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地に落ちた信用

 嘘ばかり吐いていると誰にも信用されなくなり、肝心な時に大変なことになる。日頃から誠実に振舞い、信頼/信用を得ることが大事だ、ということを示しているのは、The Boy Who Cried Wolf 、日本語だと「羊飼いと狼」「嘘をつく子供」または「オオカミ少年」などと訳される、イソップ童話の1つだ(The Boy Who Cried Wolf - Wikipedia / 嘘をつく子供 - Wikipedia)。


 「いじめられる方にも原因がある」という話による、いじめる側の部分擁護がしばしばなされる。しかし、いじめられた側にきっかけがあったとしても、それはいじめという行為を正当化できない。原因・きっかけがいじめられた側にもあったとしても、だからいじめても良い、ということにはならない
 例えば、殺人に関しては、殺された側に事件発生の要因があって、例えば殺人を犯した側が著しい暴力を受けていて、このままでは殺されかねない状況にあれば、場合によっては正当防衛が認められることもあるし、全くの無罪にならなくても情状酌量の余地はある。しかしいじめの場合はそういうことはほぼあり得ない。いじめられた側に何らかの問題があったとしても、それを解決する方法は間違いなくいじめ以外の方法でなくてはならない

 しかしそれは別として、いじめられる側がそのきっかけを作っている場合というのは往々にしてある。自分の経験上、そのようなケースのうち決して少なくないのが常習的な嘘吐きや法螺吹きだ。嘘を平気で吐く者、交わした約束を守らない者、いい加減なことばかり言う者は大抵嫌われ敬遠される。その種の者には、そのようなことを「仲間外れにされていじめられた」のように言う者もいて、それで更に敬遠されることになる場合もある。
 個人的には、そのような理由によって敬遠されるのは自業自得であり、いじめとは思わない。気が合う者もいれば合わない者もいるし、信用出来る者も出来ない者もいて当然なのに、そんなことを加味せずに、無条件に「クラス皆仲良く」なんてのは馬鹿げている。勿論、だから肉体的暴力に及んでもよいなんてことはないし、ものを隠したり一切無視したりするような精神的暴力が許されるなんてこともない。しかしどうやっても、平気で嘘を吐く者や、いい加減なことを日常的に言っている者とは仲良くはできない。


 防衛副大臣の中山は、5/22に読売テレビの番組にて、新型コロナウイルスワクチン大規模接種センターの予約システムの不具合について、5/21中に改修が終わったとして、

問題ない状態になっているので安心していただきたい

と述べたそうだ。

接種、予約エラーは改修終了 防衛副大臣「安心して」:東京新聞 TOKYO Web

5/18の投稿でも触れたように、この防衛省が運営するワクチン接種センターの予約システムについては、デタラメな情報を打ち込んでも予約が可能であるという、あまりにも稚拙すぎる状況であることが、朝日新聞系の週刊誌や毎日新聞、日経などによって報じられた。すると防衛大臣の岸やワクチン担当大臣の河野、そして前首相の安倍などが「検証の為とは言え、虚偽情報で予約を試みるとは何事だ、業務妨害行為である」という趣旨の、見当はずれなことを言いだして、何故か朝日新聞系の週刊誌と毎日だけを罵った。日経も同じことをしたのに、日経だけは何故かその対象にはならなかった。
 数日後、朝日新聞系の週刊誌から、記事掲載前に防衛省とシステムを委託された業者に取材を申し入れたが音沙汰がなかったという表明がなされたが、それら3名や、それに迎合した者らが主張の非を認めたという話は一切聞こえてこない。更に5/21には、今度は正しい番号を入力しても予約できない人がいることが明らかになった。

五輪固執の首相発言も一因 …「極めて低レベル」な防衛省システム 正しい番号でもワクチン予約できず:東京新聞 TOKYO Web

 こんな状態なのに「問題ない状態になっているので安心して」という話を誰が手放しで信用できるだろうか。信用出来るのだとしたら、恐らくその人は簡単にオレオレ詐欺や振込め詐欺に引っかかるタイプだろう。

 防衛省全体としての話だけでなく、この「安心して」と言っている中山という防衛副大臣個人も全く信用ならない。中山は5/12にイスラエルとパレスチナの戦闘を巡り「私たちの心はイスラエルと共にある」とツイートし、5/18に参院外交防衛委員会にて、共産党の井上議員から「撤回すべきではないか」と問われたが、

(ツイートは)個人として行わせていただいている

として拒否した(「イスラエルと共に」撤回せず 中山防衛副大臣、SNSに投稿 | 共同通信)。これの件に関してはパレスチナ側からも批判の声が出ているのに。
 しかしそれからたった2日後の5/20、中山はこの投稿を削除し、取材に対して、

中東で起きていることを日本の方に知ってもらいたいと思い、議員個人として投稿した。役割を果たせたので削除した

と述べたそうだ(中山副大臣が「イスラエルと共に」のツイッター投稿を削除 「役割果たせた」国会運営への影響は否定:東京新聞 TOKYO Web)。
 そもそも、副大臣が自分の担当分野に関することを主張して、議員個人だとか副大臣としてだとか、立場を使い分けること自体が異様だし、そもそも議員個人としてだって到底許されるような話ではない。更に、たった2日で言っていることやっていることが180度変わっている。そんな者の言葉を一体誰が信用できようか。この者と利害が一致する者でも、相当非合理的なことを容認できる者でなければ、擁護しないだろう。何故なら擁護すれば同類/同レベルと見なされかねないからだ。逆に言えば、これを更迭はおろか一切処分もせず、口頭注意すらないということは、今の政府はこれと同レベルということだ。

 兎に角、この中山が「安心して」と言っても、それは痴漢常習者が「いたずらしないから安心して」と言っているのや、空き巣の常習犯が「鍵をかけなくても誰も盗みになんか入らないよ」と言っているのと同じである。


 これまでに積み上げられた数々の不信がそもそもあるが、この件だけを見ても、今の政府、というかそれを作っている自民党は信用に値しない、と考えるのが普通ではないのか。普通とは人それぞれで微妙に違って然るべきものであるが、個人的には、今の似非政府や自民党を、消極的にでも信用する、選ぶという人は普通とは言えないと思っている。厳しく言えば常軌を逸している。


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