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憂国

 少年ジャンプの兄弟誌・ジャンプスクエアで連載中の漫画に「憂国のモリアーティ」がある。この作品はコナン ドイルの「シャーロック ホームズ」のシリーズを下敷きにしているが、主人公はホームズではなく、本編では悪者であるモリアーティ教授だ。


 「憂国のモリアーティ」の舞台は、本編と同様に19世紀末の英国だ。貴族と庶民の間に大きな格差のある英国の階級制度・社会を憂うモリアーティが、それを覆そうとする物語になっており、彼らはその過程において犯罪も厭わない。勿論ホームズも登場するが、ホームズはあくまでも脇役である。

 憂国とは、読んで字の如く、国の現状や将来を憂う、憂慮する、心配する、ということである(憂国とは - コトバンク)。憂国をテーマにした今日の投稿を描くにあたり、トップ画像に「憂国のモリアーティ」に関連した画像を用意することも考えたが、それよりも三島由紀夫の「憂国」の方が自分にとってインパクトが強く、そちらを選んだ。
 三島由紀夫の「憂国」は、二・二六事件をテーマにした短編で、決起に誘われなかった若い将校が、叛乱軍とされた、決起した仲間と戦わなくてはならなくなったことに苦悩し、新婚の妻と心中する話である。三島はこれを映像化もしており、トップ画像に用いたのは、心中を前に、妻と最後の愛を確かめ合うシーンである。三島 由紀夫の思想には賛同しかねる部分もあるが、彼の作品に読む価値はあると考えている。


 体操選手の内村 航平がまたおかしなことを言っている。7/6に行われた、東京オリンピック日本選手団の壮行会で「選手が何を言おうか世界は変わらない」と言ったのだ。

【東京五輪】体操・内村航平オンライン壮行会終え「選手が何を言おうが世界は変わらない」 | 東スポの体操に関するニュースを掲載

 厳密には何と言ったのか。2020年11月に、オリンピック開催について「できないではなく、どうやったらできるかを考え、どうにかできるように考えを変えて」と発言したことを踏まえ、

ああやって言ったことで開催してもらえたとは僕は思っていない。選手が何を言おうか世界は変わらない。選手はそれぞれができることを一人ひとりがやり、感動を届けることしかできないのかなと思いますね

と発言した。「選手が何を言おうが世界は変わらない」と言う選手が、どうやってファンや観客を感動させるつもりだろう。何も変えられないんだから、ファンや観客の心だって変えられないのではないか。感動なんてさせられるわけがない。記事には「言葉を選びながら話した」とあるが、よく考えた上で、こんな矛盾したことを言うのなら、彼はそういう意味で本物であり、彼の主張、そして彼が代表選手であることは、オリンピックやスポーツの印象を強く棄損する。そのような意味では、彼は悪い意味で感動を既に届けている
 内村の言っていることは、「俺が投票しても何も変わらないから選挙行かない」のようなな話であり、ある意味では、どんな悪政にも抵抗せず甘んじて受け入れるという、奴隷宣言にも等しい。

 オリンピック代表選手が「選手が何を言おうが世界は変わらない」と言っている一方で、政府やオリンピック関係者らは、「スポーツの力」と連呼して開催を推進している。選手が何を言おうが世界は変わらないのに、一体スポーツにどんな力があるのか。スポーツの力なんてない、と代表選手が認めているようなものだ。そもそもスポーツの力も、安全安心の大会も、コロナに打ち勝った証も、コロナと闘う五輪も、全部ゆるフワであり、具体性の一切ない印象操作の類でしかない。
 政治がそんなイメージ優先のプロパガンダに傾倒し、感染拡大ではなく、感染拡大への懸念を抑え込もうとするようになっている。この状況を憂慮することは、まさに憂国だ。


 憂国を連想せざるを得ない事案がもう一つある。スポーツ中継サイトを装ってクレジットカード番号を抜き取る詐欺が横行している、と東京新聞が伝えている。

「そのスポーツ動画、フィッシング詐欺かも」五輪前に警視庁が注意:東京新聞 TOKYO Web

 そのような詐欺行為は許されるはずもなく、取り締まられて当然、というか取り締まらずに放置していたら、警察や国は何をやっているんだ、という話になる。
 このような詐欺行為に相応の対処がなされる一方で、首相やワクチン担当大臣のワクチンあるある、接種進んでる詐欺は咎められない。早く接種しろ、でないとワクチン供給減らすぞ!という、自治体に対する恫喝までやったのに、いざ接種のスピードが上がると、供給するワクチン実はありませんでした、とワクチン大臣が言いつつ、首相が会見で「ワクチン接種が大きく進み、コロナとの闘いに区切りが見えてきた」なんて言っても、それは野放しだ。
 日本のワクチン接種は世界的に見て全然進んでいないし、英国などワクチン接種が進んだ国でも感染拡大が再び起きていて、区切りなんて全く見えていない。ワクチン担当大臣である河野は、グラフ詐欺で日本のワクチン接種は世界でもトップレベルかのように主張し、猛批判されてもいる。


 実態を捻じ曲げて実際にはない成果を誇る、大言壮語を吐く人達が、国の中枢にいて新型コロナ危機への対応をやっている。そのような状況を憂慮することもまた憂国である。

 憂国は、国の捉え方によって、全体主義などにも用いられてしまうことのある表現ではあるが、国全体や政府の維持だけを目指すのではなく、まともでない政府ならそれを倒すことも厭わない、と考えるのが、国の主権者が国民である民主制における憂国だろう。


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