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性的な表現に対する過剰反応

 昨今、性的な表現に対する過剰反応が増えている、と自分は感じる。タレント・江頭2:50のYoutubeが人気を博しているそうだが、上半身裸にスパッツという衣装で活動する彼の動画が、乳首にガムテープを貼り見えないようにしていたのに、性的な部位の露出の理由で広告審査で落とされたそうだ。

江頭2:50、YouTube登録者70万人超えるも「全て広告審査に落ちました」 上半身裸が規約に引っかかった? | キャリコネニュース

 世の中には様々な人がいて性的趣味もそれぞれなので、江頭2:50の乳首や、あらわになった上半身、スパッツ姿に欲情する人もいるかもしれない。しかし、別の言い方をすれば、江頭2:50が一般人が普段するような格好をしていたとしても、あらわになった彼の手や、唇などに欲情する人もいるだろう。”性的かどうか”とはそういう類のものであり、個人的には、江頭2:50の衣装、上半身裸のスタイルが、何かしらの規制を科すべき種類のもの、とは全く思えない
 最近のYoutubeの性的なものへの線引きは過剰である。様々な国や年齢層の人が見る、ということも理解はするが、それを勘案しても、だ。肌の露出が殆ど認められないような地域に、全体が合わせなくてはならない、と考えているようにすら思える。
 むしろ、乳首にテープを貼って隠している方が卑猥に見える。隠すということは、そこに隠さなければならない何かがある、と言っているようなものだし、乳首が隠されていることは誰の目にも明らかで、隠すという行為こそが、全然卑猥でもない江頭2:50の乳首を卑猥なものに仕立て上げている、という構図がそこにある。


 高さ7.9メートルの巨大なマリリン モンロー像が、カリフォルニア州のパームスプリングス美術館の入り口に設置されたが、「性差別的だ」として住民らが抗議活動を行うなど、物議を醸しているそうだ。モンローの像は、代表作の一つ・7年目の浮気 の象徴的なシーン、地下鉄の通気口から吹いた風がスカートをはためかせるシーンをモチーフにしており、後ろから見ると下着が見える。

マリリン・モンロー像が物議。下着あらわになる巨大像の設置に抗議「私たちは何も学んでいないのか」 | ハフポスト

 詳しく調べたわけではないので、この記事内容が事実に即している前提に基づいた考察だ。これが女性蔑視や性差別に当たる、というのは言い過ぎだと考える。アート作品が全ての人に肯定的に受け入れられるとは限らず、快く思わない人もいて当然だが、不快なものを一切自分達の目に入れるな、というのもまた、危険な思想ではないだろうか。
 記事に因れば、「像は過度に女性を性的対象としており、女性蔑視的である」として、一部住民から非難の声が上がっていて、像を披露する除幕式では抗議デモも行われたそうだ。撤去を求めるオンライン署名も立ち上がり、5万筆以上が集まっているとのことである。当該美術館の元館長 リズ アームストロングも反対派で、

文化や時代は変わった。この像は昔の過ぎ去ったステレオタイプに基づいており、モンローに対して公平なものではありません
私たちは何も学んでいないのでしょうか?26フィートもの高さの像を建てるときは、それが何を表しているのか、確認したほうがよいでしょう。これは、性差別そのものを思い起こさせます

と言っているらしい。

 マリリン モンローがこのシーンを、嫌がっているのにむりやり演じさせられた、のような事実があるのなら、「モンローに対して公平でない」という主張も理解は出来る。しかしそんな話は聞いたことがない。前述の江頭2:50の例で示したように、性的なものとそうでないものの線引きは決して簡単ではなく、勿論、この像を性的なものと捉える人だっているだろう。しかし性的な表現はすべからく不適切なのか。そんなことは全くない。あくまでも自分の感覚ではあるが、この像が履いている下着は決してセクシーとは言い難い。性的な要素はあっても、過度に性的は言い過ぎだ。
 しかも、女性を(勿論男性でも)性的対象とすること全てが蔑視や性差別に当たるとは間違っても言えない。魅力的な異性(又は同姓)に性的なものを感じるのはごく自然なことである。公共の場にふさわしくない性的な要素を含んでいるので、美術館の入り口と言えど、多くの人が目にする屋外への設置は容認できない、などの主張なら、賛同はしないものの、そのような感覚を持つ人もいて当然なので容認はできるが、この像が不適切な理由を、女性蔑視や性差別に当たるからとする主張には、全く合理性が感じられない。そのような理由から、この像の設置に反対している人は、全員がそうではないかもしれないが、単に、不快なものを自分の目に入れるな、排除しろ、と言っているように思える。


    自分は2019年11/6の投稿の中で、秋葉原のビルに設置されたこの巨大な屋外広告について、公共の場に相応しくないものという見解を示した。

  • かなり誇張して描かれた巨大なバスト
  • 超エッチ♡なアプリでおっぱいハーレムをゲット!!」というコピー
そして極めつきは、これが

  • 「もっと!孕ませ!炎のおっぱい超エロアプリ学園!」という成人向けゲーム・アダルトコンテンツの広告

であることがその理由だ。
 一方で前述のマリリン モンローの像は、成人向け映画ではなく一般向け映画のシーンを模したものであり、性的な要素はゼロではないものの、明らかに欲情を煽ることだけを目的としていると断言できない。あのモンロー像の、後ろに回ると見える下着は、江頭2:50の乳首程度にしか性的でない、と言えるのではないか。
 もし当該のモンロー像が、全裸であるとか、下着を履いていないとか、モンローの演じた役がローティーン以下という設定とか、そういう要素があるなら、公共の場に相応しくない、という見解が示されるのも理解はできる。しかしそのようなことはなく、美術館の入り口に設置される像として相応しくないとは思えないし、女性蔑視や性差別と結びつけるのはあまりにも強引過ぎるとしか思えない。

 日本では、1980年代まで陰毛は、性器と共にわいせつ物とされ、ヌード写真などで見せることが許されなかった。陰毛が写った写真を出版物などに掲載すると警察から咎められた。1990年代に入るとなぜかこれが緩和され、今は陰毛が見えても全く問題なくなっている。勿論今でも陰毛が見えるコンテンツは成人向け・アダルトコンテンツと認識はされているが。
 過去には性的で不適切とされる表現はもっと広く、戦後も、文章などに関してもわいせつ認定がなされていた。明治期には、裸婦を描いた絵画、つまり芸人作品ですらわいせつ・不適切とされた(裸体画論争|美術手帖)。
 そういう意味でも、性的なものは時代によって変わる側面がある。あのマリリン モンロー像に美は感じるが、履いている1950年代的な下着や、あのシチュエーションには、過度のセクシーさや性的な要素は殆ど感じられない。1950年代に卑猥とされなかったものが、21世紀になって卑猥とされることには、時代の逆行すら感じる。これまで問題視されてこなかった児童ポルノや未成年の性的搾取を伴う表現は別としても、性的な表現に必要以上に過敏になることが進歩的とは思えない。


 モンロー像に反対する人達は、「表現の不自由展」に反対し妨害する人達と同種に思えて仕方がない。「表現の不自由展」に反対している人達も、自分の意に沿わないものを開催するな、と言っているとしか思えない。彼らの主張には、合理性・整合性のある反対理由が見当たらない。

「表現の不自由展」大阪府が会場の使用許可取り消しを容認 | 毎日新聞

 大阪市で7月に開催される予定だった「表現の不自由展かんさい」について、会場となる予定だった大阪府立施設の指定管理者が、それまで認めていた使用許可を、抗議活動が相次ぎ利用者の安全が保証できないとして、6/25に取り消した。大阪府は施設の管理者から事前に相談を受けており、許可取り消しを容認したそうだ。
 大阪府知事の吉村は、この件に関して次のようにツイートしている。

端的に言って、自治体としての大阪府・そして知事である吉村は、脅迫に屈し、いや脅迫する者に迎合し、又は脅迫を利用して、表現の自由を蔑ろにする、いや抑圧する極右と言っても過言でない。職員や一般人の安全が確保できないような抗議活動というのは、脅迫、つまり犯罪であり、その犯罪者はほったらかしで、表現の不自由展の方の開催許可を取り消すのだから。
 府が自治体としてすべきなのは、脅迫行為は犯罪であると強調し、断じて許されないと明言すること、脅迫によって表現の自由が侵されないように、当該施設の、開催中とその前後の警備等の強化を行うことだ。


 昨今、表現の自由のイメージを悪用して、差別や蔑視を正当化しようとする不届き者がいる為に、前述のマリリン モンロー像のような事案について、表現の自由を理由に像設置を擁護するような主張をすると、同種と見なされてしまう恐れもある。
 だが、表現の自由とは、自分が快く思わない表現も認めなければ成立しない。勿論無責任に何でも表現していい、ということではなく、明らかな成人向けコンテンツ、暴力性の強い表現などについては、相応のゾーニングが必要ではあるし、他人の権利を侵害するような表現も、自由の範疇には含まれない。だが、あのモンロー像にそのような要素があるとは思えず、だから、あの像を快く思わない人がいたとしても、設置を否定できるものではない、と考えている。


 トップ画像には、File:AVP Professional Beach Volleyball in Austin, Texas (2017-05-19) (35430860896).jpg - Wikimedia Commons を使用した。

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