「真摯」「丁寧」「誤解」「印象操作」など、現自民政権下で与党政治家らの濫用によって、本来の意味とは異なる意味、場合によっては360度正反対の意味すら付加されてしまった日本語は枚挙に暇がない。00年代以降、その意味が変容している、いや、実際は誤用が常態化しているだけで、本来の意味が失われたわけではないので、変容は少し違うかもしれないが、本来とは異なる用いられ方が甚だしい言葉に「右翼」「保守」がある。
誤解のないように付け加えておくと、「右翼」「保守」を本来とは異なる意味合いで使う人達は、同時にその対義語である「左翼」「リベラル」も本来の意味とは異なる用法で用いる。更に付け加えると、従来保守の対義語は革新だったが、近年ではリベラルという呼称の方が主流だ。
本来の意味とは異なる用法でそれらの表現を用いる人達は、自称右翼/保守派に多い。勿論逆の自称左翼/リベラルの中にも、同じ様な用い方をする人達もいるが、SNSやそれらの人達が好むメディアを見る限り、前者の方の割合が多いように見える。彼ら自称右翼/保守の人達は、どう考えても本来の意味で言えば右翼でも保守でもない。そして、自分達の考え方に異を唱える人達を十把一絡げに左翼、いやサヨクと言って揶揄する傾向にある。
彼らのような、本来の意味で言えば右翼とも保守とも言えないような自称右翼/保守のことを、英語では alt-right / Alternative Right と呼び(オルタナ右翼 - Wikipedia)、日本では、当初は匿名掲示板2ちゃんねるなどが主な活動の場であり、現在も主にSNS等が活動の場であることから、ネット右翼 / ネトウヨ と呼ばれ(ネット右翼 - Wikipedia)、従来の保守主義/右翼思想とは異なる種類のものであることが強調される。
このネット右翼 / ネトウヨ という表現、特に後者のネトウヨは、しばしば揶揄を目的に用いられることもあって、そう呼ばれることを良しとしない自称右翼/保守が殆どで、そんな背景から、彼らはサヨク、もしくはパヨク(パヨク - Wikipedia)という表現で対抗する。
では本来の保守とは何か。
例えば、イタリア人は食に対して保守的な傾向が強いとよく言われる。イタリアといえば、欧州ではフランスと並ぶ食文化を誇る国だ。そのようなお国柄だからか、従来からある自国の食文化を好み、他国由来の食文化は、全くではないものの、受けいれられ難い傾向がイタリアにはあるそうだ。
自分の感覚では、日本は比較的柔軟に他国の食文化を受け入れる傾向にあると感じるが、日本にも食に関して保守的な部分がないわけではない。例えば、カリフォルニアロールのような海外発祥の創作寿司を「あれは寿司じゃない」という人も決して少なくない。イタリア人は日本発祥のナポリタンやタラコスパゲッティをあまり認めようとしないようだし、インド人は日本式(というか厳密には英国式だけど)のカレーを、美味いとは言うが本来のカレーとは別の食べ物と感じるらしく、どこの国の人にも、程度に差はあるだろうが、食に対して保守的な部分はあるんだろう。
つまり保守・保守的とは、従来からの伝統・習慣・制度・考え方などの尊重を重視し、大きな変化、急激な変化を好まない考え方のことを指す表現である。それは、政治的な意味を帯びる保守思想 / 保守主義でも同じである(保守 - Wikipedia)。しかし、保守は決して従来からの伝統・習慣・制度・社会組織・考え方を全く変えずに維持する考え方ではない。革命のような急進的な変化を嫌うが、進歩を全く否定するということはなく、理性的に慎重に変革を進める姿勢だ。
このような定義からも分かるように、自称右翼/保守の人達は現在の自民党政権、特に安倍晋三による前政権を支持する人が多いが、「生産性革命」「人づくり革命」など、安倍がしばしば○○改革という表現を用い、集団的自衛権を憲法は認めていないという、70年も変わらなかった憲法解釈を、閣議決定だけで覆したりしたようなのは、決して保守的な振舞いではない。
つまり今の自民党は、実質的にはもう保守政党ではないのだ。少なくとも、自称保守政党と言うべき状態である。
自称右翼/保守の人達は決して保守派でも保守主義者でもなく、自民党も最早「保守政党」ではないと言える理由は次の記事にもある。
自民、LGBT法案の提出見送り 衆院選にらみ保守票の離反を懸念「混乱続けば支持失う」:東京新聞 TOKYO Web
自民党内で、今国会での成立を目指していた、所謂LGBT等性的少数者への理解増進を図る法案に関して、自民党と立憲民主党の間の協議で、法案の目的と基本理念の部分に「差別は許されない」との文言を追加する修正がなされたことに対する異論・反対の声が上がり、成立が先送りされそうな情勢であることは、5/21の投稿でも書いた。
この記事はその件に関する続報で、会期末が迫っており、審議時間が足りないことを理由に今国会への提出を見送る決定がなされた、ということが書かれている。自民党は政権与党なのだから、審議時間が足りないのであれば、主体的に会期を延長できる立場にある。つまり審議時間が足りない云々という話は、同法案を成立させたくない為に持ち出した口実に過ぎない。
5/21の投稿でも触れたように、党内の保守派からLGBTに対する差別的な主張や、差別禁止をすれば社会に悪影響を及ぼすという趣旨の主張がなされた、と報じられている。その投稿で取り上げた報道でも「保守派から慎重な意見が相次ぎ」という趣旨の表現が用いられたことに対して、強い違和感を示したのだが、前述の東京新聞の共同通信配信記事でも、差別禁止に懸念を示す人達を「保守派」と表現し、「党内の混乱が続けば有権者の支持を失う」と述べた党幹部の発言について「保守票の離反も懸念」としており、自称右翼/保守だけでなく、メディア関係者の一部にも、保守とはなにか、保守主義≠差別主義、ということが理解できていない者がいるのではないか、と危惧する。いやもしかしたら、当該記事を書いた共同通信記者が自称右翼/保守であり、その記事をそのまま載せた東京新聞担当者も自称右翼/保守というだけのことかもしれない。
このように差別主義を保守主義と表現することは、従来の保守主義に対する冒涜だし、保守主義の印象を悪くしようとしている感もある。別の視点で言えば、本来の保守主義者こそ、このような表現を非難しなくてはいけないし、保守かリベラルかを問わず、日本語表現を破壊する行為に対しては異論を唱えないといけない。愛国者を自称するなら尚更だ。
政治の劣化が叫ばれているが、同時にメディアの劣化も著しい。近年日本語すらまともに使えないメディアが、記者が、所謂大手にも多く存在している。政治にしろ報道にしろ、言語能力が乏しいことは致命的なのに。