アリとキリギリスという童話がある。イソップ寓話の一つだ。冬の状況を見通せずに夏に遊んでばかりいたキリギリスは冬に飢え死にし、冬を見越して夏の間食料の備蓄に励んだアリは無事冬を越す。夏に自分達をバカにしたキリギリスに、アリが救いの手を差し伸べるパターンもあるが、それは近代以降に手が加えられた改変作のようだ(アリとキリギリス - Wikipedia)。
アリとキリギリスは、いずれ到来する将来を見通し、計画性をもって行動することの重要性を示している。人間に超能力的な予知能力はないが、これまでの経験や蓄積から将来を想像することは出来る。近い将来であれば、予見できないことが落ち度とされることもしばしばだ。例えば、明らかな整備不良を放置した自動車を運行して事故を起こせば、「事故に繋がるとは思わなかった」という言い訳は通用しないし、銀行員が、ろくに審査もせず杜撰な返済計画を見過ごして多額の貸付を行い、その返済が滞れば責任を問われる。場合によっては背任も疑われかねない。
つまり、これまでの経験や蓄積から誰にでも予見できるようなことを、予見できないことは能力の欠如と判断されるし、その責任を問われることになる。
昨日の投稿では、緊急事態宣言を直前に決める・発表することは、それへの急な対応が強いられるので、国民を振り回すことになる、と書いた。しかし現政権は、緊急事態宣言時に示した期限5/11が迫る中で、またしてもギリギリまで解除か延長かの判断を引っ張っている。
<新型コロナ>政府、緊急事態宣言の延長を検討 2週間から1カ月程度か 7日に正式決定:東京新聞 TOKYO Web
つまり、国民への配慮も充分な対策もする気などなく、ただただ緊急事態としておく方が自分達にとって得か否かしか考えていないのだろう。そんな首相や政府の下では感染症対策が上手くいかないのも当然だ。
この3度目の緊急事態宣言を出した際に、首相の菅は
ゴールデンウイークの機会を捉え、短期間に集中して感染を抑え込む
と言っていた(4都府県に緊急事態宣言 菅首相「短期集中で感染抑止」―25日から来月11日まで:時事ドットコム)。もし緊急事態宣言を延長することになるなら、短期間に集中して感染を抑え込むことができなかったということになる。
つまり政府や首相の菅は、たった2週間先のことすら見通せなかったということだ。2週間先すら見通せない者に、3か月先が見通せるだろうか。3か月先とは勿論オリンピック開催の頃のことである。2週間先を見通せない者は当然3か月先も見通せないと考えるのが妥当ではないだろうか。
半年先や1年先を見通せないことなど言わずもがなである。そしてそれは、昨年よりも状況が更に悪化していることに鑑みれば、誰の目にも明白だ。しかしテレビや新聞など所謂大手メディアに、その種の指摘は殆ど見当たらない。前回も緊急事態宣言を延長したが、その種の指摘は自分の知る限りなかった。なぜ大手メディアにその種の指摘や批判が出てこないのか、全く理解に苦しむ。なぜそこまで他人事でいられるのだろうか。自分達の住む国がとんでもないことになっているのに。
そしてメディアだけじゃない。そこに疑問を抱かない人達も同じだ。自分や自分の家族がどうしようもない状況に追い込まれてから気づいても手遅れなのに。