大抵の日本人にとって、味噌汁は最も代表的な家庭料理なのではないか。自分は、20歳頃までは味噌汁なんて必要のないメニューの最たる例だと考えていたが、外食する回数が増えるにつれ、味噌汁を有難がるようになった。例えば、牛丼屋はデフォルトで味噌汁がついてくる松屋に限ると思っている。
但し牛丼屋の味噌汁は味気ない。不味くはないが美味くもない。基本的に薄味だが、24時間営業の店に夜中に行くと、煮詰まっていることも多い。それでも汁物がついてくるのはありがたいが。
自宅ではもっぱらインスタント味噌汁を使っている。具を自分の好みで足すこともあるが、基本的に自分の分だけでいいのでインスタントで済ます。いつからかインスタント味噌汁の味は必要にして充分になっている。食事をコンビニ弁当で済ます場合も、食事する場所が安定しているなら(走行中の車内で食べないといけないような場合でないという意味)、大抵インスタント味噌汁を買う。コンビニ弁当はしばしばハズレ引くことがあるが、インスタント味噌汁は絶対にハズれない。味噌汁は食事への満足度を著しく下げない為の、ある種の保険だ。
先日、20代の後輩と味噌汁の話をしていて、「久しぶりに実家に帰ったら、家の味噌汁がインスタントで少し物足りなかった」という話を聞いた。そいつも自分と同様に自宅ではインスタントを使っているのだが、久しぶりに実家に帰ると、彼の弟も実家を出たので母親の料理を食べる人、作る料理の量が減った為、実家でもインスタント味噌汁を使うようになっていたそうだ。
味噌汁はそれぞれの家庭にそれぞれの味がある。味噌汁に限ったことではないが、日本の家庭では食卓にのぼる料理で回数トップは、断然味噌汁だろう。だから一番身近な家庭の味が味噌汁という人は多い。その後輩も別に「母親の味噌汁が飲める!」のような期待を持っていたわけではないようだが、家を出るまでほぼ毎日のように口にした味が、久しぶりに帰った実家の食卓にはなかったことに、些細な違和感と物足りなさを感じたようだ。
多分、子どもの頃から親がインスタント味噌汁を使っていたら、そんな物足りなさはないのかもしれない。子どもの頃から毎日インスタント味噌汁を飲んでいたら、よく飲む銘柄のインスタント味噌汁がその人にとっての思い出の味になるのではないだろうか。
例えば、チキンラーメンで貧乏な大学生時代を思い出す人は決して少なくないだろうが、自分にとっては、チキンラーメンは貧乏な学生時代の思い出ではない。自分はサッポロ一番塩ラーメンを好んで食べていたので、学生時代の思い出のインスタントラーメンはそっちだ。チキンラーメンは実家に常備してあったので、お袋の味とは少し違うが、自分にとっては家庭の味の一つである。
未だにしばしば「インスタント食品や冷凍食品は手抜きだ」という話が話題になる。直近では2020年にも話題になった。
冷凍餃子は「手抜き」か論争。味の素冷凍食品・広報、中の人は語る | ハフポスト
自分が子どもの頃は、インスタント食品が嫌悪される場合、その理由は大抵食品添加物への不安だった。しかし近年は、食品添加物への不安の声は殆ど聞こえず、手抜き、愛情がない、といった理由でインスタント食品や冷凍食品が揶揄されることが多いように思う。
この手の話が出てくる度に、なぜインスタント食品や冷凍食品を使うと手抜き、愛情がないって話になるのか。食事の用意を合理化することが手抜き、愛情がないなら、例えば、洗濯を全自動洗濯機でやるのは手抜きなのか、愛情がないのか。ロボット掃除機に掃除させるのは手抜きなのか、愛情がないのか。自動湯沸かし器で風呂を炊くのは? 炊飯器は? 食器洗い乾燥機は?自動車で買い物に行くのは? という感しかない。
確かに、いつでもどこでも同じ味が出てくる外食ばかりだと、インスタント食品や冷凍食品に味は、それと同様に味気無さを感じてしまうことも多い。インスタント食品や冷凍食品ではなく家庭の味、お袋の味に触れたいという感情が湧くことも理解はできる。しかしそれは、手抜き/愛情がないという話とはまた別の話である。家庭の味・お袋の味が食べたいなら、ちゃんとそうお願いするべきだ。親に対してだろうが、配偶者に対してだろうが。手抜きとか愛情がないとかなんて、こじつけみたいな話を持ち出して強要しようとするのは間違っている。
インスタント食品や冷凍食品が手抜き、愛情のなさなら、自分の足でなく自動車や電車で通勤して稼いだ金で子どもを養うことだって手抜きではないのか。計算機やパソコンを使って仕事することだって手抜きではないのか。自分の足で通勤して稼いで初めて、全ての計算や作業を暗算で、手動でやって初めて、愛情があることになるのではないか。
このインスタント食品や冷凍食品が手抜き/愛情がないとしばしば言われる背景には、家庭内労働の軽視、つまり概ね女性への蔑視と、昨日の投稿でも書いた、日本人が持っている歪んだ努力/勤労の偏重/賛美があるのではないか。手間をかけることに愛情表現の側面があることは間違いないが、掃除や洗濯等他の家事は自動化による合理化が進んでいるのに、料理だけ手間をかけることが偏重されるのは変だ。
トップ画像には、味噌汁の無料イラスト | フリーイラスト素材集 ジャパクリップ を使用した。