生命保険代理店に勤務していた男性が、同性愛者であることを上司から同僚に暴露されて精神疾患になったとして、4/27に労基署に対して労災申請した、という記事をハフポストが掲載している。「同僚には自分のタイミングで、自分から伝えたい」と上司に伝えていたにもかかわらず、「自分から言うのが恥ずかしいと思ったから、俺が言っといたんだよ。一人ぐらい、いいでしょ」と上司に笑いながら言われたそうだ。
同性愛を上司が暴露、精神疾患に。アウティング被害の男性が労災申請 | ハフポスト
その結果男性は同僚らから無視をされたり、避けられたりするようになり、心療内科で抑うつ状態と診断され、その後、職場を退職したそうだ。
記事の見出しにもあるように、このような性的指向や性自認を望まない形で他人に暴露する行為は、アウティングと呼ばれている。自分の記憶では、このアウティングという表現が一般的に用いられるようになったのは、2015年に一橋大法科大学院で発生した、男子学生が同級生にゲイであると暴露された後、転落死した事件(一橋大学アウティング事件 - Wikipedia)からだ。
「アウティングという表現が一般的に用いられるようになったのは、」という表現を用いたが、社会問題に無頓着だったり、興味を持たない人達のような層にまでアウティングという概念が浸透したとはまだまだ言い難い。つまりここでの「一般的に用いられるようになった」は、メディアで使われ始めた、という意味である。
アウティングとは、プライバシーの侵害の一種である。プライバシーとは、私生活上の事柄をみだりに公開されない法的な保障と権利のことであり、アウティングは、その中でも性的指向や性自認に限定して用いられる表現だ。
性的指向や性自認に限定したアウティングという表現を用いることは、何の問題なのか、どのような問題性があるのか、を明確に表現する為には有効かもしれないが、社会全般では、アウティングという概念を誰もが認識している状況とはまだまだ言えず、アウティング問題とは一体どんなことなのか、を更に簡便に表現する為には、既に一般化していて、性的多数派でも少数派でも侵害されるべきではないことが浸透している、プライバシーという表現を用いることが必要ではないだろうか。しかし、前述のハフポストの記事にはプライバシー、プライバシーの侵害という表現は1度も出てこない。
アウティング - Wikipedia の冒頭にも、
アウティングはプライバシー問題、選択の自由の侵害問題などを引き起こし、さらに同性愛への嫌悪や異性愛中心主義(ヘテロセクシズム)解消の取組みにまつわる共通善議論の火付け役ともなる。
とある。また、Outing#History - Wikipedia には、
While the term is recent, the practice goes back much further. / この言葉は最近になって使われるようになりましたが、その歴史はもっと古いものです
と書かれていて、逆に言えば、言葉としての歴史は古いが、まだまだ一般化しているとは言い難いから、このような解説がされているとも言えそうだ。つまり、多くの人にアウティングの問題性とは何かをより分かりやすく伝える為には、「アウティング問題はプライバシー問題である」と書くべきだ。そうしないと性的少数者だけの問題とも捉えられかねない。
自分の知識や知性に自身を持っている日本人は、まだまだ一般的とは言えないカタカナ表現を、あたかも既に誰もが知っていて当然かのように多用する傾向がある。2017年6月の投稿で書いた「エビデンス」も、個人的にはまだまだ違和感が強く、誰もがそれが何を指しているのか、正しく認識しているとは言い難い表現だ。都知事の小池もカタカナ語を多用することで知られ、築地市場問題について「アウフヘーベン」という表現を用いた際には、わざわざ分かりにくい表現で誤魔化そうとしていると批判され(小池氏、新党も市場も「アウフヘーベン」 それって何? - 2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル)、その後も、まだまだ一般的とは言いがたいカタカナ語を使う度に同種の批判を度々浴びている。
コロナ危機に際して、「オーバーシュート」など英語圏で殆ど使われていないカタカナ語が日本で多用されたことには、誤魔化しの意図も感じた。
アウティングという表現は分かりにくいから使うな、とまでは言わない。だが「アウティング問題はプライバシー問題である」「性的少数者に限らず誰にでも私的なことをみだりに公開されない権利がある」ということに関する表現を明確に織り込むべきだと思っている。せっかく記事を書くなら、誰にでも分かりやすい記事を書く方がいいに決まっているのだから。
トップ画像は、 Gerd AltmannによるPixabayからの画像 を加工して使用した。