スキップしてメイン コンテンツに移動
 

「知らなかったんだ」「いいや、あなたたちは知っていた」

 ニューヨークタイムズが、元プロサッカー選手で米 パシフィック大教授のジュールズ ボイコフによるコラムを掲載し、その中に「五輪開催へ強引に突き進む理由は三つ。カネ、カネ、そしてカネ」とあり、開催強行しようとするIOCや日本を強く批判している、と報じられたのは5/12のことだった(「危険な茶番劇やめる時」 米紙、中止求めるコラム掲載―東京五輪:時事ドットコム)。


Opinion | A Sports Event Shouldn’t Be a Superspreader. Cancel the Olympics. - The New York Times

And yet, the Olympic steamroller rumbles forward. There are three main reasons: money, money and money. And let’s be clear: Most of that money trickles up, not to athletes but to those who manage, broadcast and sponsor the Games.

 これが元記事と、抜粋して伝えられた部分を含む一節である。日本語に訳すと、「それなのに、オリンピックは開催へ向けて蒸気機関車のようにどんどん進んでいく。その大きな理由は3つ。カネ、かね、金だ。ハッキリ言っておく。その金のほとんどは、アスリートではなく、大会運営者、放送関係者、スポンサーたちに流れている」だ。

 そしてこんな記事も出てきた。

東京五輪の開会式始まれば「みんなすべて忘れて楽しむ」 アメリカ向け放送権持つNBCユニバーサルCEO:東京新聞 TOKYO Web

米NBCユニバーサルのジェフ・シェル最高経営責任者(CEO)は15日までに、同社にとって「最も利益の高い五輪になる可能性がある」との見方を示した。新型コロナウイルスの影響が懸念されているが「開会式が始まれば、みんなすべてを忘れて楽しむだろう」とも述べた。

米国でオリンピックを放送するNBCの社長が、コロナ危機で家に居る人が多いから、東京五輪によって過去最高の利益を得られる、と言っている。始まればみんなコロナ危機なんか忘れて楽しむ、とも。
 まさにカネ、かね、金という話だし、後者については、同じ様なことを政府関係者や与党幹部らが言っている、という報道がこれまでにもしばしばなされている(「五輪で日本人が金を取れば盛り上がる。何とかなる」…菅政権の「楽観論」に見る“日本人の習性” | 文春オンライン)。


 世界の人達がどうかは知らないが、日本人には流されやすい人が多い。それは「長い物には巻かれろ」という慣用表現に、相応の整合性があるものとして世間一般で扱われていることがよく表している。だから、オリンピックが始まって、テレビや新聞が肯定的なお祭りムードを演出すれば、少なくない人がそれに流されるだろう。
 オリンピック開催優先で感染症対策が後回しにされ、医療現場から悲鳴が上がっているにも関わらず、且つ先進国どころか世界全体で見ても、ワクチン接種が殆ど進んでいない状況にもかかわらず、一部のスポーツ選手が「できない、ではなく、どうしたらできるか考えろ」とか、「運営の決定に従う、温かく見守れ」と言い、それに流されている市民が少なからずいるのだから、いざ始まってしまったら、その間、日本政府は感染状況を隠そうとするだろうし、日本のメディアは感染状況に関する報道を間違いなく減らすだろうし、流される人は増える。

 更に言えば、日本国外では、日本の感染状況など大して興味を持たない人の方が多いのではないかということは想像に易く、NBC社長の言う「開会式が始まれば、みんなすべてを忘れて楽しむだろう」は、あながち間違いではないかもしれない。
 日本政府やIOC/JOC、組織委などは、安心安全な大会と強調しているものの、共感するに足る根拠は全く示されないし、彼らは安心安全な大会とは言ってはいるが、それはあくまで”大会”だけの話で、五輪開催の影響が日本社会にどのような影響を及ぼすか、五輪開催しても感染状況悪化はない、とは言わない。つまり彼らの責任の範囲は、五輪関係者、特に選手やその周辺で、限定的だ。開催すれば感染状況が悪化するという見解も複数示されているのに、それに対する合理的反論は全く示されない。
 開催強行派は実質的に、五輪開催によって日本で感染状況が悪化してもやむをえない、と言っている。それは、バッハの「我々はいくつかの犠牲を払わなければならない」という発言が、よく物語っている(IOCバッハ会長 「犠牲を払わなければ」発言に広がる反発 | 毎日新聞)。


 NBC社長の「開会式が始まれば、みんなすべてを忘れて楽しむだろう」という台詞から、あることを強く連想した。
 それは、ドイツ敗戦後、収容所を自分の目で確認するように周辺住民が見学させられたのを取材した従軍カメラマン・マーガレット バーク ホワイト(Wikipedia)の当時の回想だ。NHKが制作したドキュメンタリー、新・映像の世紀 第3回「第二次世界大戦・時代は独裁者を求めた」の終盤で、このように紹介されている。

連合軍はこの場所(虐殺が行われた収容所)を、ドイツ人にも見せないといけないと考えた。 
連合国軍最高司令官 アイゼンハワー:収容所は私自身もこの目で見ないといけないと思った。 将来、このひどい行いを「ありもしないでっち上げだ」という人が現れた時、自分がこの目で見た証拠を伝え残す為にも。 
ドイツ人が見学させられる映像も残っている。一人の女性カメラマンが、その時の様子をこう記している。 
従軍カメラマン マーガレット バーク ホワイト:女性は気を失い、男性は顔を背け、「知らなかったんだ」という声が人々から上がった。すると、解放された収容者たちは、怒りをあらわにこう叫んだ。「いいや、あなたたちは知っていた」

 これとオリンピック開催を結びつけるのは大袈裟だ、と思う人もいるだろう。しかし、実際に、感染症対策よりもオリンピック開催が優先され、その影響で亡くなった人は間違いなくいる医療従事者が厳しい状況に追い込まれている。更に言えば、補償なき休業要請によって廃業・失業に追い込まれた人、困窮に追い込まれ住む場所を失った人も多い。しかも、開催すれば更にそんな人が増えかねない。状況が悪化しかねない。そんな指摘が複数ある。そのようなことに目を向けず、そのようなことから目を背け、

  • 開会式が始まれば、みんなすべてを忘れて楽しむだろう
  • 始まれば何とかなると思っている。日本人選手が金メダルを取れば盛り上がり、最後は感動で終わる
  • 我々はいくつかの犠牲を払わなければならない
  • できないじゃなく、どうやったらできるかをみなさんで考えて
  • (開催するなら)決まったことは受け入れ、やるならもちろん全力で、ないなら次に向けて、頑張るだけ
  • わたしに限らず、頑張っている選手をどんな状況になっても暖かく見守っていてほしい

なんて言うのは、とんでもなく無責任であり、迫害や虐殺、強制収容所の実態に薄々気付いていながら目を背け、傍観者を決め込んでいてた当時のドイツ人と何も変わらないじゃないか、という感しかない。ナチのような独裁体制・恐怖政治が確立しているわけでもないのだから、当時のドイツ人よりも更に悪い。


 だから、一昨日の投稿で、G7首脳共同声明に「COVID-19を克服するための世界的な結束の象徴として、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会が安心安全に開催されることへの支持を改めて表明します」という一文をねじ込んだのは間違いなく日本政府である、としたが、そんな文を盛り込むことを認めたG7各国も罪深いと考えている。各国が日本の状況を知らないわけなどないのだし、そもそも政治とオリンピックは相応の距離をとるべき間柄であることも分かっているはずだから、そんな文を盛り込むことは断固拒否し、オリンピック開催の是非など、少なくとも「一切のコメントを控える」べきだった。

 もし東京五輪が開催されたら、運営、スポンサー企業、肯定的に伝えるメディアだけでなく、ユダヤ人迫害から目を背けた戦中ドイツ人同様に、五輪が何を犠牲に開催されるかを考えず盛り上がる人全て、出場選手全員を嫌悪する。つまり、オリンピック開催は団結の証になど絶対にならない。


このブログの人気の投稿

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

優生保護法と動物愛護感

 先月末、宮城県在住の60代女性が、 旧優生保護法の元で強制不妊を受けさせられたことに関する訴訟 ( 時事通信の記事 )を起こして以来、この件に関連する報道が多く行われている。特に毎日新聞は連日1面に関連記事を掲載し、国がこれまで示してきた「 当時は適法だった 」という姿勢に強い疑問を投げかけている。優生保護法は1948年に制定された日本の法律だ。戦前の1940年に指定された国民優生法と同様、優生学的思想に基づいた部分も多く、1996年に、優生学的思想に基づいた条文を削除して、母体保護法に改定されるまでの間存在した。優生学とは「優秀な人間の創造」や「人間の苦しみや健康問題の軽減」などを目的とした思想の一種で、このような目的達成の手段として、障害者の結婚・出産の規制(所謂断種の一種)・遺伝子操作などまで検討するような側面があった。また、優生思想はナチスが人種政策の柱として利用し、障害者やユダヤ人などを劣等として扱い、絶滅政策・虐殺を犯したという経緯があり、人種問題や人権問題への影響が否定できないことから、第二次大戦後は衰退した。ただ、遺伝子研究の発展によって優生学的な発想での研究は一部で行われているようだし、出生前の診断技術の発展によって、先天的異常を理由とした中絶が行われる場合もあり、優生学的な思考が完全にタブー化したとは言い難い。

日本の代表的ヤクザ組織

  ヤクザ - Wikipedia では、ヤクザとは、組織を形成して暴力を背景に職業として犯罪活動に従事し、収入を得ているもの、と定義している。報道や行政機関では、ヤクザのことを概ね暴力団とか( 暴力団 - Wikipedia )、反社会勢力と呼ぶが( 反社会的勢力 - Wikipedia )、この場合の暴力とは決して物理的暴力とは限らない。