スキップしてメイン コンテンツに移動
 

東京2020 という現代アート

 結構前から、新国立競技場は便器にしか見えない、という話はあったが、そこまで便器に見えるかと言えば、そうでもない、と思っていた。しかし、あまりの政府と組織委、そしてIOCの低レベルっぷり、更には、対戦チームに感染者が出たことを好機と言う選手など、まさに掃き溜め、肥溜め状態にしか思えなくなり、国立競技場が便器に見えてきた。


 国立競技場が便器に見えてきたのには、ぼうご なつこ のこの漫画の影響も大きい。彼女の漫画は、風刺に富んでいて、まさに東京2020のイメージそのものだった。

 触発されて、今日は便器と国立競技場のコラージュをつくってみた。いろいろな思いを込めて、4つのバリエーションをつくった。

 まず一つ目は、世界共通、ほぼ誰にでも分かる洋式便所バージョンである。このバージョンに込めたのは分かりやすさ。国立競技場と便所をコラージュした風刺であることが誰にでも分かることを優先したバージョンである。

 次は、東京五輪に因んだ和式バージョン。アジア人以外にはトイレであることが伝わり難いかもしれないが、日本のイメージを優先させた。分かりやすさの為に水洗式にしたが、水洗式のパイプを取り除いて汲み取り式を表現し、肥溜め状態を表現しても良かったかもしれない。

 3つめは、おまるを合成したバージョンだ。幼児用の便器を用いることで、日本政府や組織委、IOCの幼稚性を表現した。根拠も薄い話、というかあからさまな嘘を言い張る幼稚性、自分のことばかりで、対戦チームや他の選手のこと、一般市民のことなどよりも俺を優先しろ!!!!と言わんばかりの、一部の日本人選手の幼児性を表している。

 最後は、マルセル デュシャン の Fontaine(日本語では泉、又は噴水)へのオマージュだ。7/18の投稿でも触れたように、デュシャンの同作品は、既製品の小便器にサインをしただけの作品だったが、20世紀初頭の芸術界に物議を醸し、それ以降、コンセプチャルで議論を呼び起こす表現全般が芸術/アートと認識されるようになった、そのきっかけの作品である。東京2020が、如何に日本が遅れているか、稚拙かを世界に知らしめたことは間違いなく、そういう意味で言えば、東京2020全体が現代アートであると捉えることもできる。
 このコラージュは、国立競技場を便器に見立て、デュシャンが便器に加えた偽名のサインをあしらい、物議を醸した東京2020を表現している。


このブログの人気の投稿

話が違うじゃないか

 西麻布に Space Lab Yellow というナイトクラブがあった。 一昨日の投稿 でも触れたように、日本のダンスミュージックシーン、特にテクノやハウス界隈では、間違いなく最も重要なクラブの一つである。自分が初めて遊びに行ったクラブもこのイエローで、多分六本木/西麻布界隈に足を踏み入れたのもそれが初めてだったと思う。

マンガの中より酷い現実

 ヤングマガジンは、世界的にも人気が高く、2000年代以降確立したドリフト文化の形成に大きく寄与した頭文字Dや、湾岸ミッドナイト、シャコタンブギなど、自動車をテーマにしたマンガを多く輩出してきた。2017年からは、頭文字Dの続編とも言うべき作品・MFゴーストを連載している( MFゴースト - Wikipedia )。

あんたは市長になるよ

 うんざりすることがあまりにも多い時、面白い映画は気分転換のよいきっかけになる。先週はあまりにもがっかりさせられることばかりだったので、昨日は事前に食料を買い込んで家に籠って映画に浸ることにした。マンガを全巻一気読みするように バックトゥザフューチャー3作を続けて鑑賞 した。

同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになる

 攻殻機動隊、特に押井 守監督の映画2本が好きで、これまでにも何度かこのブログでは台詞などを引用したり紹介したりしている( 攻殻機動隊 - 独見と偏談 )。今日触れるのはトップ画像の通り、「 戦闘単位としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ。組織も人も特殊化の果てにあるものは緩やかな死 」という台詞だ。

敵より怖いバカな大将多くして船山を上る

 1912年に氷山に衝突して沈没したタイタニックはとても有名だ。これに因んだ映画だけでもかなり多くの本数が製作されている。ドキュメンタリー番組でもしばしば取り上げられる。中でも有名なのは、やはり1997年に公開された、ジェームズ キャメロン監督・レオナルド ディカプリオ主演の映画だろう。