に限らない。このぶら下がり取材は官邸記者クラブ所属メディアの記者だけが参加できるのだが、菅の当該発言後、
- そもそも、汚染水の海洋放出自体がまだ決定も実施もされておらず仮定の状態であり、仮定のことに答えないが妥当であれば、決定するまで一切何も答えなくて良いことになるではないか
- 仮定の質問に答えることは控えると言いつつ、その直後に「風評被害は最小限にする努力は必要」と仮定の質問に答えているではないか
など「仮定の質問に答えない」には妥当性がないことを、官邸記者クラブ所属メディアの記者の誰も菅に指摘していないのだ。つまり官邸記者クラブ所属メディアもかなり残念な状態であると言わざるを得ない。
そんな政府、政治家、報道機関の姿勢が許されてしまっているのは、国民・有権者の政治的関心が著しく低い所為でもある。このブログでは毎度毎度書いていることだが、 つまり、政治や報道だけでなく、有権者も含めて非常に残念な状態なのが日本という国なのだ。