犬や猫がいたずらをしたらその場で叱らないと意味がない、という話をよく聞く。時間が経ってから咎めても、犬や猫は何について叱られているか分からないから、と言われている。犬しか飼ったことがないので、猫のことはよくわからないが、犬は、後で叱っても何のことで怒られたか分かっているんじゃないか? と感じられたことはあった。
但し、自分が叱られていることを認識してはいたが、何について叱られていたかを分かってはいなかった可能性はある。例えば犬が噛み散らかした新聞を眼前に叱れば、噛み散らかしてから時間が経っていても認識できるかもしれないが、誰かが片付けてしまった後にそのことで叱っても、叱られているから神妙にしていただけで、何のことで怒られていたのかは分かっていなかったかもしれない、ということだ。
叱った後にその行為をしなくなれば、何について叱られていたか認識できている、と言えるかもしれないが、サンプルがたった数匹だけでは、何について叱られていたか認識した結果同じことをしなくなったのか、それがそんなに楽しくなかったから繰り返さなかっただけなのか、楽しかったが興味がなくなったから、気が済んだからしなくなったのかは、個体差もあるだろうし、区別がつかない。
小学1年生の時の担任は、謝罪の際に必ず、何について謝っているのかを言わせた。それがその教師独自の方針だったのか、学校、もしくは地域的な方針だったのか、それとも教育界ではセオリーなのかはよく知らない。しかし犬や猫の例からも、確かにどんな間違いについて謝っているのかを積極的に認識すること/させることは重要だ。それをしないと、叱られてもただただ口先だけ「ごめんなさい」と言えばそれでOK、と勘違いした子になる恐れがある。
反省とは、どんな間違いを犯したのか、それを繰り返さない為には何が必要か、を考えることである。反省のない謝罪には何の意味もない。たとえ申し訳ないと心から思って謝罪していたとしても、再び同じことを繰り返すならば、厳しく言えばそれは、口先だけ謝るのと大差ない。
拝啓、報ステ様。「ジェンダーはもうやるな」は再発防止にはなりません | ハフポスト
昨日この記事を読んで、3/25の投稿でも「テレビ朝日が示した謝罪文を見て「あ、こいつら「何が悪いんだよ」って思ってんだろうな」と強く感じた」と書いたが、その思いを改めて再確認した。そんな状況ならそこに反省は殆どないだろうから、その内また同じことを繰り返すだろうな、と感じた。
勿論、何のことについて叱られたか分かっていない犬や猫が、たまたまそれをしなくなる場合もあるのと同じで、反省していなくても、幸運にも偶然にもテレビ業界が同じようなことを繰り返さない可能性もあるにはあるが、叱られているから神妙にしただけで、何のことで怒られていたのかが分かっていないと、同じ過ちを繰り返す恐れが高い。
テレビ業界だけでなく、そしてメディア業界だけに限った話ではなく、政治家も官僚も企業も、批判されたら皆一様に「誤解を招いたから謝罪して撤回する」と言う。誤解であって俺は悪くない。そんなことだからいつまで経っても変わらない。典型的な例は、何度も何度も放言と口先だけの謝罪撤回を繰り返す麻生とかいう副首相だ。
小学1年生の頃に教わるようなことを大人が出来ない。だから社会が進歩しない。大人にもいろいろいるが、政治家や官僚、報道関係者や大企業の経営者など、大きな責任を負うような人達すら出来ない。寧ろそのような人達こそ反省が出来ない率は高いかもしれない。それが日本の現状であり、コロナ危機における1年間を振り返るだけでも、その認識に間違いないことは明白だ。
勿論そんな状況の責任はその種の人達だけにあるわけではない。私企業もボイコットなどによって意思表示は出来るが、それでも私企業は私企業だ。だが、政治家は有権者が積極的、若しくは消極的に許容しなければ、政治家として存在出来ない。つまり反省しない政治を許しているのは間違いなく有権者であり、現状の責任の一端はすべての有権者にもある。
自分の子や孫の世代に恨まれるようなことはしないこと、は全ての人に課された責任である。それは反省無くして実現できない。