スキップしてメイン コンテンツに移動
 

井崎 脩五郎の競馬予想に自分の家を賭けるようなもの

 偏向とは、考え方がかたよっていること、もしくはその傾向のことである(偏向とは - コトバンク)。
 元々は偏る方向性に関するニュアンスは帯びていなかったのだが、この10年ぐらい、自称保守の人達が偏向報道という表現を多用しており、彼らは気に入らない報道について偏向報道とすることが多く、所謂リベラル傾向の強い報道や、自民政権への異論となる報道をそう呼ぶので、偏る方向性に関するニュアンスを帯び始めているようにも思える。


 前述のコトバンクのページには「かたよって中正を失うこと」という説明もある。しかし、全く偏りのない思想信条などこの世に存在しない。思想信条に関して絶対的な中央を定義することは不可能であり、完全な中立公正などは、追求する理想としての意義はあるが、厳密な実現は不可能だ。いや、例えば思想信条の自由を認めない独裁状態であれば、独裁者、若しくは独裁組織の思想信条こそが中立公正であるということになるだろうから、体裁上では完全な中立公正は実現可能かもしれない。しかしそれは民主制における中立公正とは全く異なるものであり、真の意味で中立公正とは言えず、やはり完全な中立公正の実現は不可能だろう。
 法治国家では、法の定めに則って判断を下せば、法の下の平等が実現出来る、とも言えそうだが、法の解釈は常に一定しているわけではなく、また法に全く欠陥のない状態も実現が難しく、法に則った判断であっても、そこに少なからず判断を下す者の思想信条が介入する余地があることは、種々の裁判・判決を見ても明らかだ。法に則った判断が常に中立公正であれば、下級審の判断が上級審で覆されることなどなく、常に同じ判断が示されるだろう。そうではないのだから、法治=完全な中立公正 とは言い難い。
 つまり少なからず誰もが偏りを内在している。それぞれにある程度偏りがあることを前提とし、その偏りがあまりにも大きくなりすぎないようにすることが重要だ。

周防正行監督が大崎事件の再現動画。供述の矛盾点つき「文字という病に囚われている」と司法に警鐘 | ハフポスト

 これは、1979年10月に鹿児島県大崎町で男性の変死体が見つかった事件・大崎事件に関する記事だ(大崎事件 - Wikipedia)。男性の義姉だった原口 アヤ子は、容疑者として逮捕され有罪判決を受けたが、これまで40年間一貫して無罪を主張しており、今も尚再審請求が続けられている。昨年・2020年3月に4度目の再審請求申し立てが行われ、この6月にそれに関する証人尋問があり、そこへ提出する証拠として、映画「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」の監督を務めた周防 正行によって、再現動画が製作されたという記事内容である。

 日本の捜査機関は、今も昔も自白を偏重する傾向にある、しばしば、自分達が立てた仮説を裏付ける為の自白の強要が行われ、それによる冤罪事件は決して少なくない。今日もこのような話がツイッターのタイムラインに流れてきた。

 このツイートが引用しているページの話が、果たして実状に即しているのかは、現状では確認する術がないが、これまでの傾向に鑑みれば、あり得ない話ではない。例えば、2017年にも、万引きに関与した容疑に関する中学生への任意聴取の中で、到底容認できるものではない高圧的な暴言や、脅迫としか表現出来ないような自白を迫る発言が行われていたことが、取調べを受けた中学生がボイスレコーダーで密かに録音していた音声から明らかになっている。

警察官「少年院にぶちこむ」取り調べで中学生脅す…東京弁護士会が高井戸署に警告 - 弁護士ドットコム

 2020年8/21の投稿でも取り上げたが、競馬評論家の井崎 脩五郎がこんなことを言っている。

(競馬の)予想データは突き詰めていくと全ての馬が勝つ可能性があることになり、結局、最終的には自分に都合のいいデータを取捨選択することになる

井崎はレギュラー出演する競馬番組で評論家として予想を披露していたが、その的中率は低く、「予想が的中すると苦情が来る」とも言われていた。井崎は子息からは「こんなの来るわけないのに、なんでこんな予想するのかわからない」と言われたこともある、という逸話もある。

 この井崎の競馬予想、そして自分達の見立てに沿った自白を強要する日本の捜査機関の手法などは、仮説を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集めたり重視したり、反証する情報を無視または集めようとしない傾向、確証バイアスによるものだ(確証バイアス - Wikipedia)。Biasには斜めという意味もあるが、ここでのバイアスは、先入観、偏見、思い込み、深く信じ込むこと等の意味だ。
 どんな人も、自分の立てた仮説が正しいことを説明しようとして、仮説立証に有利な情報を集めようとする傾向はあるだろうが、都合の悪いことを極端に、又は全く無視することは、確実に間違いの素である。それは、井崎の競馬予想の的中率の低さ、日本の捜査機関の自白偏重・強要が少なからず冤罪を生んでいることからも明らかだ。


 現在の日本はかなり深刻な確証バイアスに蝕まれている。現在の自民政権は、コロナ危機以前から自分達に都合のより情報ばかりを集め重視し、都合の悪い事は無視する傾向が強かった。コロナ危機以降その傾向は更に高まり、それが感染症対策の失敗を引き起こしている。しかもその失敗も、自分達にとって都合の悪いことなので認めようとせず、軽視し、加えて東京オリンピックについても、同様に都合の悪いデータや現実は軽視/無視することで開催を強行しようとしている。
 この状況は日本国民にとって、言うなれば、井崎 脩五郎の競馬予想に自分の家を賭けるようなものだ。それがどんなに危険な行為なのかは、誰でも容易に理解できるだろう。



 トップ画像には、File:Bias weeps and condemns, plate IX from Thronus Justitiæ MET DP832060.jpg - Wikimedia Commons を使用した。

このブログの人気の投稿

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

読書と朗読を聞くことの違い

 「 本の内容を音声で聞かせてくれる「オーディオブック」は読書の代わりになり得るのか? 」という記事をGigazineが掲載した。Time(アメリカ版)の記事を翻訳・要約した記事で、ペンシルベニア・ブルームスバーグ大学のベス ロゴウスキさんの研究と、バージニア大学のダニエル ウィリンガムさんの研究に関する話である。記事の冒頭でも説明されているようにアメリカでは車移動が多く、運転中に本を読むことは出来ないので、書籍を朗読した音声・オーディオブックを利用する人が多くいる。これがこの話の前提になっているようだ。  記事ではそれらの研究を前提に、いくつかの側面からオーディオブックと読書の違いについて検証しているが、「 仕事や勉強のためではなく「単なる娯楽」としてオーディオブックを利用するのであれば、単に物語を楽しむだけであれば、 」という条件付きながら、「 オーディオブックと読書の間にはわずかな違いしかない 」としている。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。